霙が手に入れたフィガロには、前所有者によって盗難防止警報装置が付いていましたが、これの設定や解除方法がさっぱりわからない。このため乗り込んでエンジンをかけるとうるさいのなんので、どうにかならんのかとキー側の付属スイッチをいじりまわしていたら・・・
リモコンドアロックのスイッチでやんの。
連動してるものなのか・・・
↑ そんな装置つけた経験ないから最初に乗ったときに大恥かいた
いやそれよりだよ。ドアロックしとけよ!
今日あたり、ぷらすBLUEのオドメータが三周めを回って四周目に移行する予定です。
先代のらすかるに乗っていた90年代は、30万キロを越えていくというのは夢物語に近い時代でした。2006年秋に7万キロ台から走らせ始めていますが、実際にここまでこられるとは思っていませんでした。
ここからあと8万4千キロ行ければ、我が家では3度目の月到達になるわけですが、そんなに甘くないことも経験済みなので、無理せず長持ちさせたいのが本音です。
最近TD62Wの車検を通したSIDEKICKさんによると、KYBのNew-SRの適合表から二代目エスクードが抹消されるという話。次の交換時はモンロー一本化するしかないようです。いろいろと維持に対する壁も厚く高くなっています。
そんなわけで、夜明け前に僕が往復120キロ走って一旦仕事から帰宅し、公休日の霙にスイッチして30万キロを刻みました。
カウントゼロに戻ってしまうのはなんとなく味気ないです。新車に脱皮するわけでもないし。
2002年2月21日夕刻、横浜ベイブリッジがミサイル攻撃により爆破されたという時間軸があります。
そうか、もう20年になるんです。と思った時点でなんとも言えない感慨に陥り、「機動警察パトレイバーtheMovie2」のことを書こうとしたのに書けなくなりました。2002年頃の記憶が、記憶していたと思っている記憶ほどに覚えていないのです。
2月の事件と言いながら、あの映画は夏の暑い盛りの封切りでしたよね? 20年前の物語だけど、実際に公開されたのは1993年でしたよね? 現実が虚構を追い越しているのに、自分は逆に取り残されている気分です。
屋根裏の物置にあるどれかの箱の中に、リアクティブアーマーを装備したAV98があるんです。プラモデルやガレージキットではなく、バンダイが出していたパトライトが光り音の出る玩具に、パテ盛りして改造したやつです。当時はデジカメなんか持っていなかったので、写真撮っていないんだよなあ。
NTT東日本から、「お宅の敷地で使わせてもらっている電柱と電線の設置使用料を支払うから連絡頂戴」という、親父あての封書が来ました。何年かに一度、この使用料の振り込み時期が来るらしいです。
NTTについては固定電話の回線名義変更も料金引き落とし変更も済ませていたのですが、情報の共有はされていないみたいです。
ということはこの連絡票にある新規登録用記入欄に書き込んで送り返せばいいのかと思ったら、
「申込者が変わった場合は別途契約し直すからそこには記入しなくていいよ」
なんだかめんどくせー段取りだなあ。
しかし今回の手続きにて、基地の前を上り下りしているあの坂道に、公的な路線名があることを初めて知りました。土地の人々は異口同音に「権現坂」と呼んでいたので、僕もそう刷り込まれていたのです。今は市道扱いと思われますが、とある町道の「枝線」でした。
はー・・・大昔は裏山に上がる馬車道と参拝のメインストリートだったのに、昔から枝線なのかー。
先日、TDAの公式練習走行会にて、川添君のTA52Wがドライブシャフト破損、梅津君のTA01Rはもっと深刻な、オーバーレブによるエンジン本体破損を招きました。休眠中のTA51Wも二番シリンダーが動かない状態で、今シーズン初戦の3月20日までに修理が可能なのは52Wのみのようです。福井での耐久レースに使用したジムニーを、車体側の破損はそのままにして梅津くん用にセッティングしなければならないかもしれません。
「01Rは、そもそもリミテッドクラスのために作られた車両なので、同じG16A以外のエンジン載せ替えができません。そのリミテッドクラスでの競技であれば、ノーマル100馬力のエンジンでも、今の段階ならば負けない戦いは可能。これを幾度もオーバーレブさせるという運転の仕方は、周囲が『馬力の小さな車はこうやって走らせる』などの、耐久性度外視の助言をしたからでしょう」
島監督によれば、中古車のテンロクエスクードを買ってくるほど潤沢な予算はないので、リビルドエンジンが調達できなければ出走はできないそうです。幸か不幸か、初戦の日は梅津くんの整備士資格試験日でもあり、エントリー自体無理なのですが。
こうなると、梅津君の「エスクードで戦いたい」という要望は、一時的であるにせよ取り下げてもらうしかない。周囲のチームの車両がどんどんパワーアップしてくる中、エンジンが手に入っても、それを使いこなす腕前と戦術が身に付かなければ、ノーマルエンジンで勝ちをもぎ取ってきたウエストウインの戦略に再考の余地が出てくるかもしれない。
梅津君には酷な話になりますが、それでもエスクードでやるのか? という選択肢を切るとしたら、出世払いにしてでも梅津くん自身がエンジンなり中古車を買い付けるカードを選ばなくては前に進めないように思います。
だーれだこんなものを基地に持ち込みやがったのはーっ と憤っていたら、サニーのブロワーモーターが壊れ、家内が借りてきた代車でした。
「なんかねー、ターボがひゅーひゅーうるさいのなんの」
うちにあった7型や霰のハスラーのターボが静かなんですよ。試してみると(乗ってるし)昔乗っていたJA71よりもひ弱な音ですが、逆にレスポンスが良い。
リアに見覚えのある切り文字がありまして、なんだよこれって親父に頼まれて俺が切ったやつだよ。このJB23、僕と親父と共通の知人の所有だったものでした。主治医に聞いたら、免許を返納して処分したいとのことで、引き取られたとか。既にナンバーも変わっていました。
走行15万キロを超えていましたが、状態は悪くない。クロカンには使われていない個体で、たまに長距離で山形県往復をやっていた、基本的には乗用車扱いだったはず。切り文字は残しておいてという要望だったそうですが、あんなもの剥がしちゃったっていいんだけどね。
今後我が家が借りる代車ってこれになっちゃうのか?
このブログの閲覧情報で、不定期にじわじわとヒットが出始め急上昇するのが
その後の河鹿沢温泉
河鹿沢温泉
随分前の過去記事であるこれらが現れると、テレビ放送局のどこかで「海街diary」がかかっているか、「詩歌川百景」が雑誌掲載されたか。
大抵どちらかの傾向なんですが、「その後の」が付いている方が多い場合は後者です。ひょっとしてー? と月間フラワーのサイトを開けてみたら、単行本の第2巻が発売となっていました。うーむ、便利だ(なにが?)
2巻めだから、まだまだ風呂敷の広がり続けている物語ですが、「海街diary」の実在の鎌倉と異なり、温泉町はおそらく架空の場所(映画のアレは、しつこいようですがあくまで映画の世界)なだけに町そのものを組み立て構成しなくてはならないためか、やや説明的な対話がうるさい気がしました。けれどもそこは重要ではない。「詩歌川百景」は青年・和樹を中心とした物語ですから。
「海街」にも出てくる河鹿沢温泉も、知らないうちに年を経ているようで、「海街」において幸田姉妹を案内した浅野すずが登って行った坂道は階段になっているし、稲森山展望台という名称も付いた。役場の観光課が頑張っているようです。空き家問題にスモールオフィスといった社会問題対策なども描かれ、「百景」の世界観が少しずつディティールを盛り付けられています。
でも、多くの読者は「海街」のその後としての舞台を楽しんでいるかもしれず、展望台からの鎌倉に似た風景の中で、鎌倉に行ってみたいという和樹の言葉を読まされると、このあと鎌倉編が挿し込まれる(もう連載ではやっちゃったのか?)期待を持たされます。
ところで「海街diary」、来月末から東京と大阪で舞台が上演されるんですね。もちろん映画とは別のキャスティングですが、恥ずかしながら知ってる女優がひとりもいねー(汗)
ただ、かえってその方がキャラに移入できるでしょうかねえ。上演の頃までに、コロナ禍状況が好転すればと願うばかりです。