二階堂裕さんが新型ジムニー開発計画会議を蹴飛ばし、そこからスズキの新型小型四輪駆動車開発がスタートしたことはもはや語る必要のない有名な話です。新型四駆というのがエスクードであることもまた、皆まで言うなの逸話。1984年からスタートしたというこの記録バインダーの背表紙に「エスクード開発」と綴られています(バインダー自体は後年まとめたものと思われます)。故に二階堂さんは、人呼んで「エスクードの父」なる異名を持っているのですが、まあ昔話。
最近、二階堂さんは「路外機動帖」にてこんなことを書き留めています。
今まで2台のエスクードを所有していたが、手放すと会社が傾く。業績がわるくなるのだ。2回、同じことがおこった。あるとき、カマドの赤木君から『30万キロ走行したエスクードTD51があるのですが、二階堂さんに乗ってもらいたい』と電話があった。
理由を聞くと、『30万キロ走行していてくたびれていない、それを知ってほしい』というのだ。そんなことを言う人はいないし、その価値が理解できる人がいることがうれしくて、クルマも見ないで。すぐに『買います』と答えた。それから、会社の業績は徐々に向上してきて今にいたる。私には、どうも『幸運のエスクード』なのである。不思議な縁を感じます。クルマは物だという人がいるが、私は『心』はあるように思います。愛さないと、愛してくれない。
※固有名詞の間違いとミスタイプは修正
僕の聞いている話だと、二階堂さんは2台ではなく4台のエスクード歴だったはずですが、そのうちのいくつかはボルネオなどで使ったラリー用も含まれているのかもしれません。いずれにしても、自ら産み落としたクルマですから、そりゃ手放したら運気も下がるってものでしょう。当初は車検期間分乗って検証して処分するのかなと思っていたので、今なお愛用されていることにはちょっと意外性を覚えていました。そういうお話が内包されていたのか。
しかしだ。
『30万キロ走行していてくたびれていない、それを知ってほしい』というのだ。そんなことを言う人はいない