と、思ったかどうかはさておき。 最近はゆきはなしかココを使わないので 忘れちゃったのかと思ったわ。 いつもゆきはなが居るから来られないって 事だったのか・・・
と、思ったかどうかはさておき。 最近はゆきはなしかココを使わないので 忘れちゃったのかと思ったわ。 いつもゆきはなが居るから来られないって 事だったのか・・・
1971年7月3日のこと、ショッカーはメキシコで戦果を挙げていた改造人間サボテグロンを日本に派遣し、仮面ライダー抹殺をもくろむのですが、このとき仮面ライダー本郷猛はそのショッカーヨーロッパ支部の動きを察知して既に国内にいない。しかし組織内では二人目のバッタ型改造人間が脱走した状況が周知されていたので、サボテグロンの派遣はこの二人目を誘き出すことが目的だったようです。ここから両者の裏のかき合いが展開するのだけれどそれはさておき。
「変身」というプロセスは本郷猛も行っていたわけですが、仮面ライダーの醍醐味であるにもかかわらず子供が真似しにくく、ここに大きな梃入れがなされ、掛け声とともにポーズを決めてスイッチを起動させるというエポックが追加されました。もちろん彼よりも先にスペクトルマンこと蒲生譲二がやっていた「ネビュラ71、変身願います」と叫んで認証を取りつける姿もポージングの一つですが、社会は一文字隼人に「変身」のパイオニア的位置づけを与えたようです。
この瞬間、仮面ライダーが2人いる、という斬新な設定も誕生し、それぞれが世界のどこかで離ればなれながらも通じ合い共闘する展開が、「変身」にとどまらず仮面ライダーの存在を深めたのだと思われます。これもウルトラマンを呼び戻しに来たゾフィーがいるんですけど、ある意味押しのけられています。奇しくも新ウルトラマンを助けにウルトラセブンがやって来るのは、「魔人サボテグロンの襲来」の翌月のことでした。仮面ライダー二号、偉大な功績者です。
普段つかっている汁椀が、木目に沿ったヒビが入って なんとなくじわじわと漏れはじめ・・・ 新しいの買おうかなーと思ったところでふっと 「・・・漆器って補修出来なかったっけ?」と 検索したところ、福井の方にWebで修理受付してくれる お店を見つけたので、依頼してみました。 ヒビの補修と天縁の朱漆仕上げで送料もろもろ合わせて 4000円ちょっと。 購入価格考えたら4個買えるぞ(滝汗) でもまあ、一回くらいそういう経験もいいかと頼んだ お椀が本日戻ってまいりました。 ・・・どこがヒビだったんだっけ?っていうくらい ツヤツヤピカピカ☆ 「一ヶ月くらい経ってからご使用ください」との事 なので食器棚でしばし寝かせます。
何やらスズキがわざとらしくティザーサイトのフライング公開までやったらしい「フロンクス」が、近日(秋?)出るぞの報。ビターラはビターラで海外販売が続くわけですが、国内ではブランドとしてのブランニュー乍ら、早くも「エスクードの後継」と囁かれているのがなんともはやむにゃむにゃなげほげほです。ОEМの売れ行きに押されちゃうんじゃないかと不安材料しかないんですけど、作ってるのがスズキだから損にはならないのか?
それよりも、自動車デザインの流れがまだこの手のクロスオーバーであることの方が、憂いは大きいです。ほんとにこのところのスズキは小型車セダンをやらないなあ。
それとどうでもいい話ですがこのテールランプ。なんだか仮面ライダーガッチャードっぽくて(笑)。もうあの番組も終盤で9月には新しいの出てきますが。
蔓がなかなか伸びなくてヤキモキしていたキュウリ。 新月サンがせっせと水遣り&追肥してくれたので 無事収穫出来るサイズに♪ ちょっと塩を付けてそのまま食べた方が甘味が強調されて 美味しかったけど、定番の味噌マヨも作りました。
2019年の今頃でしたが、「STANDARDBLUE」という海洋冒険漫画のことを書いていました。あれから5年経って、現実の世の中もこの漫画の舞台である2024年になってしまいました。98年に初出しされたこの物語は前回感想を述べたとおり、紛争もビーム兵器も戦闘ロボも出てこない、出す必然性の無いフォーマットの中で、海洋環境と深海作業で父を失った娘にだけ的を絞り、近未来の日常とSF世界を淡々と描いているところが好きなのです。
余談から書いてしまうと、本筋とは関係ありませんが冒頭で航空機が不時着水し沈没する場面が出てきて、主人公の少女もここで多少活躍しますが、犠牲者ゼロで避難成功するという、なんだか予言めいた2024年パートにもなってしまいました。主人公は海で父親を亡くした境遇から、海難に敏感で自ら救助に飛び込んでいく経験も思慮もへったくれも無い性格ですが、その行動が亡くした父親と、確執を持つ母親との対話につながっていきます。
物語は父親への慕情との決別、母親との相互理解を得て大団円を迎えます。そこに至る本編最大の海難に対して、経験値の浅い彼女が救助をやってのけるくだりは、まあその直後の自分自身が生還するお話を立てないといけないので突っ込みどころであってもスルーしますが、それからさらに数年後の彼女も手短に描かれており、現在でもまだ見ぬ近未来の大団円というところが、この先何度も読み返していける楽しみを内包しています。