ちょっと前から婆にゃずが食べ辛そうにしていたので、お皿新調。
少し高さがあって安定感もありそうなのが決め手。
が、しかし。チビにゃずのタックルには負けるだろうなー・・・割るなよー。高いんだから(そこかいっ!)
ちょっと前から婆にゃずが食べ辛そうにしていたので、お皿新調。
少し高さがあって安定感もありそうなのが決め手。
が、しかし。チビにゃずのタックルには負けるだろうなー・・・割るなよー。高いんだから(そこかいっ!)
しばしば裏山を「天狗の森」と呼びならわしていますが、まあおそらくつくばーどの参加者のどなたも、天狗なんかにお目にかかったことはないと思われます。それもそのはず、天狗たちは12月の第三日曜日にしか現れなかったからです。ただし最近の催事では、麓の町の天狗まつり&ファンタジーナイトとかいうなんだそりゃ?なイベントにも出張しているそうです。しかし、このなんだそりゃ?ではない方の催事、寄ると触ると
と罵り合うとんでもない趣向で、あまつさえ天狗さんたちが山麓の各所に備えた供物を備えたそばから奪い取るというすさまじい祀りごとなのです。
これを称して「悪態祭り」。マジですか? と問われれば、「大まじめです」と返ってくる、天狗の森に江戸期から伝わる奇祭なのであります。
これでお分かりと思われますが、昨日の記事にて霰が調べ物をしていた石碑も、巡拝礼場所の一つ。翌日の阿鼻叫喚(まあそんなにすごいわけでもない)は、供物争奪戦の様子でした。天狗さんたちはどれほど罵倒されようが終始無言で巡礼を続けなくてはいけない。素早くやろうがもたもたしようが「ばかやろーっ」と浴びせられる。
あとはもみくちゃ。一団が去った後には供物など影も形もありません。こうして供物を獲得できた人々のところには、向こう一年間の五穀豊穣が訪れ、悪態をつくだけついた人々のストレスも発散されるのです。
昭和二十年代から三十年代くらいまでは、深夜に行われていた奇祭というより秘祭でした。当時は天狗も荒ぶる者たちだったそうで、供物を奪いに来る住民を実力行使で蹴散らした(らしい←あくまでも、らしい)とか、神社に上がる急傾斜の石段の上から、松明を投げ落とした(らしい←以下同文)とか、天狗が水垢離に使う手桶の水浴びせかけたとか(らしい←だってそう言うんだもん)、そりゃ中止させられるわなあという逸話が残されています。
そんなわけで、高度経済成長期には祭り自体が途絶えていたのですが、少し昔から日中の行事として、いくらか観光資源的な側面も踏まえて復活しています。ですから土地の郷土史家の方々や地元の観光協会に訪ねても、荒ぶる時代の逸話というのは聞こえては来ないはずなのですが、今回、霰が取材を始めたことで、現在の山麓に伝わる公式な縁起や慣わしと、土地の老人たちが言い伝える内容とにけっこうギャップのあることもわかってきました。
それはねえ、まさか悪態にかこつけて荒ぶり放題でほんとに阿鼻叫喚させたから一時途絶えた、なんてことは公式には記載されないよなあ。そもそも途絶える以前の祭りは、町内ではなく山麓の1集落の氏子のみで行われてきた(だからこそ奇祭などではなく秘祭という荘厳さがあったはず)わけですから、そんな荒ぶり放題の逸話が現代に伝わる術もないのです。
ところが、
と、困ったことにうちの親父が言い張るのです。
そのようなダークサイドな史実までもを、霰が論文の中にまとめるかどうかは、それを武勇伝と採るかお家の恥と認識するかで決まるのだと思われます。