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  ~懲りない傾向~

冬   至

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太陽が南回帰線にあって、北極圏に極夜、南極圏に白夜の訪れる冬至。ゆず湯に入って小豆粥とかぼちゃを食って、家族団欒を楽しむ(うーん、早く帰れっかなあ)と、翌日はこの追い込み時期に恨めしくもありがたいお休みです。こういう行事は日本の、とは言わぬまでも、東洋独自の文化なのだろうと思っていたら、古代ゲルマン人も冬至を祝っていたとか。太陽の光が当たる限界緯度、66・6度以北の北極圏では、昼なお太陽の無い極夜が訪れるわけですから、古代の高緯度においては秋から冬にかけて日照の短くなる季節は、ある意味この世の終わりにも似た消失感と気候の寒冷化が厳しい仕打ちをしたことでしょう。

しかしこの地軸の傾きによる天文的な現象は、ちょうど今頃をピークに逆転していき、夜の季節から昼の長さが取り戻され、春へと移行していく再生のきっかけとみなされていたそうです。

これを、哲学屋さんか宗教家さんが、自ら気がついたか天文学者に教わったか、諸々の説教に織り込むと使えるぞ、と、思ったのかもしれません。古代のゲルマンの人々は、冬至に相当する頃、ユールと呼ばれる祭で、冬から春への兆しを祝ったのだとか。このゲルマン民族が溶け込んでいったローマ帝国あたりでは、農をつかさどるサトゥルヌス(クロノスのこと)神が、太陽の南への傾くの食い止めた考え、冬至の祭りを前後一週間くらい、あらゆる公的システムを休みにしてしまってぶっ続けでお祝いしたという話です。

んー・・・これは春の芽吹きと農耕の祝いという、3月のマルス神の話とよく似ているところもあるのですが、ローマ帝国はローマ帝国で、宗教的にはあちこちの影響を受けており、国力が衰退してくると信仰の面からいろいろなものが台頭してくる。そのなかで、太陽信仰のミトラ教と、キリスト教が幅を利かせていって、対立や摩擦を避けてキリスト教を取り込む際、太陽とも唱えられていたキリストの降誕祭の日が冬至の12月25日と定められたのでした。と、だいぶはしょりましたが物の本に書いてありました。

・・・するとなんですか、クリスマスの起源はローマ帝国を介して古代ヨーロッパの冬至に結びついていて、文化圏は異なるけれど天文学的に同じ季節感を味わっている北半球のアジアの冬至も、実はプレ・クリスマスを祝っていると。いやいやいや、それはローマ帝国の都合であって、少なくとも日本の場合はゆず湯と粥とかぼちゃで風邪をひかないようにという程度の風習でしょう。たまたまどの地域でも冬至を文化的に楽しんでいるのであって、 宗教観でくっつけちゃえるものではないと思いますが・・・