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  ~懲りない傾向~

社会資本の意義

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普代村明治29年だと、僕の曽祖父の時代ですから、当時を知る一族はすでにいません。その年の6月15日、三陸地方はマグニチュード8クラスの地震とともに、巨大津波の被害を受けました。その後の誘発地震の中でも、昭和8年の三陸地震も同規模の大被害を出していますが、これまたうちの親父が生まれる以前なので「すまん、岩手のことはわからん」(親父)というのが歴史。

ついでに言えば昭和35年のチリ地震も三陸に津波被害を与えているけれど、これも僕が生まれる前のことで、文献でしか知りません。が、宮古市田老や、ここ普代村の大田名部防波堤は、子供の頃に親父に連れられて見学に来たことがあります。なんせ子供の頃ですから身長が今より50cmは視線を低くしていたはずなので、田老の高さ10mの長大堤防でも要塞のように見えていました。

しかし東日本大震災の津波は、田老のそれは乗り越え、わずか5m高さの上回っていた普代村では防壁として機能し津波被害を防いだのです。

大田名部防波堤は昭和42年頃の完成。建設途上に起きたチリ地震の津波を防いだことで、その有用性を示しましたが、往時の普代の村長が周囲の批判を押し切ってまで、怪物のような防波堤と、これに連携する水門建設の主張を続けたことが、21世紀においても役に立ったということです。

それは明治三陸津波、昭和三陸津波における多大な被害を聞き知っていたことと、その歴史教訓を受け継ぎ伝えるという義務を果したからにほかなりません。

いま、景観を損なうとか、刑務所の壁のようといった批判で、新たな造られたり造られようとする防波堤に、ブレーキがかかったり待ったの声が上がったりの歴史の繰り返しがあるけれど、次に来るであろう津波がそれらを越流したとき、被害に遭う人々が出てからでは手遅れではないのかと感じます。