カルディのネコの日バッグ。 まあ当たらないだろうなーと思いながら 抽選に申し込んだら、当たった。 (大小の大の方しか申し込まなかったのに) これ以上袋増やしてどうするのかと・・・ (既にカルディのバッグは7~8個ある) そして、また増えた紅茶(汗)
By Your Side
スズキの新中期経営計画が発表され、顧客に寄り添う趣旨の経営をチームスズキとしてやっていくといったメッセージが、鈴木俊宏社長から投げかけられました。「スズキのファンへ」という言葉は、創業時から続く社是にある「お客様の立場に立って」を引き継ぐものです。ファン=顧客となると、とてつもない幅広さに応じなくてはならないから、最大公約数をもってこの言葉に向かい合わなければ、ユーザーはただ肩透かしを感じるだけでしょう。
多くのファン層を持つアルトやジムニーなど人気車種は、屋台骨であるキャリイエブリイ同様連綿と継承されていくけれど、「こんなものが欲しかった」というニーズの中にある、カタログ上は既に無いモデルながらまだ愛され使われている車種にまで、その言葉(仮にサービス体制として)は及ぶのかと。マツダがNAロードスターの延命支援を立ち上げたように、です。ものすごく期待できない。ファンというのはメーカーに対してではなく、特定の車種ごとに存在するはずなのですが・・・
フライングねこの日。
原典知らぬは減点ぢゃ 和邇さんの手記080
整備振興会の会合に行った際時間つぶしに隣接する予備検査場でよもやま話をしていたところ、JB74が光軸調整に入ってきました。
車検ではなく初日に5ドアを発注したのでこのあと買取業者に引き渡すンだとか。
オーナーさん23歳の青年でしたがノマドのネームの由来を知らないとのこと。
オヂサン3人でご教示させていただきましたが、ベル・エアどころかエスクードノマドの存在すら知らなかったという驚愕の事実。しかも
『名義変更しなくても買い取ってくれるとこあるから、イマイチ格好悪いけど契約入れときましたw』
だと。
ワニの餌にしてやろうかヽ(`Д´)ノ
和邇さんが説明したという「ベル・エア」とは、1950年代にシボレーが売り出していたフルサイズパッケージのクルマのことです。その人気によって派生していったのが1955年の・・・
「そこまでぢゃライゾ―!」
・・・出たな新帝国のマッドエンジニア。
「エンジニアではない科学者ぢゃ。まあいい教えてやろう。それは我が盟友・ドクターエメット・ブラウンが次元転移装置の構想を思いついた1955年。前年にドリームカーとしてコンセプトが世に送り出されたベル・エアベースの新たなモデルが誕生したのぢゃ。それこそがシボレー・ノマドである」
フルサイズアメリカンビークルで2ドアのハードトップ風ステーションワゴンのことね。
「そのとおりぢゃ。お前たちエスクード乗りは1990年登場のロングモデルをノマドと呼んでおるがな、ノマドのサブネームはそれより35年も前に生まれておるのぢゃ。そんでもって70年も経った今になって、ジムニーノマドをエスクードの再来などと浮かれておる巷の有象無象にゃあきれてものも言えん」
思いっきり言ってるじゃねーか。
「ともかくぢゃ、当時からシボレーはGМ傘下のブランド。後にスズキもGMと蜜月を過ごす中でエスクードが開発されておる。スズキの社員はベル・エアやノマドの歴史にも触れておるはずぢゃ。Chevrolet Nomadに対してEscdo Nomadeと末尾にeをつけてフランス語圏風にアレンジしておるがな、原典をたどるとシボレーに遡れんこともなくもないのぢゃ」
なんですか宿敵同士が喧々諤々でございますが、まあまあ70年も前のクルマのことを昨今の若者が知らなくてもそれは無理からぬことでございます。
それでもなんというか彼の物言いが癪に触りましてね、気持ちの上でひと呑みにしてやりましたよ。
マツダにОEМ供給されていた「プロシード・レバンテ」が誕生30年となりました。この派生モデルについては10年前に書くだけ書いてしまったのでそちら(上のリンク)を見ていただければありがたいのですが、どうも10年前のこの頃はSX4‐SCROSSが発売されていたらしく、そっちについてはほぼ記憶から抜けています。今年はXー90、三代目エスクード、四代目エスクードとモデル周年が続いていきます。レバンテもその1台に数えられます。
レバンテは1995年から2001年まで、初代と二代目にわたって販売されましたが、この当時は車体の意匠に手を加えるほどのことはせず、ネームプレートやエンブレムが変更されるにとどまっていました(大掛かりなことをできる体力は、無かったというより無駄と解釈されたのかも)。だから中身もエスクードそのままの性能で、珍しさは感じられず見過ごしてしまうモデルなれど、市場ではそこそこの販売台数ではなかったかと、巷で見かける個体数の多さから想像していました。
今振り返ると、10年前のブログに書いたように、「プロシード」「レバンテ」の秀逸なネーミングセンスが、さすがマツダだねえと思わせます。
「スーパーマーケットまでは走れたんだけど、買い物終わって帰ろうとしたらエンジンがかからないっ」
雫さんから救援要請電話がかかってきて、帰宅途中の僕は現地に急行。セルは回るけれど始動しない。エンジン警告灯は点灯しているけれどバッテリー警告灯は光っていない。念のためにブースターをつないでエンジンを蹴飛ばし再始動させて主治医のところへ持って行きました。
「これってひょっとしてバッテリーあがりじゃなくて、クランク角センサーか何かの故障でしょうか?」
「おそらくそれだと思います。アクセル踏んでも加速が悪いとかありました?」
「ありましたありました。何かすねてるなーって・・・」
見当どおりでクランク角センサーが壊れていましたが、さらにクーラント漏れが起きていてラジエターコアがもう寿命だとの診断。さて日産車の部品は潤沢に出るのか? だめだったら・・・水戸にいい感じに蓮田さんの向こうを張れる四駆の白い初代ハスラーが出ていたり、古河ではいまどきそんな上質のと言える濃緑色の二駆の初代ハスラーか出ていたり・・・したのですが、部品が出たので修理依頼となりました。そのほうが最安値だったよちくしょー(笑)
大きくなっちゃった。
咲きました。ということは・・・
さすがの最強寒波に阻まれ、乾燥しきって雨も少なかったことも重なり、例年より少し遅れましたが17日夕、開花しているのを確認しました。状態から見て16日に咲いたのではないかと思われます。といっても天狗の森一番桜は大島とか緋寒の類なので油断できません。これに釣られて「花見設営っ」などとやってきたから、つくばーど®の花見は毎回、耐寒我慢大会になってしまうのです。案の定本日から再び強烈寒波第二陣が居座るらしいです。
だからといって花見をやらない天狗の森なんてつまらんのよ。
後日お知らせを出します。3月20日の春分の日を目途に準備します。その週末には市と観光協会の桜祭りイベントがあるようなので、混雑を避けます。でもおおむね一か月の時間がありますから、ソメイヨシノもちゃんと咲いているはずです。
それでも寒いかもしれないけどね。