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  ~懲りない傾向~

いつもの河鹿沢温泉

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このブログの閲覧情報で、不定期にじわじわとヒットが出始め急上昇するのが

その後の河鹿沢温泉
河鹿沢温泉

随分前の過去記事であるこれらが現れると、テレビ放送局のどこかで「海街diary」がかかっているか、「詩歌川百景」が雑誌掲載されたか。

大抵どちらかの傾向なんですが、「その後の」が付いている方が多い場合は後者です。ひょっとしてー? と月間フラワーのサイトを開けてみたら、単行本の第2巻が発売となっていました。うーむ、便利だ(なにが?)

2巻めだから、まだまだ風呂敷の広がり続けている物語ですが、「海街diary」の実在の鎌倉と異なり、温泉町はおそらく架空の場所(映画のアレは、しつこいようですがあくまで映画の世界)なだけに町そのものを組み立て構成しなくてはならないためか、やや説明的な対話がうるさい気がしました。けれどもそこは重要ではない。「詩歌川百景」は青年・和樹を中心とした物語ですから。

「海街」にも出てくる河鹿沢温泉も、知らないうちに年を経ているようで、「海街」において幸田姉妹を案内した浅野すずが登って行った坂道は階段になっているし、稲森山展望台という名称も付いた。役場の観光課が頑張っているようです。空き家問題にスモールオフィスといった社会問題対策なども描かれ、「百景」の世界観が少しずつディティールを盛り付けられています。

でも、多くの読者は「海街」のその後としての舞台を楽しんでいるかもしれず、展望台からの鎌倉に似た風景の中で、鎌倉に行ってみたいという和樹の言葉を読まされると、このあと鎌倉編が挿し込まれる(もう連載ではやっちゃったのか?)期待を持たされます。

ところで「海街diary」、来月末から東京と大阪で舞台が上演されるんですね。もちろん映画とは別のキャスティングですが、恥ずかしながら知ってる女優がひとりもいねー(汗)

ただ、かえってその方がキャラに移入できるでしょうかねえ。上演の頃までに、コロナ禍状況が好転すればと願うばかりです。

終わってしまっていた

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「女流飛行士マリア・マンテガッツァの冒険」が、知らない間に完結してしまっていました。例によって雑誌で読んでいないから、話題に乗り遅れを避けられません。

第一次大戦直後の、何となく平和でちょっと不穏なヨーロッパ情勢の空を駈け廻る主人公は、日本人として設定したらこれほど魅力を出せなかったかもしれません。

最終巻で、時空混乱か彼女の見た夢か定かでないですが、四代目のマリアがアストロノートとして出てくるのは、途中二代をすっ飛ばしていますが今やっている朝ドラを先取りしていたかのようです。曾孫の時代にしたのは、おそらく「火星探査」だと三代目がやっているはずで、もっともっとフロンティアに向かわせようという意図から、三世紀くらい先のマリアに「木星探査」を委ねたのかと思われます。

彼女が子を授かるニュアンスも描かれているので、四代目というのは「女流パイロット」が家系で四人目ということか。たぶん男の子はカウントされていなくて三世紀後だから、実際にはもっと世代を重ねているのでしょう。

全八巻、面白い漫画です。

蘇っちゃってたよ

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市川崑さんが監督した「火の鳥黎明編」が、まさかの復刊ドットコムによる再生。というか、デジタルメディアでは初のBlue-ray化です。先月発売になっていたようですが、知らんかったわ。もうたいていの人が悪い評価しかしない映画なので。でも、手塚治虫原作ですよ。そんな高尚な物語描きにはならないものではないかと。僕は既にAmazonプライムで視聴権利を買っているので、今更なんですが買い足しです。

ちょっと自信ない

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という、表題に使ったある人のセリフだけで、これが何を表現しているのかお分かりになった人は、気が合いますのよ。

土浦での展示物のなかで、一番笑いを誘った。

異形の美学

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髑髏のモチーフが企画段階で疎まれ、バッタやイナゴのデザインに置き換えられたことと、「仮面」というガジェットを組み合わせた「オートバイでやってくる謎の男」のいで立ちは、少なくともМ78星雲から飛来した宇宙人の神秘性(ウルトラマンだってよくよく考えると「グレイタイプ」で異形の域なんですが)とは対極を行く怪奇性を醸し出していました。

でもそれがかっこよかった。

そこから何代もの後継が生み出されていく中で、「マダラオオトカゲ」(いませんそんな爬虫類)という強硬策で、バッタモチーフからいったん離れたデザインは、当時の子供には衝撃的な事件でした。

トカゲの顔があんな卵型複眼であるはずがないのだけれど、異形どころではない姿ながら、きちんと「仮面ライダー」のフォーマットが継承されていたのは凄いことです。

最初のバッタ型改造人間から100年経つと、「仮面ライダー」はこんなデザインになるという試みが行われましたが、なんだこれは白アリ(つまりゴキブリの亜種)か? と思ってしまう異形の形ではあるものの、これがかっこいいのかと考えると、全然受け止められないのは、僕が昭和のヒーローで育った世代だからなのでしょうか。もしそうだというのなら、僕はその方がいいやと、仮面ライダーセンチュリーを見て嫌悪するのです。

グリフォン参上!

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「TVシリーズから『劇場版2』にフォーカスした展示会が、グリフォンの聖地・土浦で遂に開催!」

なななな、なんという外連味にあふれた文言であることか!

というパトレイバー展が来月の13日まで、土浦駅西口横の市民ギャラリーで開かれておりまして。

すごいですよねえ。「グリフォンの聖地」って言い切っちゃった主催者は他ならぬ土浦市です。「機動警察パトレイバー」をご存じの方ならば、アニメ、コミカライズ版ともに頻繁に「シャフトエンタープライズジャパン土浦研究所」が登場するので、「おー」と膝を叩いてくれることでしょう。フロアの最初のコーナーは、土浦研究所謹製のグリフォンとシャフトの面々の展示しかありません。展示画は撮影できませんが、センターにあるグリフォン立像は写せます。

展示目録が無かったことは無念でしたが、グリフォンから一歩引きながらも、特車2課の装備やイングラムの模型展示もあり、設定寸のリボルバーカノンももちろんある。上海亭の岡持ちもあれば、「あんなの」まである。一連の展示はヘッドギア側からのパッケージ貸与なのでしょうけれど、土浦以外だったら小笠原でないとグリフォン主体の企画にはなりません。いろいろと小芝居の効いた二大(よく見ると3台)レイバー土浦市役所前の激闘という葉書がもらえます。

いやー地元(広義の解釈)でこんな充実した展示会が見られるとはありがたいことで、主催者である市役所の人に「面白かったです」と申し上げながら、よくぞこんなにマニアックな企画を通されましたね、マンガ読んでないと出てこない発想ですよと伝えたら、

「ウィキペディアの『土浦市』の項に書いてありました。それで知りました」

・・・・ ←このあと太田功巡査の得意台詞を言いたくなった。

なぜ土浦なのかという原典はもちろんマンガや映像によるものとして正しいことですが、当然ながら三十代や二十代くらいの人だと、土浦研究所がどこにあるのかという裏話的なことまでは知らないよねえ。

すごい・・・親父が熱中するわけだ

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って、自分の子供に言われたくないなあと感じた第一印象。過去の設計、稼働情報をもとに新しいコンセプトも加味して作られたという設定だそうですが、

なんとも格好悪い。

こんなに細身で足長で八頭身。脚部のひ弱さがもう見ていられないくらい。今更ながらに押井守さんの2足歩行人型嫌いを理解しました。

まあね、監督ご自身が「眼玉が2つでツノついてりゃみんなガンダム」と揶揄したこともあるわけですから、これもまたガンダムに違いないのですが、こりゃ確かに背後で支持しなかったら歩くどころか自立だってつらいでしょう。立像って、動かさない方が動作の想像ができるんだなあと思わされました。少なくともお台場に作られた最初のやつはそうだった。どうせならこの足場の中に斜めに傾けて格納しておけば、それっぽく見えたのに。

工業デザインだというけれど

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「仮面ライダーBLACKSUN」に登場する、いわゆるライダーマシン、バトルホッパー。

意図は読み取れなくもないけれど、

これはひどい!

特技監督を担当する樋口真嗣さんは、「工業製品としてのデザイン」「実際にバイク屋に鉄板叩いて作ってもらって公道を走れる」「この形はドラマに関わってくるもの」などと嬉々として話していましたが(大体そんなコメント)、そういう問題ではなくて、工業デザインを手がけたデザイナーのセンスがひどすぎる。旧作のバトルホッパーもまた、「サイクロンではないライダーマシン」という命題をもって作り出された、ひとつの工業デザインなのです。

往時のまんまの形で出せよとは言いませんが、仮にも仮面ライダーBLACKのリメイクなのですから、こんなヘッドパーツで良いわけがない(と、俺は思う)。どのような出自設定で、どう扱う演出なのかは知りませんが、東映の大道具や玩具屋のデザイナーのセンスの方が、工業デザインを念頭に置きながらライダーのバイクをイメージするうえでは数段高いレベルじゃないですか。左図のマシンフレームなんか、カウル交換でバトルホッパーからアクロバッターにもなるのですから。

人間は超人を信じない

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マーベルコミックのウルトラマンの続巻が年末に出て、まだまだ風呂敷が拡げられていくのですが、半世紀経ってマーベル風味で構成し直すと、こんなことになるのかという象徴的な構図。冷静にとらえれば、ウルトラマンだけが何者にも怪しまれず地球に滞在していられるはずはないのですね。このウルトラマンは、ハヤタの意識に様々な場面で語りかけ、介入してきます。これほど融合者と対話するウルトラマンは、過去にはいなかったかもしれません。

かつてハリウッドで作られたウルトラマンパワードでは、カイと融合する際「君の心には決して干渉しない」と言わせたアメリカも、作画上それではまとまらないという判断でしょうか。それよりも最後の最後でこの人が出てきてハヤタを襲っちゃうのか。ウルトラマンに対して武闘派というイメージ付けは内外あまり変わらない。いずれにしても、僕のような世代が刷り込まれたウルトラはこういうものじゃないなあと、いまさらながらに思い知らされます。

騎虎の勢い

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一昨年の大晦日に家内の実母が無くなり、昨年3月には僕の親父が逝去しました。親父の喪はもう少し続きますが、親父だからもういいや、で、本年は年賀の戯言を書かせていただきます。

その昨年、半年にわたってTD61WのV6エンジンをオーバーホールに費やし、下半期はほとんどこれに乗ることがありませんでした。エンジンを預ける際、やれることはすべてやってほしいと依頼し、まさか半年もかかるとは思いもよらず、その後はもう「乗り掛かった舟」の心境で待つこととなりました。英語圏では「船は海に出たら進むか沈むかだぜ」と云うらしいですが、勢いで敢行したオーバーホールは部品ストックの枯渇(メーカーが保管コストを削減するため部品を放出してしまった)に阻まれ、待てど暮らせど車が戻ってこない日々が続くのでした。

この故事、『隋書・独孤皇后伝』によれば「大事すでに然り。騎獣の勢い、必ず下ることを得ず」とのお言葉で、「ここ一番のときですからねー。虎の背なんかに乗って勢いよく走り出ちゃったんだから、振り落とされたら食われて命はありませんよ。そんなわけでもう下りることはできないんで、努力して下さいねっ」とのこと。努力してねと諭されるだけで振り落とされずに済むなら世話ねーよ、です。

かくしてBLUEらすかるは、車検切れ直前に2500ccの6気筒に火が入り、無事に息を吹き返しました。なんだかどこかのヒーローが絶体絶命の淵からパワーアップして蘇るあれみたいです。オーバーホールしただけなので、パワーアップなんかしてませんけど。とはいえ、おそらく現存する同型エスクードのいずれの個体よりも、エンジンと、新調した足回りだけは優位に立っています。フレームと車体の方は、ディーラーに見捨てられたくらいに満身創痍ですが。

さてこの個体、現在820000キロ。騎虎の勢いで走り出したら、もう力尽きるまで往くしかありません。何処へかって、オドメータを一周させることですよねやっぱり。