お姫サン達にかまけてる間に、庭の野菜がワラワラと生ってました。
ナスは一番果なので小さいうちに収穫。
(本当は花が咲いたら取ってしまうらしい)
キュウリはこれで2回目かな?
そして終わったと思ってたイチゴが、再びポロポロと花を咲かせて実が付き始めました。
褒められるなら素直に受け止めねば、か
当時物のリアルな生き証人の一人としては、初代エスクードに関する「現在の批評」には相当なバイアスがかかっていることを、もはやどうこう言ってもしょーがないなという心境なのですが、せっかく褒められているなら素直に受け止めた方がいいのかと思うようになりました。
で、【MOTA写真館】とやらのリポートになぜ注目するのかというと、「1996年、2500ccのV型6気筒エンジンを追加したことで、スズキ初の3ナンバー登録車が誕生」。このわずかな表記はこれまであまり書かれたことがありませんでした。
よくお気づきになりました。まあ結果論なんですけど、H20Aのトルク不足を補う方策としてボアアップさせたH25Aが、事実上スズキ初の「脱・小型車」で、車体は5ナンバーサイズのまま3ナンバー化されたのが、TD61Wです。今とは真逆の、小さな車体に大きなエンジンの時代を象徴しています。
そんなわけなんですが、「クロスカントリーセダン」は二代目に与えられたコピーですので、「見事に具現化したスズキ エスクード」って言い切るならぜひとも二代目も紹介してあげてくださいな。
いばらきーイバラキー 我らーの茨~城
ローカル感で考えると、茨城空港の海外アピール提案として「東京」を冠か何かにくっつけようと考えた県会議員さんは、県北部の出身の方です。そこから見た百里の滑走路は、実際問題「東京に近い」感覚となっても不思議はありません。茨城空港自体、首都圏第三空港の地位をめぐって誘致と空自共用化を果たした経緯もあります。だけど、あいまいといえば曖昧なんですが、茨城県は首都圏じゃありません。圏央道沿線や筑波研究学園都市は首都圏扱い説もありますが。
何が哀しいかって、九都県市首脳会議というのがあり、これはかつて七都県市首脳会議として立ち上げられ、首都圏サミットと呼ばれました。ね、その頃から茨城県知事は参加していないのです。魔夜峰央なんかにいいように描かれていたのは癪ですが、利根川のこっち側は「茨城県」でいいのです。もっとも、北関東で唯一港湾を持つ茨城県が以前どんなアピールをやったかというと、東京港や横浜港と競争するため、大洗と常陸那珂と日立港をまとめて「茨城港」に括ったくらいです。これも馬鹿みたいなポートセールスですが、都市間競争と港湾競争のなかで東京なんて言葉は、出てくる余地はない。
さすがに県議会での提案は、検討こそされたものの、県知事は引き続き「茨城空港」とし、海外向け表記を「Ibaraki International Airport」と決定したようです。当然です。東京に帰属しなければやっていけないようなインフラなど、地方で活かすべきハブ空港の資質を問われます。こっちから言わせてもらえば、成田や羽田なんか遠くて使ってらんねーのよ。←田舎者の暴言。むしろ茨城空港への投資は、もっと別の視点で論じていくべきです。
今般の新型コロナウイルス問題で、空港はひとつの水際でしたが、エボラ出血熱の時代から空港敷地内あるいは隣接地に感染症対策の緊急救急医療機関がない。成田空港でさえ成田市内の日赤病院まで搬送します。茨城でも土浦や笠間、水戸と搬送距離が出る。そういう疑問に提案を投げかける議員さんいないのかしら。
政治の話は柄ではないのでやめときますが、そういえば茨城。いばら・き(間違ってもいばら・ぎ、じゃねーぞ)なんですけど、霙が通った茨城大学って、なんで「いばだい」って呼ばれてるんだろう? バス会社の茨城交通も略称が「いばこう」。昔あった茨城銀行(現つくば銀行)も「いばぎん」でした。「茨」の文字に「らを抜く発音や読み」は無いはずなんだけど。ああっ、「時空戦士イバライガーR」って案外まっとうな名前だったんだ(でも彼、絶対にイバ・ライガーって認知されてるよな)
Team WESTWIN Warriors#146
2010年。木星で遭難したアメリカ合衆国の宇宙船ディスカバリーにロシアの宇宙船レオノーフがコンタクトし、ディスカバリー内の制御コンピュータHALに生じた10年前の障害原因が突き止められ、そうこうしているうちに巨大なモノリスの出現とともに木星が爆発し太陽化して衛星エウロパに新種の生命が息吹く、2010年・・・
のことはまったく関係なく(おいおい)
2010年6月、今のTDAにもつながるダートトライアルのレース、JXCDが広島県世羅町で開催され、このレースでウエストウインのエスクードTA51Wが(正確にはそれ以前にシェイクダウンされていますが)本格的なレースを開始しました。全くの負けなしとは行きませんでしたが、これをパイロットする後藤誠司君はほぼ常勝の域にチームを押し上げ、同時に1997年製という年式かつマイナーで誰にも知られていなかったエスクードに脚光を与えてくれました。
もう一人のエースドライバー、川添哲朗君は、このころパジェロミニで様々なレースに参戦し、広島であろうと千葉であろうと自走で現地入りするタフネスさ(しかもクラス内入賞をしていく)を見せつけていました。二人ともまだ20代半ば、監督の島雄司さんの門下生たちが、ウエストウイン黄金時代の扉を開けていく、夏の始まりです。そこから足掛け10年、パジェロミニは退役したものの、二代目エスクードTA52Wが加わり、今日まで強豪チームに名を連ねています。
ふと考えたらば、ESCLEVだとかつくばーどだとかに関わりなんか持たなければ、もっと楽々と常勝チームの運営ができたんじゃないか(いまさら何を言ってるんだ)? と思わなくもないんですがまあ後の祭りです。しかし確実に言えることは、初代、二代目のエスクードがダートラの世界に皆無でなかったとはいえ、ここまで熱量を保持したチームは類を見ないでしょう。足回りや補機類に手を入れても、エンジンだけはノーマルのままの10年めですよ。
さらに既報の通り、18歳の若手ドライバーとして梅津知浩君がデビューし、これがまた性懲りもなく初代のTA01Rを扱うわけですから、よくよくESCLEVだとかつくばーどだとかに付け込まれたものです(こらこら)
7月の第2戦まで、書いてはならないことが多いので、6月6日というイグニッションの記念日を埋めるだけの内容ですが、再び熱い戦いが繰り広げられます。
惜別の帰還~遺されたメッセージ~ 上
脚本上で毎度悩まされたであろう、ヒーローの去就をどうするか。という大人の逡巡など透かして見ることなく、ドラマから直に伝わってくるメッセージを受け止めていた童心もずいぶん老いぼれました。ウルトラマンに視点を置いていま振り返ると、一貫した「我々(地球人)の平和は我々自身で守らねばならない」って、ある意味思想だよなあと思わされるのですが、そこはまあ目をそらして、歴代のウルトラマンが遺したメッセージを80まで巡ってみようと思い立ちました。
が、いきなり、初代はそういうことを何も語っておらず、科学特捜隊の面々が自ら悟っているのです。初代と融合していたハヤタ隊員を分離する際、ゾフィーが施したか初代自身がやったか不明ですが、融合時の記憶を消してしまったのが初代の去就。メッセージを追いかけるよりも、むしろそれ自体がファーストコンタクトの終焉として、ウルトラのセンス・オブ・ワンダーでした。地球は大きな借りを作っているのですが、「貸も釣もいらねーよ」という、歴代唯一の切れ味です。
ハヤタに対してさえ正体を消し去った初代に対して180度方向転換して、自らの事情とともに正体を明かして最後の戦いに挑んだウルトラセブンは、地球滞在時に異星人女性とのロマンスらしきものも経験してのことなのでしょう。かなり女々しく泥臭いのです。しかしそれが惜別の美談として語り継がれることとなり、これ以降のウルトラマンにも様々な形で受け継がれていくのです。ここでもセブンは背中だけを見せ、自分のこと以外は特に語らず帰還していきました。
故郷の星が星間戦争に巻き込まれたことを知り、その戦いに加勢することを決意し、地球を去る旨を告げたのが、邂逅時に命を落としてしまった郷秀樹と一体化した新ウルトラマン。ただしウルトラマンの姿でなく大人の男として「ウルトラ5つの誓い」「大きくなったら」という、少年への自立を促す対話でした。宇宙と地球ではなく、個人と個人の生き様を伝える。坂田次郎という少年を通して、その言葉は同年代の少年少女に伝えられた、やさしさと勇気についての素朴な願いでした。
余談として。その後のハヤタがどうなっていったのかはほぼ語られておらず、いつの間にか初代自身が地球に来ているときにハヤタの姿を借りている図式でうやむやになっているように思います。モロボシダンがいなくなった後、彼とうり二つの(というよりセブンに姿を借りられていたことすら知らない)薩摩次郎さんが、逆にダンと間違われるようなことはなかったのかは大いに気になるところです。
「アマギ隊員がピンチなんだよ!」という言葉がなかったら、ウルトラセブンの去就の構図はとても好きになれない、メッセージすら感じない一幕でしたが、よく考えてみるとセブンの場合、別れの場面よりも地球人(薩摩次郎)との邂逅にこそセンス・オブ・ワンダーな瞬間があり、セブンこと恒天観測員340号の決意というメッセージが秘められていたのかもしれません。
上記の二人に対して、地球人として初めてウルトラの星へ導かれることになってしまった郷秀樹は、第1話ですでに死亡してしまった経緯がありますが、新ウルトラマンと一体化したことで人格や心は復活したのだと解釈しています。新ウルトラマンは初代、セブンと異なり、行きがかり上地球にとどまったのではなく、明確に地球の異変や危機に手を差し伸べる目的で「帰ってきた」ウルトラマンでしたが、彼が願いを寄せたのは坂田次郎というたった一人の地球人でした。
坂田次郎君が大人になった頃、大きくなったら入れと言われたМATはすでに無くなっているのですが、「ウルトラ5つの誓い」は彼の友人である後の防衛チームの隊長を通じて受け継がれているところが、少年(視聴者)がおっさんになってから感銘する巡りあわせでもあります。
目は口程に物を言うのか?
二代目ハスラーもずいぶん巷に走り出し、もうそれこそ四代目エスクードなんかよりはるかにたくさん見かけるようになって、見れば見るほど「なんなんだろうこの似て非なる違和感は」と、初代との印象の違いに戸惑いを覚えるのです。当初は、初代が持っていた外観のブリスターフェンダーが無くなり、かちっとした四角の外観が強調され、わざわざ後ろ側のピラーを用いてシックスライトウインドースタイルを特徴としたことだと思っていました。
ヤマタノオジロ(初代、我が家のに限る)に乗りなれてきた霰に聞くと、
「可愛げが無くなったっしょー」
と言うくらい、二代目は男の子向け(笑)スパルタンにした雰囲気です。その意味では初代は意外とグラマラスというかリトルダイナマイトにもう一歩だったと感じます。
ガン見していて、ヘッドライトの構造が異なっていたことに、ようやく気が付きした。専門的なことはわかっちゃいないんですが、二代目ハスラーのヘッドライトを人間の「眼」にたとえるなら、「黒目」があるのです。車を擬人化して表情を出す際、ヘッドライトを瞳のように描き込む手法はありますが、二代目はそんなささやかなものじゃなくて、白目が少ない真っ黒な巨大な瞳というところでしょうか。
これは慣れてこないとすげー怖い。この黒目雰囲気が、まったく生き生きとして見えてこない。マンガで言っちゃったら、催眠術によって正気を失った登場人物!(おいおい、二代目ユーザーに怒られるぞ)。むしろ白目をむいていることになってしまった?初代の目玉の方が生気を帯びているような気になってしまいました。二代目のような部分ブラックアウトって、最近のトレンドなんですかねえ。と、いろいろなセンスが老朽化している自分を認識してしまったようです。