Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

本日の皮算用

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たぶん本日、BLUEらすかるの積算走行距離が94万キロに届く予定です。なんとか10月のうちにここまで引っ張ってこられました。残る2カ月で今年のうちにあと1万キロ走らせられたらキリが良いんですけどねえ。それでもまだ5万キロをこなさなくてはならないので、期限までの時間には全く余裕がありません。写真のプロパティには2009年の日付が刻まれているので、まだ28万キロくらいのころです。先々のことなんか考えずに済んでいた時代ですねえ。

というわけで届かせてきました。

仕事先への移動中でしたが、アポを取っておいたにもかかわらず相手が「ワールドシリーズの放送終わってからにしてーっ」(このすちゃらかやろーっ)というので、これを撮る余裕が生まれております。

上弦の月に照らされて

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2004年10月21日、先代とるねーどらすかるが384400キロを走り抜き、地球から月の軌道まで到達しました。夕暮れ時の霞ヶ浦左岸は、月齢7.42の上弦の月を天空にあおぐ秋らしい風景でした。この個体には翌年の10月は巡ってこなかったのですが、当時の走らせ方で新車登録から9年を費やしてこの距離までたどりついています。いまどき三代目エスクードでも30万キロを越えた個体は存在しますが、この頃はまあ偉業だったのです。

205年9月から走り出したBLUEらすかるは、乗り出し時に約8万キロのおまけがついていたことから、6年半でこの距離に達していますが、実質的に384400キロを還ってくる復路にはやはり9年が必要でした。そうこうしているうちにあの夕暮れから20年です。本日の月齢は18.3。先週、スーパームーンのハンターズムーンを過ごし、二番機は938000キロを刻みました。今夜は月の出も遅い寝待月。月まで走ったエスクードの話はもう誰も知らない時代です。

都市に、本能を。 ←よくわかんないコピーだなあ

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というわけで昨日から、スズキフロンクスが正式に国内販売開始となりました。

とりあえずメーカーのアピールはこちら

とにかく(スズキとしては)真新しいデザインに目を奪われるけれど、なんかこう、あったり前のクルマです。

最初のCandle in the wind

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浜松のスズキ歴史館に欧州仕様のビターラ2.0コンバーチブルが展示されているのは(今も展示されてますよね?)周知のことですが、国内で言うところのTA51タイプで「2000ccの幌車」という極めてうらやましいモデルでもあります。

そのうえ、ドイツ法人が企画した「エルトン・ジョンリミテッド」なんてものは、ある意味世界的貴重品かもしれません。

なんでこんなもん出してたんですか? と、歴史館こけら落とし式典の日にスズキの広報の人に現車を前にして訪ねたのが15年も前のことでしたが、「ヨーロッパってこういう企画ものが沢山出ているようで、詳細を追いきれないんです」との回答でした。

いやいや・・・ハットトリック仕様みたいな国内ものとはわけが違うでしょう? てことで、たいていの視線がエルトン・ジョンの直筆サインに行っちゃうなかで、この限定車には英国貴族のそれ以外に、ユニセフが開催した音楽イベント「Sommer Open Air Festival 97」なる添え書きも、特別仕様のラベルに印字されています。これが出自を辿るヒントになるのではないか。

と思い立つまで随分長く放置してしまったのですが、ドイツにおいて有名な音楽祭はニーダーザクセン州とブレーメンで開かれているものだけれど、ユニセフ主催のこれはそのどちらでもない。バイエルン州のアシャッフェンブルクで97年に開かれたイベントが、限定車とのつながりを持っていました。

なぜなら、その年のこのユニセフ行事に、チャリティとしてエルトン・ジョンが参加しているからです。

1. I’m still standing
2. I guess that’s why they call it the Blues
3. I don’t wanna go on with you like that
4. Sacrifice
5. Live like horses
6. Border song
7. Something about the way you look tonight
8. Simple life
9. The one
10. Take me to the pilot
11. Made in England
12. Someone saved my life tonight
13. Don’t let the sun go down on me
14. Bennie and the Jets
15. Can you feel the love tonight
16. Believe
17. Saturday night’s allright for fighting
18. The bitch is back
19. Candle in the wind
20. Funeral for a friend/Love lies bleeding
21. The last song

こんな曲目を演奏したそうです。はっと気づかされるのが19番目の「Candle in the wind」。後述しますが、この曲はこのフェスの時点では、マリリン・モンローを弔う歌詞の楽曲でした。63年に亡くなったモンローへの献歌として73年に作られたものです。97年のこのフェスは7月8日に行われています。

それから少しあとの8月31日、ダイアナ元イギリス皇太子妃が事故死してしまい、新しい歌詞を組み込んだ「Candle in the wind “Goodbye England Rose…”」が9月7日の葬儀で歌われました。もちろん、英国の悲劇とドイツでのフェスには何の因果関係もありません。ただひとつ、世に残る名曲が、フェスで演奏された僅か二か月後に再演され、誰もが知る楽曲に生まれ変わった。ビターラのリミテッドは、まさしく初代のあの歌の最後の記録と言っても良いのでしょう。

右肩上がりの時代

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1989年10月9日、千葉県が建設を進めていた国際展示場がこけら落としされました。通称幕張メッセ、東京の晴海からモーターショウを移転させた大きな話題にはじまり、後に有明ビッグサイトが国内外の巨大展示会を東京に引き戻すほど躍起にさせ、東映ヒーロー撮影独壇場だったつくばセンタービルからロケ地をもぎ取ってくるくらい首都圏では向かうところ敵なしの見本市会場でした。インターネット時代の少し前、幕張は都心から近く、電話代の安さで人気市場だったこともあります。

メタルヒーロー「特急指令ソルブレイン」の面々が歩いてくるシーンを使うとカテゴリーが変わってしまうので、幕張メッセオープン後にスズキがエスクードのカタログに使った画を持ってきましたが、89年秋はまだ初代の1型の頃。カタログに出てくるのは2型以降で、ノマドも登場した90年代初頭はメッセ、エスクードともに右肩上がりの時代です。下手くそなCG合成もせず、手間をかけたカタログ作りが行われていました。そういうところにも人気の土壌があったのではないかと感じます。

僅か100円のパーツ

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トルクコンバータとセレクタをつなげるワイヤーケーブルのガイドにあたる樹脂製のカラーが粉々になったことで、セレクタの位置ずれが生じました。幸いにもこの部品はまだ流通していて、主治医は全速全開で修理してくれました。しかしワイヤーケーブルは既に欠品で、これが切れるようなことになったら万事休すです。ところでこの修理中、フロントドライブシャフトブーツがざっくりと裂けていることも判明。劣化でそうなったのではなく、裏山で木の枝か何かを踏みつけたようです。

これも同時に交換してもらったのですが、デファレンシャルサイドブーツセットが約5000円、カラーというかブッシュが100円。どっちも致命傷への引き金になりかかっていたわけですが、100円て・・・あれですよね、映画なんかで扱われる「そんな部品、街でいくらでも売ってるじゃねーか」「しかしここは海の上(砂漠の真ん中でも宇宙でもいいや)で店なんかありません!」「これ直らないと〇分後に核弾頭発射されますっ」ってやつ。

ここへ来てこれかい!

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「自動変速機は手動変速機と違って直接エンジンにレバーが繋がっている訳じゃない。オートマ車のシフト・レバーは単なるスイッチにすぎない。別にレバーにする必要はなくてボタンでもいいんだ。車の操作上レバーの方がやりやすいからそうなっているだけさ」

「困るのはこのスイッチが壊れた場合・・・いったいどのギアに入ってるのか見当もつかない」

とりあえずですね、パーキング、リバースにはちゃんと入るんですよ。でもニュートラルがドライブ、ドライブが2速ホールド、ローはそのまま。

セレクタ―内部の部品が1個砕けてしまってました。しばらく運行停止ですわ。あと15カ月以内に64000キロ走らせなくちゃならないというのにとほほ・・・ 部品出なかったら似たようなサイズのを流用するか、作ってもらうか。

 

もう何度目か忘れた

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ぷらすBLUEことエスクードコンバーチブルの車検です。2006年に検切れだった個体を買い付けるにあたって、「車検一回分だけ乗りたいのだ」と雫さんに頼み込んだのですが・・・まだ乗ってます。いーじゃん、自分のへそくりで買ったんだから。

「そのへそくりって一言の方が問題なのよっ」

当時7万キロ台だったこいつもいつしか33万キロです。そうそう、営業妨害するつもりはありませんが、五桁メーターの個体で走行少なめ5万キロなどというコトバは疑ってかかった方がいいと思います。一回くらいゼロに戻ってます。うちのも17万キロものだったかもしれませんが、いまさらどうでもいいとこまで走ってしまいました。あちこち不安要素もはらんでますが総括すれば頑丈な方でしょう。

 

どのくらい走ってますか?

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火曜日の朝、どんどん晴れ間の広がる蔵王温泉の宿をチェックアウトしてクルマのところに戻ろうとしたら「おはようございます。エスクードのお客様ですよね」などと不意に声をかけられ、雨で外されていた屋外設備を設営しているスタッフさんに声をかけられました。

「あのモデルはもう見かけなくなりましたよね。でもきれいに乗っておられますね。何キロくらい走ってますか」

「かくかくしかじかで昨日、934000キロになりました」

ここから四駆談義が始まったので、そりゃあ真冬の朝早くの出勤は四駆でないと大変だろうなと思って、まあ口調からエスクードでは無かろうと考えてのことですが聞いてみたのです。

「失礼ですが何にお乗りですか」

「ジムニーです。11というやつ。建物の裏に停めてあります」

「あー、僕は71に乗っていたことがありますが、あれに比べると極めて乗りやすくなった型ですね」

てな感じでちょっと立ち話の後、麓に降りる前に裏手に回ってみたらば、なかなかに使いこなされているJA11のワイルドウインドが待機していました。セカンドカーだそうですが真冬の出勤は除雪前の道を登ってくるとか。

「なにしろ私が除雪車を出す役割なので」

なるほどー、この11は立派に働くジムニーなんですねえ。

こういう対話はもう少ししたかったのですが新庄と山形での仕事があるのでそこそこで宿をあとにして二か所の仕事をこなしてから蔵王越えして遠刈田から村田へ降りてきたら、TDA4の消防指令車が何台か後ろにいるのを見つけ、道端に出てきたホームセンターの駐車場に入って指令車の通過する様を撮りました(村田でのアポイントまでいくらもないのに)。昨今はアルミホイール標準なので、そこは鉄チン時代と違って塗装しないのが定番ですね。

 

90年代の茶目っ気

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今ではハンガリーワインの買い付けと販売をやっているスズキですが、90年代には「スズキ・エスクデロ」なるボトルがJCJの会報に載っていました。スペイン産です。現在でも、というより創業170年を超える老舗中の老舗「ボデガス・エスクデロ」のワイナリーは、マドリードから北のフランス寄りに350キロほど走るリオハに、いくつかの醸造所や販売拠点が点在します。19世紀にボルドーワインが害虫被害で壊滅的な生産減の危機に瀕し、リオハに生産地を移したのが始まりです。

エスクデロというのは人名です。現当主は五代目だそうで、1988年に生まれたエスクードは国内ではカタログ落ちしていますがハンガリーでは四代目が作り続けられているので、いずれ五代目に追いつくかもしれません。

前述のとおりこれは当時のスーパースージーに掲載されたものなので、果たして本当に「スズキ・エスクデロ」として取引があったかの真偽は不明です。国内でよく手にする機会があるのはチリ産の「エスクード・ロホ」です。エスクデロのこの会報記事に関してはなんか駄洒落的茶目っ気にも思えるんですよねえ。