出世したもんだ
本日、タカラトミーのトミカシリーズに四代目エスクードがラインナップされますが、国内メーカー産ミニカーでスズキエスクードがリリースされるのは実はこれが初めて。一昨年の初代モデルの突然のあちこち製品化(ほぼすべて海外)を別にすると、初代はイタリアのブラーゴ、二代目には商品自体がなく、三代目をドイツのリーツェが扱って以来ですから、快挙でしょう。はてさて「国産名車コレクション」はあっという間に書店から消えましたが、今度はどうなることやら。
あっ、今日ってつくばーどの忘年会だよ。買い出しとか設営とかやってたらおもちゃ屋に行ってる時間ないじゃん(馬鹿)
とか言って「ある」んですけどね
輝く強化服
インターネット上のクロニクルやDVDのライナーノーツを読み比べると、「光速エスパー」の企画から初期の漫画連載の時期に解釈の差がありますが、東芝のマスコットキャラクターとして立案されたのが1964年、デザインを担当したあさのりじさんが漫画連載を始めたのが66年(65年説もあり)と言われています。企画年次で言えば「サイボーグ009」と同じ頃の誕生で、エスパーは漫画に先んじて町の電気屋さんのシャッターに描かれ人形が置かれる形で登場しました。
あさのりじさんの漫画連載が、もう半世紀前のこと。おそらくは宇宙服にロケット推進機(光をエネルギー源とするのでロケットと言ってよいかどうかは微妙ですが)を取り付けアクセントとしてヘルメット横にアンテナを張り出すという発想が、当時の未来的SF的なデザインコンセプトとなったと思われるエスパーの姿は、実にシンプルでスマートです。
さすがに(009は読んでいたのだけれど)あさのりじさんのエスパーはリアルタイムで触れていません。67年に放送開始された特撮テレビ番組が、ファーストコンタクトでした。元のデザインに対して気密性はどうなってるんだ?と子供心に目をむいたヘルメットでしたが、『背中にファスナーが走っている銀色の宇宙人』よりも、『人間が着る強化服』としての説得力が勝り、シンプルさとスマートさを再現したスタイル、今思えばスポンサーメーカーの家電製品を取り入れた『7つの能力』がまさしく当時はかっこよかったのです。
50年前、こんなセンスのデザインが生まれていることに感心する一方、今だったら強化服の概念がマテリアルごと変貌してメタルメタルしちゃうだろうし、あれもこれもとギミック満載を形として取り込んだごてごてのデコレーションでなければ通らないかもという時代の流れに寂しさも感じます。が、その血脈が絶えているわけでもなく、いくつかのスーパー戦隊のベースコスチュームを強化服とみた場合、めちゃくちゃシンプルではあります。しかもマテリアルとしては合理化しすぎてかえってチープになっているものも多いような印象があります。
特撮のエスパーのあと、松本零士さんの漫画とは、偶然にも松本版バシウト追跡者編(便宜的にこう書く)の最終話から読んでいました。だからいきなりシリーズが終わってしまって、次から読み切りになるし雑誌が変わって行方知れずになるし、これまた再会した時にはエスパーが人形大のアンドロイドに設定変更されていて、しかもそれを読み始めたら次の回で最終回だったという、とんでもなく光速に通り過ぎて行った主役でした。
その後80年代に一度、若手による漫画とアニメーションでのリメイクが企画されましたが、ここはいろいろあってタイトルを踏襲できずに漫画連載が数回行われて幻に終わっています。まあリメイクしようという発想はともかく、以前の作品を超えたクオリティもなかったのですが、前作たちも強化服というコンセプトの表現は活かしきれていなかった感があります。
強化服の超性能と、超能力者を示すエスパーには違和感を伴う開きがあったし、光速という枕詞も理論との突き合わせはなく、エスパーが光速で飛んでも浦島効果は起きない。これを開発し管理しているだけの一人の博士が世界的な危機管理対策の拠り所にもなってしまう。それでもこれらが好印象で記憶に残るのは、子供の想像力だけ膨らませた、おおらかな時代だったからなのでしょう。後に「宇宙の戦士」で『パワードスーツ』と出会うまで、エスパーの強化服がすべてでした。
そして巡り合う日々
それは「プラネテス」最終話のサブタイトルですが、現在放送中の「ハイキュー!! 烏野高校 VS 白鳥沢学園高校」の第九話から、前回まで烏養繋心を演じていた田中一成さんに代わって、江川央生さんが声を当てることとなりました。
なんで今更と思う人もおりましょうが、首都圏では三日の放送であるこのエピソード、仙台の東北放送では六日(正確には七日深夜)なのです。
田中一成さんはこの十月に急逝されまして、その訃報が報じられた日に、東北放送ではこの番組が放送開始されたのです。それもまた因果な話でしたが、この漫画の大ファンである娘らによると、田中版烏養の声で聞くことのできた「下を向くんじゃねえーっ」のエピソードは、ハイキュー!!ファンの間でも語り草となっている名シーンで、前回の放送をリピートさせてみるとなるほど象徴的だなあと思わされます。残すところ二話というタイミングで後を託された江川さんには、烏養らしさを引き継いでラストスパートを走り切ってほしいと感じます。
「言うなーっ! 私のいるところじゃ放送自体やってないんだーっ」 ←霰の雄叫び(やーい)
田中さんというと、とーちゃん(僕)は「プラネテス」の星野八郎太を推しています。多感?な宇宙労働者、どちらかと言えば人の良くてガラの悪い熱血漢という八郎太のキャラをうまく演じられて、しかし声を当てるごとに血圧上がってそうだなあと心配したくなる熱演でした。
それぞれ録画やソフトで声は残せているけれど、あのテンションの田中声キャラがもう新たには観られないことが残念でなりません。
HOW TO BUILD 次のGUNDAMへ
HOW TO BUILD GUNDAMとHOW TO BUILD GUNDAM2が出版されてから35年にもなろうとしている今(どちらも2009年に復刻版が出ているそうですが)、お台場に自立している設定寸大のガンダム(これも2009年に建造されました)というのは、立体造形としての最先端、ある種最高峰と言えたでしょう。
HOW TO BUILD ~は、1と2を読み比べると、1だったら自分の腕でもどうにかできるプラモデル改造でしたが、2に至ってはとてもついて行けない高難度技術(当時)のオンパレードでした。
僕も80年代には、ガンダムよりもザクだったら中隊どころか大隊規模の数を作りましたが、マスターグレードあたりで部品点数の多さに根を上げ、模型からは手を引きました。そのマスターグレードですら、モデラーは一手も二手も上の改造をし続けていくのですけど、僕の言い訳としては、300円キットの人形然としたあれをどういじるか。といった楽しみが無くなった時点で、ガンダム模型に魅力を感じられなくなったのでした。
それが巡り巡って設定寸大(実物大、という言い方は適当ではないと思うのですが)が「建って」しまう時代になって、全国津々浦々で木彫りの仏像を思い思いに彫り続けていた仏師に対して、資本と政策(違うか)にモノを言わせて大仏を建立しちゃう構図を思い描いてしまいました。
そうして7年も経つと、不偏に思えたコンテンツも幕引きせざるを得ない時間の流れが巡ってくる。設定寸大のガンダムも来年3月から撤去と聞くと、いよいよ次なるHOW TO BUILD へのステップなんだろうと考えさせられます。
VRやARではない、動くガンダムへのプロジェクトが、立案から年数的に現実味を帯びてきた。技術的にはどうなんだか不明ですが、イノベーションの世界としては楽しみが尽きません。世の中じゃ実際に車からロボに変形する自動車計画(なんか変な言い方だけど)も発表されているし、作っちゃった事例もある。動くガンダムどころか自走できるスコープドッグも、僕が生きているうちに出現するのかもしれません。
古典の解釈
NHK総合でのアニメ化は、この漫画にとっては恵まれたチャンスでしょう。他局だとダメ、というのではなく、現場にとってはどうかはわかりませんが作品自体は意外と優遇される傾向はありますから。同様に誤解を恐れずに言えば、月刊ヒーローズではない雑誌が取り上げても良い力を有していると思います。そこを素直に表現するなら、月刊ヒーローズこそが秀作を見出したということでもあります。
物語は言うに及ばず、後に造られ、捨てられ、拾われながら科学の子として活躍するロボットを、作り手も育ての親もまだ予見していない時代のお話。これを古典と言ったら問題発言ですけど、鉄腕アトムは古典的名作ですから勘弁してもらうとして、その前史を紡ぐという試みは単に古典をリメイクすることとは異なる価値があります。アトムの誕生編には最終回から派生するその後編が絡む場合もありますが、それとは切り離して、アニメも漫画も新しい考えで乗り切ってほしいです。
で、ここからが重要なことなんですが、作り手が一所懸命作っても編成がそれを理解していないのが最近のテレビ局。ことアニメ番組に関しては格下に見ている感が強いNHKは、やたらと放送時間を瞬間移動しやがり、ややもすると大相撲とかスポーツ特番とかがかかると休止させやがります。あれでは録画もままならない。放送時間帯を熟慮しなさいよと言いたい。
やっとこさ後半戦へ
シャア・セイラ編を締めくくる第四部が封切られ、ようやく「機動戦士ガンダムTHEORIGIN」は来年以降の後半へ移行のようです。最初の本放送で、ザク・モビルスーツがサイド7に潜入していくシーンを、学校帰りの商業ビルの家電売り場で見てから、どんだけ齢くったんだ?。前の週に破嵐万丈が生還したのかしなかったのかのあの幕切れを見せられ、友達との議論が続いているなか、なんだかザンボットともダイターンとも違う、妙な空気を感じたときには十代だったんですよ。
冒険王に掲載された「主人公が着こむ」と書かれたモビルスーツの設定画を見て(OUTとかアニメックよりもそっちの方が早かった)、4色も使ってるガンダムよりもガンキャノンの方がいいな、とか思ってた赤い機体が、いまやザク並みの量産モノでグレー塗りですよ。さらに脱線すると、300円プラモデルが世にはびこる前に手にしていたのは、亜鉛合金製の肩と膝関節くらいは動くガンダムで、それに着色させるのはどうやったらいいんだ?と頭を抱えていましたよ。
この番組の後の大増殖は、つまるところジオン・ズム・ダイクン暗殺や「ジオンに兵無し」やルウム戦役や、前史を含む宇宙世紀上のミッシングリンクを紐解く面白さを、ファンが展開したことでしょう。それがサブカルチャーから産業化をたどり、巡り巡ってORIGINへ戻ってきたように思います。中でも最も大胆に穴埋め、というより掘り起こしを行った過去編。シャアの誕生譚部分は僕は大嫌いですが、脇を固めた人々をよくもまあというくらい魅力的に引っ張り上げました。
当初、四部作は過去編全体の構想ではなく、シャア・セイラ編であることを、途中まで認識していませんでした。要するにORIGINはこのあとの二話分も過去編。まさか本来のORIGINプロローグはガンダム誕生四十周年あたりに始めるつもり? 確かその頃、実寸大RX78を動かす計画も進んでいるわけですが、もはやファーストエイジからはコンテンツ自体を取り上げられちゃった感が強くて仕方がありません。過去編でザビ家のロマンスを見られただけで充分ですけど。
風切る鉄拳
なぜ今『破裏拳ポリマー』を特撮映像化するのか。なんて無粋な問いかけはしません。科学忍者隊よりも新造人間よりも宇宙の騎士よりも、この番組の世界観が好きでして。一度リメイクされた折にも、続きを見たかったのに完結しませんでした。ポリマーの面白さは、能天気さを纏った影を持つ青年、強さと表裏一体の弱点なのです。零下50度で活動不能となり46分1秒を過ぎたら命を落とす。信念のために素性を隠して日常は昼行燈という主人公はかっこよかった。
あのありえない各マシンへの転身ぶりは目をつむってました。あれが重化合物ポリマーの威力と形状記憶再現能力なんだと。ついでにアメコミテイストばりばりのタツノコヒーロー造形も、まあいいやで過ごしていた40何年前です。こういう造形に至る世界観や設定を、この映画がどれだけ理解して再構築してくれるのかくれないのかが、関心事。このコスチュームは格闘ができるという条件を満たさねばならないとしても、重化合物の鎧というより、「単に強化服」になっちゃってるなあ。
33年ぶりの近現代
NHK2019年の大河ドラマが、1912年のストックホルムから1964年の東京開催までの52年にわたる「オリンピック」を素材にすると。昭和が舞台となる大河ドラマは33年ぶり。放送翌年の大会にタイアップしての話題づくりは、やらしーほどの飛ばし方ですが、国獲りものも維新ものも使い尽くした感がありますし、といって太平洋戦争を真っ向からという博打は打てないとすれば、今後の大河ドラマが取り組むべき歴史のレンジを広げるには良い機会だと思います。
それで・・・なんでジャミラが出てくるんだ俺のブログ?
ウルトラマンの第23話に、代々木第一体育館が国際会議場のふりをして登場してくるからです。当時、丹下健三さんが設計したこの建物は今でも東京の顏のひとつです。どこにもなかった造形と建築手法は、円谷プロの大道具も作って添えたかったに違いなく、しかしそれをどーんと映しちゃうのはどうなんだ? ましてや壊しちゃったら何言われるんだ? と葛藤があったかどうかは知りませんが、ちらちらとしか映らずジャミラの侵攻も直前で阻止されてしまうのです。
翻って大河ドラマの話。脚本を工藤官九郎さんが手がけるというのも話題。ただでは済まないドラマになるのか、意外と枷をはめられちゃうのか興味は尽きません。
だけどいくらおっさんになってしまったといっても、リアルタイムで知っているのは64年の大会だけなんだよなあ。今の自分よりも若い僕の親父は、ラジオやテレビ放送からオープンリールのテープレコーダーに様々な音声を録音しては散々なまでに聴かせたもので、
『見えた! 見えました! オレンジ色の炎! 白い煙をたなびかせ・・・』
という聖火リレーの実況放送を、つい覚えちゃいました。
このことを思い出すと、テレビの娯楽に時代劇、戦国ものを嗜好していた祖父母の時代から、大河ドラマの企画内容も父母の時代にスライドし始めている。でもやっぱり視聴者層のターゲットは依然として高齢層なのではないかとも感じます。少なくともこの手の国際大会を僕が自ら実感するのは、72年の札幌冬季大会です。
それにもまして、いくらなんでもこの大河ドラマが描く東京の世相に、ウルトラマンは3年ほど間に合わないんだけれど、54年のゴジラとかは出てこないよね。67年に放送されたウルトラマンにおいては、どこかの山中に不時着して出現するジャミラが焼き払う山村はまだ茅葺。逃げ惑う人々の服装も60年代を切り取っています。余談ですが、唐草模様の風呂敷がクラシックに見えるようで、でも今でも使われているアイテム。時代を貫いてます。これはきっと大河にも出てくる。
諸国勇者控帳
そりゃやっぱり初代を越えるのは大変、と言ってしまうと嫌味になっちゃうかもしれませんが、巨大な割には軽快感のある姿が良い意味でミスマッチしていただけに、この四代目造形はちょっと違うんじゃないかなあと。むしろ思いっきり変えた三代目の方が潔さとかっこよさを感じてましたから。
この流れが、なんだか我々が接してきたスズキエスクードの変遷にも似ているような気がするのは、たぶん僕だけですよね。