それさぁ。ちぃ婆がご存命の頃よくやってたよ?
見てた?観察してた?
直の温風はそりゃ暖かいでしょうが、出来ればやめて。
焦げやしないだろうけど確実に低温火傷しそうだもん。
・・・ちぃが居た時はしなかった気がするんだけどなー。
ヒーター前はちぃの縄張り(笑)だったのかしら。
自動車税の改正において、個体ごとの走行距離に応じて課税率が増減するという検討事項。個体ごとの走行距離をどのようにして突き止めるのか。強制的に点検でも義務付け距離計をチェックさせるのか? プライバシーの侵害にもほどがあるわ。
いつになっても財源不足で無料化される見通しの無い高速道路に、僕がどれだけ投資していると思っているのか(思っている人がいないな、たぶん)
その走行距離のためにどれほど給油し、燃料代から税金徴収されていると思っているのか(これも・・・いないな)
補助金やるから東京23区から出てってくれと言っておいて、地方で車を楯にした財源ねん出とは。これはつまり、来るべき南海トラフや首都圏直下型地震で首都圏壊滅が懸念されるからじゃないのかと、悪態ついてる場合じゃないですな。
我が家のクルマ事情が複雑な中(1台直ればまた1台壊れる)、ぷらすBLUEの修理明け。試運転に乗り出したこっちは、長いことだましだまし使っていたオイル上がりもオイル下がりも~双方同時に症状が出てました~解消し、単純明快にG16Aの使いやすいレスポンスが戻ってきました。
いまどきツインカムでもない直4ですが、バルブはツインカム並にくっついているところが初代1600ccエスクード2型以降の特徴です。
1、2型には20馬力弱の差がありますが、1トン程度の車体だから、カムシャフト一本の16バルブで十分。などと言うと、四代目の1400ターボに対する負け惜しみにしか聞こえない。だけど、82馬力しかなかった1型は、足回りをいじってクリアランスがとれていればクロカン四駆の末席に置けて、その特性を残しながら乗用性を上げた2型は使い勝手の良さがあります。しかし90年代初頭、こんなんでオーストラリアンサファリとか出ちゃったんだから、身の程知らずだよね。
エスクードの原初のデザインは、コンバーチブルから描き始められたそうです。デザインを担当した片岡祐司さんは、月面探検車のイメージにそれを求めたと記していますから、オフロード性能などそっちのけというわけでもなかったのでしょう。しかし大径タイヤにのみその性能を委ねた割に、量販車オリジナルの15インチホイールは、つつましいものです。ぷらすBLUEの車高は若干上げてタイヤ径を大きくしてありますが、乗ってみると「どこが?」というほど視点は低いのです。
それゆえに誰にでも扱いやすい、素性がこの四駆にはあります。超長期スパンで車の流行り廃りは繰り返されていますが、SUVからクロスオーバーへ多様化しているようで、実はちょっと洒落たステーションワゴンでしかないのが現実。はてさて初代エスクードのようなジャンルとスタイルへの回帰の時代は巡って来るのかどうか。まだしばらくこれに接していたいので、背筋が凍るであろう伝票が届くのを待っているところです。
土浦市でのつくばーどの折、新月さんがitoさんのヘリーハンセン・リミテッド(TD51W)をしげしげと眺めていました。
「itoさん、これ16吋のホイールですよね?」
直4で2000ccのエスクードは、純正規格ならば215/65の16インチがタイヤ・ホイールのサイズです。
ただしitoさんはヘリーハンセン専用のアルミホイールではなく、スタッドレスタイヤと社外品の組み合わせでした。彼は岩手県にご実家があるので、早々と冬装備にしている・・・
のかと思ったら、先シーズンから履きっぱなしだった(笑)
「いま気がついたんですけど、このホイール、うちのと同じです」
と新月さん。ああ、それは気がつかなかった。のまちゃん(TD01W)はゴールドウイン・リミテッドのノマドですが、こちらも純正のタイヤ・ホイールではなくサイズのみ205/70の16インチに合わせた社外品を使っています。
このご時世、初代同士が居合わせることなんてこの手のイベントでもなければ無いわけですから、装備が同じだと話が盛り上がります。その盛り上がる風景というのも、なんだか久しぶりに見たなあ。
1972年3月に打ち上げられたパイオニア10号が、史上初めて木星へ到達したのが翌年12月3日から4日にかけてのこと。45年後の現在、とうに太陽系を離れており、170万年くらいの未来に、地球から53光年先のアルデバランまでたどり着くらしいです。第二宇宙速度でぶん投げたものは、たいていの場合地球には戻ってこない。未知なるものに向かって突き進むのみです。
そこまで乱暴にぶん投げたつもりはありませんが、僕も先週、部下を手放し、彼女は本日より新しい職場で航海を始めます。奇しくも彼女が僕のもとで仕事をしていた日数が、パイオニア10号が木星まで飛んだ日数に極めて近いものでした。
ゆとり世代のコンプレックスか、人をおっさん呼ばわりしやがる(いや実際おっさんだけどさ)けしからん部分が、逆に同世代のヤワな男よりも根性を見せる逸材でした。けど、そういや僕だって、怒りや苛立ちが推進剤だったわあの年ごろって。
2年に満たない時間で教えたことが「なにさ、ちっとも役に立たないじゃん」と言い出すであろう、ちょっと先のことが楽しみではありますが、そうでなくちゃいけない。ま、きっといろいろやらかしながら突き進んでいくことでしょう。
そんでね、いまさらなんだけど、俺アクセルの開け方は教えたつもりなんだけども、ブレーキの当て方を教えてないような気がするんだよな。
たちばなのとん汁に対抗できるのは創業年度くらいかもしれませんが、とん汁を食いにツーリングする企画があるんだから、わかさぎの天ぷらを食いに行つくばーどがあっても、罰は当たらないでしょう。
という屁理屈で、たぶん「Ⅲ」にはつながりそうもないけど本日これを開催します。来られる人は午前10時に、現地近所の喫茶・蔵に集合です。
ほたて食堂は実際には「保立」さんで帆立でも甫立でもないのですが、かき揚げにはホタテの貝柱がこれでもかというほど入っております。
「雷蔵さんが卒業した後の、私の時代の学校長が、ここの出の人でしたよ」
ワカサギ天は天ぷら定食についてくるもので、天丼を頼むと食えない。そこが悩みどころでしたが、妻が定食を注文しながら「あたし実はワカサギが苦手」だということが判明し、無事に僕の胃袋におさまるのでした。
というわけで、当日の様子はこちら