週一の温泉をキャンセルしてまで食べた蚕豆。
伯母にお礼の電話をしたらば
「少しで悪いね」と言われたんですが
四軒で分けて、おのおのスーパーで売ってる5袋分くらいは
余裕であったんですけど・・・
歴代エスクードのミニカーの中でも、B級ゆえに出自がほぼ謎というプルバックダイキャストの初代。90年代末から数年、高速道路のサービスエリアや温泉地の土産物屋で売られていた中国製のあれが、今どき表舞台に出てくるとは。県南に住むらしい高校生が趣味でフリーマーケットで売られているミニカー類を購入したもののようで、やはり正体不明で情報を探しておられる。
というより・・・
彼はいろいろ調べ物もしてくれて、うちのサイトに辿り着いてくれたみたいですがごめんなさい、うちでも詳細はわからないままに掲載しておりました。有識者とまで言ってもらえているのに役立たずなサイトだよつくばーど®(泣)
そう言えば、このミニカーをサイトに掲載したとたん、台湾やら韓国やらからのメールが殺到して「何処で売っているのか」ばかりの質問攻めに遭いましたよ。「日本に来るなら成田空港往復の途中でパーキングエリアに立ち寄れ」と返信したら、「買ってきて送ってくれ」と。いい加減にしろよの顛末でした。
その手があったかと膝を打ちながらも、きっと偶然の発見なんだろうねえと思います。こんなものが今、オークションに出てきたらいくらするんでしょう?(いやー、俺まだ三個くらい持ってるけど)。当時の単価は500円でした。
部品が出ないぞと悩まされていたにもかかわらず、主治医は突貫でフィガロの修理を完了させてくれました(あと=中断しているBLUEらすかるΩのこと=がつかえてんだ、という我が家の事情は内緒)
結局ウォーターポンプとタイミングベルト、ベルトテンショナーの交換に及び、付随するОリングやらホースやらシールやらガスケット、パッキン類は一部「たぶんこれ使えるよね」という似たようなやつを調達してもらいました。
「というわけで諭吉6人と右半身を支払ってきた」
とか内輪で馬鹿なことをやっていたら、霙からメールに添付された身の毛もよだつ写真が・・・
・・・・・
それにしても我が家のエスクードでは初の事例です。初代じゃ有名な壊れ現象なんですが、ぷらすBLUEはラインアウトから33年目と、なかなか頑張ってくれていました。
部品出なかったらsuuuさんのやり方で直すしかないな。
インターネット上のニュースで、009舞台挨拶の記事にて「オレンジのマフラー」という表現がありまして。往時の石(ノ)森章太郎さんはそれほど深く考えずに黄色で塗っていたはずなんですが、今だとオレンジ色に見えるんですね。異論はありません。そもそも「赤いマフラー」(当時の映画版)は、009としてはさほど似合っていないし、一人だけ白い防護服もまた然りですから。意外にも「オレーンジのマフラーなびーかせーてー」か「オレンジのーマフラー」で、あれ歌えるという・・・
例によって長い前置きになりました。先日、サイボーグ009の舞台を観に行ったという和邇お嬢ねーちゃんから、プログラムパンフレットやトートバッグやクリアファイルが送られてきまして、ほーほーどれどれと内容を読みますと、
といっても009ですからだいたいのストーリーは想像できる直撃世代のじじぃです。むしろ「水曜どうでしょう」のクリアファイルがなぜ入っているのかが謎で混乱しかけましたが、舞台会場で入手した009の舞台/原作を表裏に描いたカードが折れ曲がらないようにとのお嬢の配慮だったと、あとから気がつきました。009誕生60年は、舞台劇という新しい素材によっても若い人たちに平和への願いをアピールしています。
しまった・・・空は水色じゃないし海も青くないわ(ちなみにタイトルの歌詞も本来は漢字を使いません)
もともと3月には食玩系の小さいやつが届いていたのですが、例によって組み立て塗装済み完成品とかぬかしやがって実物はバラバラだったので放棄しておりました。SHFのシンサイクロンはこの状態でパッケージされています。
シン・サイクロン(紛らわしいけど旧タイプの方)は山の上で撮影したので、今回は海岸でと思って夜明けの時刻に合わせて那珂湊まで行ったんですけど、当たり前に強い逆光。影にしても趣味的には良いとはいえウェブに上げるためにはディティールを出さねばならず、照明はクルマのヘッドライトで代用です。しかしマスクをヘルメットのように置いたつもりなのに、どう考えてもライダーがタンクに噛みついている風にしか見えない。
BLUEらすかるのヘッドライト光はHIDでかなり白いので、ハイビームにして上方に散らしたのですが上の写真のように反映されて玩具感も滲み出てしまいます。
趣味的には照明の光源を使わないこちらの方がそれっぽいのですけどどんなもんでしょうね。
突如、四国在住のCyberKさんから電話があり、「ラジエターが破損して修理見積もさることながら期間が長くかかりそうで、修理を諦めて家族向けの車に乗り換えることにしました」と、驚きの報。彼自身はもっと心中痛い思いをしているものと感じましたが、あちこちの四代目中古車をあたってみたもののやはり価格よりも手元に来るまでの日数がかかり、暮らしに支障が出ると断腸の決断でした。
Kさんは2004年夏のつくばーど®in岩間に、当時乗っていたグランドエスクードでやって来ました。あの頃、この移動距離をこなしてくる人はなかなかいませんでした。それを何度かやってのけ、2011年には震災直後の石巻にてお互い仕事の場として再会するなど、なにかと縁のあるエスクード乗りです。そうか20年か。でもこの20年はひと区切りでしょう。乗り換えで去る人もいますが、僕はここにいますから。