可変戦闘機VF1に割り当てられたネーミングがバルキリーであり、VF25にもなるとその名は使えないだろうと思っていたら、メサイアというコードはついているものの、やっぱりメサイア・バルキリー。栄光ある呼称としての代名詞と認知されてしまったバルキリーは、タカトクトイス時代のVF1でも驚くほどデザインを再現して、ボリューム感にもあふれた名作玩具だったと思います。
このメサイアは、当時から四半世紀を経た今手に取ってみると、玩具としてのデザインや可変技術、作り込みには感嘆しますが、スーパーバルキリーやストライクバルキリーのボリューム感とは違う、なんとなくな薄っぺらさを覚えます。
増加パックのないスタンダードなシルエットは、YF19(やまと製)の玩具の時以来の「買ってこよう」と思わせた出来映えです。でも、トルネードパックは、趣味的に砲身の細さと取り付け位置が好きではないのです。それよりなにより、代を重ねて開発されるパーツは、増加ミッションありきで設計されるから、機体にフィットしすぎるのですね。VF1の増加パーツも、アーマードはそれありきで開発されたのは間違いないですが、スーパーパックやストライクパックは、「この機体のどこにどう増設しろってんだ」と、開発陣が苦肉の策を施したというような、なんとなくとってつけた姿がかっこよかった。エリントシーカーなんて、なにもバルキリーを哨戒偵察に使う必要なかろうという常識を覆してレドームくっつけたところが面白いわけです。たぶん、飛べる機体がVF1しか無かったんだろうなあと想像できるし(宇宙で使うなら、デストロイドにくっつけてもいいんだろうけど)
それでもVF25の何に安心(?)するかというと、見たくもなくなるような姿には変化していないことです。あとから知ったことですが、この機体はVF171・ナイトメアプラスの後継機として採用されたという設定だそうですが、VF1シリーズを踏襲しているように、戦闘機の「らしさ」を保っているところがいい。いやそれは、F-14やsu-27が原型なんだから当たり前なのですが、おそらくマクロス時代のオーバーテクノロジーを持ってすれば(あのモンスターだってあとから変形したんだし)、かなりへんてこな未来宇宙デザインにだってできるはずです。そしてむしろ、その方が合理的な機体構造やデザインになるかもしれない。そこを曲げずに航空機然とした姿で出てくるところが魅力で、そういうことならバルキリーの名を捨てられずにいても致し方ないよなと、妙に納得してしまうのです。
などと適当なことを書いているモノの、マクロスフロンティアって見たことがないのです。ランカ・リーの声の人が同郷だって?(リン・ミンメイのときと同じじゃねーか)と書きながらも、ランカ・リーって誰?な、いまどき状態・・・