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  ~懲りない傾向~

世界海賊口調日

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・・・なんじゃそりゃー?

経緯はこういうことらしいですが。そうなの? 世界的に広まってるの? そもそもなー、僕らが感化されたジョン・シルバーって、若山弦蔵さんが、まあなんとなくべらんめぇ口調でしゃべってたやつだし・・・

だいたい、発祥の日じゃない日を、しかも前妻の誕生日を充てるって・・・

「彼女」は空いているか

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始まってしばらくした頃にはご当人が「空いてる言うな~~~~~!!!」などと笑かしてくれていました江口寿史さんのイラストレーション展『彼女』。でもインターネット上の話題を見ていると、徐々に来訪する人も増えていったようで、一時はグッズ販売にも品切れ入荷待ちが出ていたそうな。

まあまあ・・・混んじゃってるよりはずっといいですよ。ゆっくりじっくり観てこられたし(空いてたと)

実に懐かしい漫画家時代の作からごく最近のものまで約300点を、フラッシュを封じれば撮影自由という大人800円で高校生以下無料は、大盤振る舞いな企画です。イラストレーターに転じてからずいぶん経ちますが、雑誌の表紙や各種プロモーションで活躍し続けてきただけあって、今でも若い世代に注目されているばかりか、見学者の若年世代が女性ばかりだったというのもちょっとびっくりでした。僕の周囲では、そろそろ「白いワニ」が何のことだか通じなくなっているから。

「行ってきた」リポートで引き合いに掲載する写真などで何を撮っていたかは、自身の性癖をあらわにするものらしいです。江口さんを起用した媒体もあーゆーのからそーゆーのまでいろいろあるから、うっかりアップロードできない(笑)けど、これ(ワニ)をあげとくと「優しくない!」と言われるかもしれない。ついでに言うと、広瀬アリスと早見あかりがモデルのそれは、なんとなく「同じ顔してないか?」。開催は16日までなので、この連休がラストチャンスです。

第三惑星の寝起き

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ダンとソガが人工冬眠と自動航行の実験機に乗り組み「第四惑星」にたどり着いたのは、2000年8月30日のことでした。彼らはそこで、電子頭脳や機械に支配された人間社会を目の当たりにし、合理的かつ効率のみで杓子定規の論理に翻弄される人間を放置できず、脱出とともにこの文明を崩壊させました(実行したのはウルトラセブン)。子供心にまさしく「悪夢」のような社会を見せつけられ、そこにには夢と希望の未来社会を構築しようとした人類の英知が介在していたことも想像させられたのです。

よその国では、1997年の8月29日に人工知能スカイネットが自我を持ち、人類を粛正するため核戦争を勃発させていく「審判の日」なんてことも起きていたらしいですが、ウルトラセブンの描いた「第四惑星の悪夢」は1960年代と未来をつないだ物語。帰還後、警備隊内では冬眠処置中に見た夢であろうと笑い話に片付けられてしまうのですが、視聴者側はダン、ソガとともに笑えない未来現実を垣間見ていました。

その判然としない「夢か現か」のひとときから、ドラマベースで19年が経過している今、パソコンとインターネットが実に便利で豊かな社会を構築しているようで、紙一重の危険と明日をもはらんでいるよねえと、あらためて感じるわけです。

これからAIだとかIoTだとかが台頭していくなかで、「あー君、明日から要らないから」などと言われそうな筆頭の場所に自分は居るんじゃないかと、段々実感を伴ってきたところで、昨日の朝は飛び起きましたよ。

夏休みの自由研究

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地方によっては、あるいは教育特区などに指定されている自治体では、ぼちぼち子供たちの夏休みは終了間近です。最近は霰や霙の頃ほど馬鹿みたいな数量の宿題課題は出ていないそうですが、自由研究やってこいと言われると、何をやればいいのか大いに迷ったり思い浮かばなかったりするものです。

で、そんな子供たちに救済策・・・にはならんと思うけどね。

唐突ですが、水戸市の商圏をがらりと変えてしまったショッピングモール。かなり巨大です。これってどれくらいの差し渡しがあるんだろうと、車両の距離計と地図ソフトで計測してみました。

基点となる交差点から、建物がおさまっている区画は直線なので、これを測ると長い方で450m、短い方が350mありました(左図は後述の関係により違う数字になっています)

この縦横寸、空想科学的にどんなスケールなのかというと、こんな数字絶妙に当てはまっていきます。

艦籍番号 SCV-70またはLMSD-71
分類 強襲揚陸艦
艦級 ペガサス級(またはホワイトベース級)
全高 93m説あるいは97m説(艦橋まで約83m)
全長 262m説あるいは250m説
全幅 202.5m説あるいは110m説

モールの建物は上から見るとS字にうねっていますが、あのホワイトベースがミノフスキークラフトで低空から接近してくると、こんな感じの大きさなのであろうと。ぼーっとアニメを見ているだけじゃなくて、そこで語られているスケールを実際にイメージするのは案外大切なことです。

というわけで、身近な巨大建造物と、空想科学的乗り物などをスケール比較するという自由研究は・・・まあ多分提出したら怒られるでしょうかね。

 

 

 

でも・・・真似したくなるのも本音

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人様と同じような構図で云々とか生意気なことを書いてるやろーがいるわけで、そりゃーさぞかし誰も撮らない瞬間を切り取って悦に入ってるんだろーよと、鼻で笑ってやることを、お薦めしましょう。

それでまたなんだって仮面ライダーと人造人間キカイダーの共演なんだ? というこれが笑いのもとです。雑誌企画が成しえた、当時としては画期的で血沸き肉躍る握手。僕の場合ヒーローじゃなくて2台のスーパーマシンにやられたのです。

でもって、数十年後にこんなことやってる。大笑いでしょ?(大洗海岸だしな)

初期のS.I.C.ものって、材質の関係から、関節の可動ができるだけましながらも、無理に動かすとぽろぽろ取れちゃう。結局、サイドマシンに乗せた状態で握手できるところまで、キカイダーの上半身ををひねれなかったし、2号ライダーの自然な立ちポーズにも苦労しました。挙句に風が吹いてサイクロンは倒れる(笑)。

そんなわけで、人様の企画と構図を僕も真似しております。

 

メッセージ1968

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終戦から10年以上後に生まれた僕は幸運だったけれど、子供時代にはまだ敗戦の片鱗が都会でも田舎でも、どこかしらに僅かに遺っていました。怪我のために軍隊にとられなかった祖父と、戦時中子供であった親父もまた、戦後の苦労を経験しながらも高度経済成長期へ生き続けられたことを幸運だったと語っていました。東京オリンピックの頃の我が家を思い出すと、裕福とは言えないよなあという記憶の方が強いのです。

幼稚園児の頃、祖父に連れられて行った上野公園で傷痍軍人という人々を目の当たりにしたとき、祖父はいくらかの寄付をその人たちに手渡したあとそそくさとその場を立ち去りながら、「忘れてはならぬよ」と僕に言いました。祖父は何も教えてくれなかったので、あとから知識を補完していくことになるのですが、うちがまともなうちになっていくのは、70年代に入ってからだったと感じます。

親父よりも僕との年齢差の方が少ない叔父貴が、あの当時どうやって漫画雑誌を買うことができたのかは(昨日、旧盆で帰省してきたから聞いてみたら、友達から友達への回し読みで共同出資だったらしい)知りませんでしたが、そのおかげで僕は「サイボーグ009」を連載当初から読むことができて、おそらく初めてのSFに触れた瞬間でした。

これが数年後、テレビ漫画となった頃は、009世界のフォーマットはすべて頭に入っていたのですが、ある日「太平洋の亡霊」が放送されたとき、戦争と祖父の言葉が同時に胸の内に吹き出してきたのです。この話を解説すると長くなるので、余所の人のブログに頼ってリンクを貼ります

辻真先さんのオリジナル脚本であり、石森原作にはないエピソードのひとつでしたが、強烈なメッセージ性が織り込まれ、しばらくの間は反戦として作ったわけではなく・・・といった、心情を押しとどめざるを得ないようなコメントを制作サイドが語っていた記憶があります。しかし最近の書籍などでは逸話を語りやすくなっているようです。

守るべきは憲法なのか、そこに育まれてきた平和なのか。という議論はあるだろうと感じますが、戦後23年程度の時代、その戦争を体験した人々が作り上げた物語は、009世界を借り受けながらもある種のリアリティを刻んでいました。

いま、戦後74年。毎年この時期の風物詩のように制作されるドラマを無駄とは言わないつもりだけれど、風物詩になっちゃってませんか?とも思うのです。

謎の仮面ライダー

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あす8月15日は、あの「仮面ライダー」こと本郷猛の誕生日なのだそうで、生年は1948年だとか。はー・・・御年云々は置いとくとして、漫画版とテレビ版をすり合わせていくと、漫画版においては本郷家代々の財産を猛が25歳になったら相続させよという遺言が、執事である立花藤兵衛によって語られています。実際には立花さん、その全財産をつぎ込んで、改造された猛の身体を元に戻すための研究所整備とスタッフをかき集めています。

一方、テレビ版では猛が大学生ないし院生で、立花さんはご存じのようにオートレースの選手とコーチという間柄です。

この生年月日自体があとから明らかになっていく肉付け設定と思われるのですが、関連文献を紐解いていくといろいろ面白いことになっているらしく(すいません、それらを読んでませんのでWikipediaをリンクします)、一文字隼人との友人関係がいつ始まったのか、滝和也とはどこで知り合ったのかなどのエピソードが、後年、番組プロデューサーの平山亨さんによって執筆されているようです。

そのあたりはほぼ「仮面ライダー」のミッシングリンクなので、自由な発想が展開したのだと思われますが、猛と滝が「パリ・ダカールラリーで顔を合わせ、後に待ち受ける運命も知らずに語り合っている」という記述には、ちょっと平山さん、それは飛ばしすぎですっとお墓参りをしたくなる「やっちまった逸話」が書かれているみたいです。

「仮面ライダー」が放送開始された1971年、まだティエリー・サビーヌはパリ・ダカールラリーを企画もしていないのです。同ラリーは78年から開催されていて、二輪部門は79年からカテゴライズされました。生年通りなら本郷猛、30歳になっちゃってます。同じ「仮面ライダー」でも、スカイライダーの筑波洋だったら時代がぴたりと当てはまるのですが、彼はハンググライダー部でオートバイは趣味程度のようです。

しかし・・・それはそれで、チーム・仮面ライダーズがダカールラリーに参戦していたら、面白すぎますし見てみたい気もする。その際、砂漠や荒れ地を10000キロのオーダーで走らせてもぶっ壊れなさそうなマシンとなると、どのライダーのマシンがふさわしいのか。

このコンテンツには、つくばーど解釈で一部フィクションのまたフィクションなマシンも加えられていますが、1号からジオウまで、9割のライダーマシンを網羅していますので、検証してみてください。

 

 

気持ちはわかる

4 Comments »

おほほぁー!!!!!

と、唐突に、いわさきさんが雄叫びを上げていた(今月の初めに)のでなんだ?と思ったら

ウルフェス!サイコー!ってできたよー!!!

だって。

いわさきさんといえば、世代を越えてウルトラマンエースのファンだそうですが、最近はウルトラマンジード推し。最新のウルトラマンであるタイガをセンターに擁しながらもその隣にジードがいるシーンは格別だったことでしょう。が、送られてきたスチルを見て、勢ぞろいするタロウ以下新世代ウルトラマンたちに一人だけ違和感を覚えたわけです。妙に男前な雰囲気になっているけれど、これは2013年にULTRA‐ACTでリニューアルされたウルトラマンジョーニアス?

ウルトラマンジョーニアスは、1979年円谷・日本サンライズ作「ザ☆ウルトラマン」の主人公。第三期ウルトラシリーズの第1作目ですが、アニメーションのため、次の「ウルトラマン80」に比べて客演が少なく、歴代をつないだウルトラマンメビウスにも出なかった。着ぐるみが登場するのは意外に早く、「ザ☆ウルトラマン」と同年上映の「ウルトラマン怪獣大決戦」冒頭シーンでした。この旧デザインの着ぐるみは最近まで、アトラクションなどで使われていたようです。

多くの人が唖然とした、登場当時のジョーニアスの顔は全くの別人のよう。80の顔造形もひどかったけど、秀作と云われたウルトラマンレオの次にこれかという出来の悪さ。2013年に可動フィギュアが出たとき、アニメデザインに近づけリニューアルしたことが今回も活かされ、フィギュアのそれとはまた異なるブラッシュアップが成されました。いやー、いわさきさんのジード推しも理解できますが、それ以上に今年のウルフェス向けに仕事をした造形屋さんの気持ちがわかります。

その後の河鹿沢温泉

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河鹿沢温泉は、あくまでも山形県北部を流れる河鹿川両岸に所在する小さな温泉町です。そこに暮らし働く若者がそのようにモノローグしているのだから、誰が何と言おうと「太平洋側には無い」のです。

ここ数週間、久しぶりに河鹿沢温泉を検索してこのブログにやって来る人が増えているので、まさかなーと思って(先月の28日に)本屋に行ったら、なんと吉田秋生さん、「詩歌川百景」という新連載を掲載しているではありませんか。

え、詩歌川(うたがわ)? それは河鹿川のほど近くにある別の流れで、土地の人でも河鹿川の支流だと勘違いしている交差しない川のこと。「海街diary」最終回あとの番外編で語られていたはずですが、それを次の物語に持ってくるとは。

そんなわけですから、今後は河鹿沢温泉や温泉宿「あづまや」の輪郭が、今まで以上に具体的に描かれていくことになります。既に見知らぬ山の名前が出てきたり、子供らの川遊びがなんとなく郡上八幡ぽかったり(岸辺の岩とか橋から飛び込むなんてのはどこでもある風景だけど、今度の場合、実景の方の橋から飛んだら確実に命にかかわります)、あづまやの館内や温泉の描写もあります。しかしなにより冒頭、街を見下ろす風景が見開きで登場するので、

どこぞの同じタイトルの映画に出てくる同じ名前の温泉町の画とは、河鹿沢温泉は別の場所なんですよ

と、あらためて解釈を主張します。間違ってもインスタ映えするかもしれないしと、大挙して出かけて行ったりしないでいただきたい。

だけどねー、話を漫画に戻しますけど・・・また吉田さんの漫画を読めるのは楽しみなんだけれど、やおらお客も含めて20人からの登場人物をごそっと出して状況と相関説明をされてしまうと、いささか興ざめの上、それらの人物がまだ描き込まれていないから魅力的でない。「すず」の義弟である「和樹」が、海街番外編ではまっすぐな青年に育っていたのがほっとしていたのですが、和樹がこの物語をどうけん引していくのか、いろいろ心配です。

・・・ちょっと待て

あの番外編は「海街」最終回から10年後だった。海街そのものがずっと昔の「ラヴァーズ・キス」に寄り添った時代だったけれど・・・

「詩歌川百景」は、いったいいつの物語になるんだ?

割るかな箸がウルトラだ

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ただそれだけ。

でも食いついてしまったのだ。

そして・・・使うことができない・・・

 

それでですね。割箸どころではなくなっているらしいウルトラの業界ですが、庵野秀明=企画・脚本なので「庵野がウルトラ作る」は間違いではありませんよ。でも「樋口真嗣=監督」なんだわこのカード。

紫色の人型決戦兵器よりも前に、この二人で「M78星雲の宇宙人」は、アトランティスの祖先的な扱いでやっちゃってますし、どう切りつけても癖が立ちすぎるコンビネーションですから、賛否の激論からムーブメントが広がっていきそうな気がしますが、庵野さんが云々という部分が独り歩きするのもどうかなと思います。ここで樋口組に期待するのは、昨今の正当版のウルトラの作り方に対して、「あ、特撮ってこうだったよね」といった部分を観られるか否かなのではないかと僕は考えています。だからといって、またぞろ引き合いに出されている実相寺昭雄さんの作り方がそれだというわけじゃありません。あれだって切り口の一つでしょう。

いろいろな人々が危惧しているのは、裂け気味の口元や異様な吊り眼で猫背のウルトラマン、というイメージ造形ではないかと。僕も嫌ですそういうのは。しかもクリーチャー気味なウルトラは「ULTRAMAN」が先鞭をつけているので、今さら二番煎じはやっていただきたくない。そうすると、案外、まっとうな作り方でウルトラマンを描くべきなのだろうと・・・外野が感じてももう遅いよねえ。