Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

すよすよ

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熟睡ちう

寝てるとねー天使なんだよ可愛いんだよ。
なのに。
どぉしてトイレマットに
シッコすんのっ!(今週2回目)
朝起きて、タイマー設定した洗濯が終わった後に
目にした時の脱力感ったら・・・

「あの頃」じゃないので

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やれクラシックだの懐かしの名車だのと36年にもなってから褒められるくらいなら、なんで当時もっと高評価してくれなかったのよ?(悪評ということもなかったけどね)と感じるわけです昨今の初代エスクードリポート。でもってどちらの記事も「それで? それを今どう解体新書するの?」と最後まで読んでみて、「私は初代モデルについてこう考えるのだ」という論評が出てこないところにもどかしくなるのです。

こうも初代の出自素性に絞ってまとめているのを邪推・・・失礼、好意的に拡大解釈すると「お前ら、エスクードって言うとすぐグランツーリスモに出てくるモンスターマシンをイメージするだろうけどそうじゃない」というメッセージを無理やり想像するしかないなあと思っています。まあそりゃしょうがない話で、若い世代になればなるほど、クルマの記事書いてる人の中にだって、初代エスクードなんか実際に乗ったことない派が大勢を占めるんですから。

なればこそこの手の記事には正確さを期待する一方で、なぜエスクードを取り上げるのかについての論評も読みたいのが人情なのです。あとさ、あの頃は良かった風なこと読まされても何も感じないんだよ。X‐90と1600の貨物車と直4の2000を除けばだいたい乗ったし、まだ1600にも2500にも乗ってるから。

そして再生中。

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うまく根つくかなー。

あまりの暑さで鉢が煮えてしまったらしく
根元が腐ってしまった〝ミドリノスズ〟
先の方がまだ生きてるっぽいので
とっとと挿し芽してみたけど・・・
果たして無事根は出るのか?!

 

狼の紋様

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ことし、久しぶりに大きめ容量のバックパックを購入し、先だっての妙高行き二泊に必要なものを詰め込んで出かけました。この手のギアアイテムは、我が家ではずっとジャック・ウルフスキンを使っており、 TRAVELTOPIA WEEKENDERという30リットルの容量で選んだのですが 、着替えやらなんやら以外にA4ノートパソコンもそのケーブル類も専用で納められるシェル構造と、リサイクル物の外皮素材などが機能性で好印象でした。

ところが! よくよくロゴを見ると、あの足跡マークが無い。あれがあってのジャック・ウルフスキンじゃないのかよー。

“手付かずの自然”の象徴として、狼の足跡(PAWマーク)をトレードマークとするジャック・ウルフスキンでは、環境に負荷をかけないサステナブルなモノ作りを推進していくと同時に、環境保全活動の啓蒙に積極的に取り組み、日本における外遊びのための環境を次世代につなげていきます。

というのがメーカーとしてのブランド紹介なのですが、この新しいロゴは2年前から一部製品に採用されているらしく、キャラバンステージとタウンユースを分けて考えているのかもしれないです。いやいや、タウンユースでもアウトドアギアを使いたいのよ(ミーハーですから)

ジャック・ウルフスキンによれば、2023年頃からアウトドアフィールドの環境保護活動に取り組む団体サポートや、日本の多様性に富んだ自然環境を次世代へ継承する活動を支援しているそうで、これを「WOLFUND」と称しているとか。

・・・あ、こんなことも綴られている。

ジャック・ウルフスキンは、狼の遠吠えからインスピレーションを得て誕生したブランドです。自分たちの住処を破壊するようなことを決してしない狼の習性に倣い、創業当時から40年以上に渡り、環境に負荷をかけないモノづくりに取り組んできました。このブランドDNAに基づき、日本では絶滅したとされる狼の役割を担い、日本における環境保全活動に積極的に貢献していくことを目指して本プロジェクトを立ち上げました。

それで足跡無くなっちゃったの? と思い込むのは度が過ぎてますかね。

探す時には見つからない。

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見た目まんま、ハートカズラ。

葉っぱ一枚から培養して、大きめの鉢で数年育ててたけど
一昨年の冬に凍らせて枯らしてしまったー・・・
ホームセンター行くたびに、鉢植えのコーナーを覗くんだけど見当たらず、
本体より高い送料かけて(←おばか)ネットで買いましたわ。
さて、今度は株分けして保険かけなきゃ。

 

見た目優先なだけではないのだよ

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卓上で使う急速充電器を買いまして。もうほとんど機能より見た目で選んだのがバレてます。ワイヤレスイヤホンやマウスなどを出しているGravaStarの「ALPHA65 PD 充電器」。こんなんでパワーデリバリーに対応していて、Type-Cポート2つとUSB-Aポートが1つあり、トータルで65wの容量。複数ポートを使う際は各ポートの最大出力が自動調整されます。過電流保護、過電圧保護、短絡保護、過熱保護などの安全装置も内蔵。案外見た目だけではないようです。

主用途はスマートフォンの充電なので全ポートを使いこなす機会はあまりないです。ただ一つ見誤ったのは、この大きさですから本体内にケーブルまで搭載できないため、コンセントにつなぐ必然から電源を机まで持ってきてやらないと通電できないこと。そのほか、当たり前ですが急速充電をするには PD対応ケーブルが無いといけません。まあいいか。放熱板のように見えるフィンだってただの飾りだし(本体ほとんど過熱しません)、愛嬌だけでも良い買い物です。

台風行った?

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涼しくならないでち・・・

大雨だーの暴風だーのと散々騒がれた割には
住まいの辺りは何事もなく、台風もいつの間にか
消滅してるし。
火曜日・水曜日は最高気温30℃下回るみたいけど
その後はまた熱々の予報だわー・・・
夜も熱帯夜続くし、電気代が恐ろしい(滝汗)

 

夏の残照

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親父が逝去した。

お袋が亡くなったときほどの動揺はなかったが、闘病に付き添ってやれなかったことは多少の悔いを残した。ただ親父のことだから、そんなことで自分の働く時間を削ったりするなと小言を言われたに違いない。親孝行の幾ばくかはやってきたつもりなので、そのことはもういい。むしろ最後まで面倒を見てくれた弟たちに申し訳ない気持ちが勝っている。

野辺送りと共にやらなくてはならないことがあった。

鹿児島の地方都市で小さな会社を興した親父のあとを継いだのはすぐ下の弟だったが、創業期の高度経済成長の時代とはいろいろなものが変わってしまって、会社の経営自体が立ち行かなくなりつつあった。弟は親父の仕事を引き継ぎ、親父が亡くなるまでずっと会社を存続させてくれたのだ。だがそれももう限界を超えていた。

家の代表相続人は僕ということになっていた。葬儀の施主に立ちながら、かねて電話やLINEでやり取りしていた弟たちとの協議について最後の意思確認を済ませ、僕と二人の弟は家や会社の一切の相続を放棄することとした。

当然だが親類という名の身内との間では揉め事が待っていた。それまでを弟に任せるわけにはいかない。そんなことだが矢面に立つのは僕の役目だ。

大揉めに揉めた末、あらかじめ弟を介して行政書士に作成してもらっていた書類をたたきつけて、郷里との縁を切った。まるで五木寛之の「青春の門」だ。「望郷編」で筑豊と主人公をつないでいた恩人を看取って、郷里とのしがらみのなくなった主人公が東京へ戻っていく。

僕のそれは、小説ほどに格好よくはない。けれどもここまでの紆余曲折は主人公の伊吹信介に劣らない。信介の場合は次の「再起編」でもなかなか曲折から脱せないのだが、僕と彼との違いは・・・まあ生まれ育った時代の差もあるにせよ、彼の優柔不断さが当時の若者の姿として描かれたことだろうか。僕も優柔不断さの中で長く生きてきたことは認めるが、一切の縁を断ち切った機会に、やりたいことを一つに絞ってそれ以外のことは棄てようと決意できた。そこが違うのだ。

 

夕刻、東京へ戻る空港のロビーでふと思い返した。

若い頃は首都圏からここまで何度も自分のクルマで帰省した。大事にしていたコンバーチブルだったが、所帯を持ち子供が生まれる際に手放した。その後も何度かやっているが、クルマの性能が上がってあの楽しくて仕方のなかった苦行からは遠ざかった。

今は羽田から空路だ。苦行も何もあったものじゃない。しかし自走で帰りたいかと言われたら、もうそんな体力の残っている歳でもないと言わざるを得ない。

そのことを思い出した途端、電話をかけたくなって携帯を持ち出したが、照れくささと今更感で発信をためらった。

呼び出した電話帳からショートメールを打った。

実家でのこと、郷里との決別、小説家として大成していくために家族以外のすべてを棄てる決意をしたこと。

しばらくして返信が来た。

正直、期待していなかった。

「まずはお悔やみ申し上げます。それでね、趣味や道楽なんてものは寝かせておけばいいんだよ。あとで役に立つときが来るから」

それだけだった。これは励まされてもいるけど、見透かされたかもしれないと思った。出来そうもないことを迂闊に言葉にするなと、彼は言っているのだ。

確かに強がっていたかもしれない。彼はおそらく、この返信を見た僕が「なんだとこの野郎!」と憤ることを促している。済まないが気持ちはそうはならなかった。

ただ、ふっきれた男にはなりたいんだと、携帯を握りしめていた。

東京行の便の搭乗開始アナウンスがロビーに流れた。僕はバックパックを背負い直し、風呂敷に包んだ桐箱を抱えてロビーをあとにした。

いま暁月 ならばルナツーは望月の頃?

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宇宙移民のインフラを調達するために使われた「小惑星ユノ―」が、その鉱物資源採掘跡の坑道などを軍事拠点化し「ルナツー」と呼称するようになったのが宇宙世紀の話。「ユノ―」は西暦1804年にドイツの天文家カール・ハーディングによって発見されており、この日がちょうど220年前の9月1日のことでした。楕円軌道とわずかな軌道傾斜角を持つ「ユノ―」をは火星と木星の間にあった軌道から月軌道に運んだ宇宙世紀時代の人類はけっこう高度な宇宙航行技術を有していたようです。

少なくとも宇宙世紀0079までには木星までヘリウム3を採りに行っているので、地球とは交わらない「ユノ―」の軌道も火星には接近するタイミングで接触し、体積 7160万km3もの岩の塊を運んでこられる軌道計算と運搬技術を有しているわけです。しかもこの技術は月軌道の重力中和点にスペースコロニー群を建設する頃まで遡って使われているのだから、モビルスーツは存在しなくとも基盤となる大型のモビルワーカーくらいは実用化していたのかもしれません。

「ルナツー」は地球を挟んで「月」と反対側の軌道に定位していますが、主にカンラン石や輝石などの「鉄を含有する」ケイ酸塩の石質隕石に属するコンドライトを採掘していたと思われます。これらは宇宙艦艇やスペースコロニー等の材料となり、「月」と共同で宇宙開拓資源として役立っています。が、地球連邦軍によるモビルスーツ装甲などはここでは採用されていない。それらはルナチタニウムと呼ばれているので、「月」で採掘されるイルメナイトが主原料となっているはずです。

しかし「月」側のサイドから独立戦争を挑まれた宇宙世紀の勢力圏は、連邦にとってはそこまで制圧されちゃったのかというくらい不利な状況で、そんな情勢下でよくまあルナチタニウムなんて貴重資源を確保できたものです。月面都市フォン・ブラウンとアナハイムエレクトロニクスの貢献度によるものでしょうか。いずれにせよそれではいかんということで、「ルナツー」が重宝されていたのです。9月1日、「ルナツー」では「今日はユノ―の日」とかやっていたかもしれません。