Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

謎の石膏像。

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少年剣士?

少年剣士?

レイドのCP1でしたが。
アニさまが「ここ(建ってる施設)の人もいわれを知らないって言うんだよね」
と言ってましたねぇ。

土台の部分に、新治中って文字があるんだけど。
中学生の卒業生製作か何かかしらん?

冒険者

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伊能図西暦1800年の6月11日(改暦前だと寛政12年閏4月19日)。日本列島の形と大きさ、長さを知りたいという探求心から、伊能忠敬さんは子午線間の距離を測ろうと、蝦夷地へ向けて第1回目の測量調査に旅立ちます。幕府に対しては、帝政ロシアによる蝦夷地の侵略という懸念からの、国防上の地図作成を名目としていましたが、彼が師事していた高橋至時が、自ら行った改暦の暦の精度に満足しておらず、その正確さを得るための子午線1度間の距離測量というのが狙いでした。

至時への弟子入は齢五十。それ以前は天文学ではなく土木事業の監督官であり、また財政再建としての役目がほぼ半生の仕事でした。蝦夷地への測量嘆願が通るまでに3年を費やしており、五十五歳にして第二の人生云々というエピソードは、ビジネス雑誌が繰り返し特集する人物伝です。団塊の人々と接していると、今まさに俺がそれだと、とてつもないバイタリティーを見せつけられることがありますが、それはまあ関係ない話。

1日40里(!)を歩測で調査しながら、伊能さんは3週間で津軽半島の三厩に達していたというのは、つくばーど基地からだったら「700キロ越えだよ7時間だよめんどくさいよ」とか言っていた僕にはピンとこない速度感ですが、伊能さんは海岸線を伝っているわけですから700どころではない。そんな作業を幾度も繰り返し、日本列島の形を描ききるまでに17年をかけているとなれば、もう頭が上がりません。

ただ、伊能さんがその地図の完成を見ることは無く、彼自身は蝦夷への出発から18年後に没しており『大日本沿海輿地全図』が公にされるのはさらにその3年後のこととなります。

現代では国際宇宙ステーションや衛星からのリアルタイムの映像で、日本列島の形がつぶさに見られますが、二百と十五年前、その遠さ近さも併せて、国土の形を知ろうという探求心は、冒険者の所業に他ならなかったはず。

伊能さんが21世紀の人だったら、太陽系はおろか外宇宙の距離まで測れる技術を前にして、どんなことを考えるのか。凡人にはなかなか想像つきません。

あれ?あっ、蛇足なんですが、伊能図(の複写)の写真を探して2004年の書庫まで遡ったんですが、この年既に、国土地理院の地球ひろばには、あの1200万分の1の地球儀が設置されていましたわ。でもこの頃、太陽の位置が筑波山というアナウンスは無かったと記憶してます。