Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

モネと萌音の間に

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永浦百音こと清原果耶の「おかえりモネ」が終了して、始まった「カムカムエヴリバディ」の主演が上白石萌音というのは、狙っていたんでしょうか。誰か絶対に「モネから萌音へ」って言っているに違いない。

のだけれど、実は第一話には上白石萌音は出てこないばかりか、まさかのカムカムおじさんこと平川唯一を演じるさだまさしで幕開けするとは思いもしませんで、のけぞりましたよ。

ヒロインのことを繰り返すと、「モネから萌音(橘安子)へ」ではなく、「モネと萌音の間に」二人の安子が存在します。1人目は生まれたばかりの赤ん坊で、もう1人は10歳くらいの安子。上白石はさしずめ安子三番手にあたるわけですが、子役安子の網本唯舞葵(あみもといぶき・・・読めねえっ)が、見事なまでにちび上白石な雰囲気を醸し出しています。しかもこの子、7歳くらいのときに「まんぷく」に出ている。初出演の上白石より先輩朝ドラヒロインです。

近頃は子役のキャスティングにもこだわるんですね。安子二番手が5年かそこら過ぎると安子三番手になっていくのは今週から来週の駆け足と思われますが(と思ったら二話目で登場した)、あまり違和感がない。むしろ中盤に出てくる安子の娘や後半の孫は、もう父親似なんだと納得するしかないほど近似性がない。

朝ドラは初ですが、上白石も大河ドラマで三度の出演経験を経て、いよいよ朝のヒロインに抜擢です。まだ出てこないんだけどね。

 

 

ドルイドの祭から諸聖人の日へ

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その辺の数多の聖人を一絡げにして敬うのか供養するのか祝うのかよく知りませんけど、ハロウィンが明けるとカトリックな行事に衣替えする「All Hallows Day」が11月1日に定められているのは、土着の宗教を取り込みながら一応気を遣って、現実には葬ってしまった感があります。ケルトの司祭であるドルイドの宗教観においては、10月の末の日が1年を締めくくる「夏の終わり」で、翌日が「冬の始まり」。収穫を祝って春に備える1年の始まりという時期です。

ここを押さえておけば、反乱も起きないだろうという政治手腕もあったかどうか定かでないものの、ケルトの神話や伝承はけっこう都合よくいじられていて、聖人が舞台に登る前なら無礼講で良いぜとばかりのハロウィンという構図に思えてなりません。まあ、バカ騒ぎとは言えないんですけど、跳梁跋扈する悪霊も魔物も、翌日には征服者の腹の中に飲み込まれてしまうところが哀しい。ついでに言えば、あの世から還っているはずの祖先の影も薄いです。

この季節の変わり目。つまるところ「節分」において、江戸時代の京都あたりでは老女が桃割の髪に、娘が島田に結って、異性に化粧までして寺社へ詣でて新年祈願する「おばけ」なんて行事が行われていました。わざわざ「自分ではない姿」になるのは、節分の夜に徘徊する鬼から逃れるためで、なんとなくハロウィンの仮装と似通っています。一時廃れたこれは、花街などでの遊びとしてよみがえっているそうですが、こういう風習の起源にはつながりがありそうです。

今年は秋っぽい日々が短くて、温暖化の影響が顕著になった、四季が無くなりつつあると言われています。まあ我々の住む国では良いわけは無いんですけど、ハロウィンから諸聖人の日への、いきなり夏が終わったら冬、といういかにもヨーロッパな気候と暦の関わりってのは、今年のような体感なのかもしれません。そうこうしているうちに11月になっちゃいました。ケルトの世界じゃ3月まで冬ごもりですけど、そんな冬休みはもらえないねえ。

 

 

GreatPumpkin

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毎年毎年ハロウィンやジャック・オー・ランタンのことを書き綴っていたら、さすがにもう書くことがなくなってしまいました。それでも毎年、ハロウィンはやってくるので途方に暮れて、ことしはどうしようかとあちこち文献をあさっていると、本来はケルトの祭りに源を発していても、部分部分で似たような風習風物が、日本にもあるなあと気づきました。が、それらの理屈付けというか、咀嚼しきれないのでそれは明日に回します。←なんだそれは

それでもって、ことしの挿絵のカボチャには、あのランタン顔がくりぬかれていないのがみそと言えばミソ。つまりジャック・オー・ランタンの話ではないのです。

その、たいていの人は信じていないから「見えない」グレート・パンプキン。またの名をかぼちゃ大王。彼はハロウィンの夜にかぼちゃ畑から飛び立ち、彼を信じる子供たちに贈り物を届けて歩く存在です。なんだかサンタクロースが混同しているような気がしますが、「PEANUTS」におけるライナス・ヴァンベルトは、どんなに友人に笑われようとも、「グレート・パンプキンはいるんだ」と信念を揺るがしません。

ライナスの友人であるチャーリー・ブラウンに言わせると「宗派の違い」だろうとのことですが、原作者が異教のガジェットを使って、新興宗教をからかったのか、宗派によってハロウィンを容認したりしなかったりのキリスト教そのものをからかったのか、定かではありません。

世界中の、最も誠実なかぼちゃ畑にこそ、グレート・パンプキンはいるんだ。と、ライナスは毎年、自ら信じて選んだ畑に通い、「彼」を待ち続けます。だけど、ライナスを単に裸の王様と一緒くたにできない何かをも、読者の側は感じ取るのです。

教えられた時代の差

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本論に持って行くのにけっこうかかります。茨城県の「かたち」についての話です。土浦市で工房「futashiba248」を開いた染色クリエイター、関さんご夫妻にお目にかかり、草木染の話を伺った際のことです。

藍染風布の丹羽さんの個展を拝見した際の、藍の青さも美しかったけれど、草木染が表現するアースカラーは目に優しく落ち着きます。これはまさしく失われていない古代の産業技術文化だねえ。

「futashiba248」って、どんな意味があるのかを聞いたらば「ふたりで営む工房」「廃棄野菜などを原料に染料を作るので、ふたたび世の中に出せる」(関さん)という理念と、「私が柴犬大好きなんです」(奥方)の言葉。これは、僕の中では、つくば―ど®的なセンスと琴線に合致しました。三桁の数字はそれをもう一度表現しています。

が、柴犬好きでって、つくばーど®的すぎ。

「えっ、でも、私たちがいる茨城県の形は、犬が遠吠えする姿に似ているじゃないですか」(奥方)

これが、聞いたことはあるけれど、僕にはピンとこない喩えだったのです。なぜかというと、僕が子供の頃は、小学校の社会の授業で地図帳を開きながら担任教諭が言ったのは「鉞を逆さまにした形」だったのです。それを刷り込まれていたので、関さんたちの描いた茨城「犬」は、目から鱗が落ちる瞬間でした。

ご夫妻は平成元年生まれの同級生同士。三十代です。彼らが見聞きした茨城県の形は今では一般的になっているわけですが、昭和の半ば生まれ世代とこれほどギャップがあるのかと痛感させられました。

彼等の草木染は、剪定され廃棄される果樹園の木枝、規格外で捨てるしかない野菜や果物が原料というユニークかつとても大事な提案で染められています。ここは「物を大事にしろ」と教えられた僕らと共通。ちょっと安心(自分に)

居なかった地元人と居た余所者

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「おかえりモネ」が本日の放送で大団円となります。二転三転の急展開ではなく、割と短い時間軸の中でじれったいほどゆっくりと丁寧に、主人公の人生を描いた良作だと思います。高卒後(一部で中卒時も)から現在までの数年間の変化を、主人公自身が驚くほどいでたちも表情も大人になっている(設定上、霰と同い年)のが印象的です。清原果耶はまだ19歳。「あさが来た」「透明なゆりかご」「なつぞら」といい仕事をしています。

気仙沼の離島を故郷とする主人公は、東日本大震災の日、たまたま高校受験の合皮発表を見に行き仙台で被災したため、島における津波被害や被災者の修羅場に居合わせませんでした。家族や友人たちに対するどことない後ろめたさが、郷土で誰かの役に立ちたいという思いに変っていき、気象予報士の道を選び、お天気お姉さんに抜擢されながらも島に帰ってきます。ゆっくりやってる割にはこのあたりの、予報士としての仕事場面が少なかったとも感じますが、朝ドラヒロイン随一の地味なキャラクターでありながら、存在感があります。

その日、地元にいなくて葛藤の日々を送った彼女・百音に対して、あの頃の僕は、「気仙沼に『大島』があるのかよ」くらい余所者になり立てで被災していました。仙台在住の前任者から引き継がれたのはただ一言「東北人は寡黙で腹の内を明かさない」(失礼なようだけど、本当にそう言われた)。まあ僕なんか行き当たりばったりの男ですから「そんなこと言われたって俺は俺でしかないよ」と返事をしたものの、マジかよとも思いながらの仙台赴任。あいさつ回りを終えたら震災という、百音と真逆の経験でした。

ドラマを見ながら、全く反対の立場を過ごしてきた彼女と自分に唯一、共通するものがあるなあと感じたのは、周囲が与えてくる先入観の種。それにどうやって向き合うのかが、それぞれの軸足として大事でした。同業者は僕のいないところで「しょせん腰掛の外人部隊」だと揶揄していたそうですが、二年で転勤していく国の役人とは違いましたから、居られるだけ居ようとせせら笑って揶揄など無視していたらば、東北のあちこちの人々は「そうか、お前はあのときここ(東北)にいたんだな」と、揶揄自体が逆効果になるような変化をいただくことになりました。

写真は被災一年後の気仙沼。百音の住む島は右端に位置し、今は架橋されていますが、当時は橋の袂の工事現場まで行くのに「冗談じゃねーよ」という時間を要しました。今だったら仙台から二時間で行けちゃうはず。でも、いち早く復興した街の一つだけれど、これから十年、二十年後、地元の後継者が元気で居続けてくれないと、世の中自体が先細る中、街の未来も変わってしまいます。百音と幼馴染の若者たちは、家族や地域の人々の軸足を担うことになります。

かえるよ

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諸事情あって霰の職場に置いてこられたヤマタノオジロを回収に行かされ、乗り込んだらば燃料計の残量がひとメモリしかないしで、しょーがねーなーと近場のセルフスタンドに立ち寄ったらこいつが張り付いてまして。

あのさー、俺はこれから帰るんだよ。お前そのままだとテリトリーに帰れなくなるよ?

マッテレソウル?

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だけど「マッテレ」っちゃあこういうことだぞ

「BRIDGESTONE sole Technology(ブリヂストン ソール テクノロジー)シリーズ」、なんてものが存在すること自体知りませんでした。なんでかって言えば、ここのお店に僕が着られるサイズが無い(なさけねーっ)から、行ったことも無い。

SUVのタイヤ性能を、というところを宣伝材料にするのは良いけれど、マッドテレーンのようなパターンがなんというか使う場所と性能論も含めてちぐはぐ感。ボディの方が哀しくもビジネスシューズのままってのは、かえって履くのは厭だわ。

 

 

ひとまず5万キロ越え

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2018年12月に約2900キロの水戸ナンバー個体を宮城県で見つけ、引き取ってきたハスラーJ‐StyleⅡが先日、50000キロを超えました。遠乗りは数えるほどしかこなしていないので、ほぼ霰の通勤積算距離です。本人の意向で、車体の擦り傷(なにやってんだか)は放置し、オイル交換と点検をした程度。知りませんでしたがCVTのフルードはメーカーによると無交換推奨だと(前にやっちゃったよ知らなかったから)

先日の横須賀往復では、けっこうエンジンを回していたようで、給油してみるとリッター17キロ。ターボで四駆だからそんなものでしょう。年内に時期を見てスタッドレスタイヤに換装し、来シーズンには夏タイヤを新調かと思いきや、主治医は「山はまだ半分あるから、これは来シーズン問題なく使えますよ」と助言してくれました。僕の親父はこのあたりで買い替えしてましたが、霰の意向では二代目やその他の車に乗り換える必要はないとのこと。僕もそう思います。

 

居なかったはずのエスクードですが

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先日の「つくばーど®in横須賀」は、史上稀に見るエスクード一切なしという顔ぶれでしたが、和邇さんの走らせる「蓮田さん」、霰の「ヤマタノオジロ」を最後尾のジムニー助手席から撮影してくれた和邇お嬢妹の写真をトリミングしていたときに気が付きました。

行事とは無関係ながら、写ってましたよ三代目が。

これをして和邇さんなどはきっと

「見たか新帝国WANIの索敵能力!」

って言うんでしょう。その索敵能力のなせる業か、お嬢たちこんなのを揃いで探してくるんだから確かにすごい。

巡る因果の糸車~俺は知らないぞ~

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ぷらすBLUEのオーディオは、ラジオとカセットデッキです。その話はどうでもいいのですっとばして、その日、ずーんと歳の離れた後輩を乗せて移動中に、たまたま装填してあったこれまたふるーいカセットテープから、リー・ハートが歌っていた「It´s Only Love」が流れだしたら、

「あっ、この曲いいなあ。これ音源はなんですか?」

「AIR PAVILIONというバンドだけど、『敵は海賊』っていう30年くらい前のアニメのエンディング曲だよ」

「これ、CDまだ手に入りますかね」

「いやー、とうの昔に絶版してるなあ。うちにあることはあるけど」

「それ貸してください。警戒宣言解除になったんで、身内と近しい仲間だけですけどうやむやになっていた結婚式やることになって、そこでこの曲使いたい」

彼がお嫁さんをもらったのは10年前だったけれど、お嫁さんの実家が宮城県の山元町だったため、東日本大震災のこともあり、結婚式は神事だけで披露宴をやっていなかったのです。5年前にお子さんが生まれて、その後ちょっと落ち着いたから、お預け状態だった披露宴をやろうかというところへ新型コロナウイルス騒ぎ。亭主で父親としては悶々としていたのだそうです。

「貸してあげるのは構わないけどさ、お前、歌詞わかったの?」

「わかんないけど、いっつおーんりーらーぶってフレーズ、すごくいいじゃないですか」

「うーん。そこはそうなんだよねえ」

興味のある方は、「Air Pavilion – It´s Only Love」で動画検索してみてください。まだインターネット上で聴くことはできます。割と懐かしめな、ヘビーロック/ヘビーメタルというには軽めの曲です。後輩のたっての希望で、CDは貸してあげましたが・・・

実は30年前、僕自身が披露宴の、新婦のお色直しあとの入場・キャンドルサービス時に、この曲とビリー・ジョエルの「素顔のままで」を使って、この曲に関して「歌詞わかっててやったのか」と家内にこっぴどく叱られております。

「どう聴いたって、ふられたかふられそうな片思いの男の歌じゃない!」

それになんだかプロレスラーの登場曲みたいなイントロだしね。