Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

受け取っても有り難み無しかなあ

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できたので、配らせていただくとしますか。

手始めに桶川から。タイヤの新調でフジ・オートに本日出かけるので、滞在中お目にかかれる人に進呈します。あとはまあ、折を見てぼちぼちとです。

「そんなものいらんっ」とだけは言わないでください(笑)

波間流離う難破船のよう・・・でもないですけど

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うっかりしてましたがお袋の命日でした。出掛け前に必ず線香を上げるのが習慣だし、先週七回忌もやりましたので、雨になんか降られる義理はないんですが、地球帰還の日と対極的な、梅雨にしてもけっこうな降りでした。だから車外に出られず距離計だけ撮りました。

10日に「帰還」したばかりだし、なんかこう、落ち着かないですね。

亀かめなメカ

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BLUEらすかるに搭載するナビゲーションシステムの地図情報がかなり古くなったので、一気に更新しようとしたらそう簡単にはおさまらず、うちの場合は二段階で更新データを覚え込ませなくてはならないほど情報が古い。2011年に入れたナビなので、データの方はもっと古い。ただ、これまでに一度、データの更新はやっていたので確認したらば、地図情報は2013年版で、まったく話になりませんでした。最新版が2019年物。その間をいっぺん埋めねばならないようです。

ALPINEのディスクはいちいちメーカーサイトにログインしてシリアルを申告し認証キーを受領しないと機械が読み込まないというめんどくさいプロセスを経るのです。しかも送られてきたディスクが6枚組み! やれやれと説明書を読むと、どうやら前に1回、差分調整をやっているので使用するディスクは後半3枚でいいと(それは得したのか損したのかどっちなんだ)わかり、手続きをとって認証キーを打ち込むのです。

ディスク3枚。要するに三度、同じ事の繰り返しを1枚ごとにやらねばならない。データの読み込みはそれぞれ10分程度なんですが、読み込みアップデートしたデータの更新に、いやっちゅーぼと時間がかかるのです。実際には表示のようなかかり方はしないんですがそれでも1枚あたり2時間。その間電源落とせば作業は止まるので、エンジンもかけっぱなしにしなくちゃならない。一番効率がいいのが、走ってる間に更新させることなんですが、今は6時間も走り続けないんだよ・・・

そしてなんとかかんとかここまできたけど、東北の三陸沿岸道や相馬福島道路などはまだ地図上に現れず、これらを書き込むために別のソフトを買わねばならないのでした。

過去の栄光って言っちゃったら虚しいのだが

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BLUEらすかる・TD61Wは2020年の「いま」ですが、これが登場する少し前まで、つまり2005年の「当時」、偉業(自分で言うかよ)の途上にあったのはTA11W・とるねーどらすかるでした。三代目エスクードがデビューする中、まだ巷は初代モデルの時代も続いていて、使い勝手からノマド系や5ドアと呼ばれる後期型が多くを占めていました。二代目に乗っていた人々には逆風の世の中ですが、二代目だって現在のSUVをみれば、立派な祖先と言えるでしょう。

翻ってうちの初代のらすかるは、「あーまーど」「すとらいく」「とねるーど」とアップデートを重ね、最終系のネーミングは「マクロスフロンティア」よりも早かったという、まあどうでもいい逸話もありますが、月までは行ったものの、戻ってくることができませんでしたし、今となっては430000キロという記録もかすんでしまいました。それでも、とるねーどらすかるがあったからこそ、月まで行くとか往復するとかの愚かながらも野望や夢を抱けました。

現行モデルに乗る人々には、このような趣味と実益(じつえきー?)を重ねたようなロングライフステージで、自車と対面しているのかどうか、知る由もありません。どのみちうちのは過去の栄光なので、埋もれていくだけですが、少なくとも「一生もの」を得ることはできました。いや、その割には乗り換えてますけどね。でもあの頃「雷蔵が初代エスクード以外に乗るはずがない」って言われちゃってましたから(笑)。自分でも、それでいいのです。

ところで、二代にわたっている「らすかる」はV型6気筒でツインカム24バルブ。それぞれ2000ccと2500ccですが、基本構造はシリンダーサイズ以外ほぼ共通です。このマルチシリンダーゆえ、同じ排気量で直4に比べると、やはり立ち上がりはおっとりしていて回さないとトルクを得られなかった。ただ僕の中ではその直4も5ドアボディーに載せると、大径タイヤなど履こうものなら元の木阿弥。ことV6はトルクバンドが狭かったのです。

加えてV6はもともと別のセダン系計画用として考えられていたユニットを、共同開発のGМから押し付けられたという噂話もあり、そもそも載せる車体がないじゃん状況下でエスクードに白羽の矢が当たってしまった。従前の1600用車体にだって重量・強度的に合わないのでタワーバーで補強するから今度は天地が合わずエンジンフードがもっこりします。整備性やコストの問題から、V6はある意味嗜好品的な位置づけとなり、主力は直4に譲ることとなりました。

それでもユニットは初代の時点で2500に拡張され、トルクの問題を解消し、二代目でグランドエスクード用2700へ進化し、これがボアアップの限界ですが三代目へと受け継がれた。贔屓目に見れば中間の2500こそ余力を持った安定のエンジンとも考えられます。まあね、マルチシリンダーってそれだけで魅力的だったのです。僕自身は1600のエスクードの方が所有経験多いんですけど(笑)。直4の2000だけ乗っていないのが画竜点睛を欠いています。

 

帰  還

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この数字は人類にとってはどうでもいい記録だが、私個人にとってはもう疲れたの一言に尽きる1日だった・・・

でも、天気図を見ていたら、やるなら今日(10日)しかないじゃん。この日以降は梅雨入りして雨降りか曇天続きになってしまう。ってことでたまたま(うそくさい)君津市と富津市に仕事があったので、都内から川崎経由で出かけてきました。

2009年末まで通っていた湾岸の東側は、先代らすかるの時代は館山道も圏央道もない、隣県なのに遠さを実感するところでした。昨日のルートは奇しくも、その先代が380000キロを刻んだ日に走った街を同じように行って、帰ってきました。だから圏央道を使わずの約400キロです。摂氏30度と梅雨の前のいかにも夏という陽射しと空と強い風は、仕事でなかったらもっと遠くまで行きたい衝動に駆られますよ。

3密の抑制だとか不要不急の出歩きをするなとか他県へ越境するなとかのご時世だと、オフラインミーティングを設営できないもどかしさがあります。そういう場を設けたいところですが、やっていいのかよくないのか判断しにくいので、ひとまずブログにてご報告と御礼を申し上げます。月まで行って、昨日ようやく還って参りました。

褒められるなら素直に受け止めねば、か

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バッジで2.0と2.5を識別

当時物のリアルな生き証人の一人としては、初代エスクードに関する「現在の批評」には相当なバイアスがかかっていることを、もはやどうこう言ってもしょーがないなという心境なのですが、せっかく褒められているなら素直に受け止めた方がいいのかと思うようになりました。

で、【MOTA写真館】とやらのリポートになぜ注目するのかというと、「1996年、2500ccのV型6気筒エンジンを追加したことで、スズキ初の3ナンバー登録車が誕生」。このわずかな表記はこれまであまり書かれたことがありませんでした。

よくお気づきになりました。まあ結果論なんですけど、H20Aのトルク不足を補う方策としてボアアップさせたH25Aが、事実上スズキ初の「脱・小型車」で、車体は5ナンバーサイズのまま3ナンバー化されたのが、TD61Wです。今とは真逆の、小さな車体に大きなエンジンの時代を象徴しています。

そんなわけなんですが、「クロスカントリーセダン」二代目に与えられたコピーですので、「見事に具現化したスズキ エスクード」って言い切るならぜひとも二代目も紹介してあげてくださいな。

Team WESTWIN Warriors#146

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2010年。木星で遭難したアメリカ合衆国の宇宙船ディスカバリーにロシアの宇宙船レオノーフがコンタクトし、ディスカバリー内の制御コンピュータHALに生じた10年前の障害原因が突き止められ、そうこうしているうちに巨大なモノリスの出現とともに木星が爆発し太陽化して衛星エウロパに新種の生命が息吹く、2010年・・・

のことはまったく関係なく(おいおい)

2010年6月、今のTDAにもつながるダートトライアルのレース、JXCDが広島県世羅町で開催され、このレースでウエストウインのエスクードTA51Wが(正確にはそれ以前にシェイクダウンされていますが)本格的なレースを開始しました。全くの負けなしとは行きませんでしたが、これをパイロットする後藤誠司君はほぼ常勝の域にチームを押し上げ、同時に1997年製という年式かつマイナーで誰にも知られていなかったエスクードに脚光を与えてくれました。

もう一人のエースドライバー、川添哲朗君は、このころパジェロミニで様々なレースに参戦し、広島であろうと千葉であろうと自走で現地入りするタフネスさ(しかもクラス内入賞をしていく)を見せつけていました。二人ともまだ20代半ば、監督の島雄司さんの門下生たちが、ウエストウイン黄金時代の扉を開けていく、夏の始まりです。そこから足掛け10年、パジェロミニは退役したものの、二代目エスクードTA52Wが加わり、今日まで強豪チームに名を連ねています。

ふと考えたらば、ESCLEVだとかつくばーどだとかに関わりなんか持たなければ、もっと楽々と常勝チームの運営ができたんじゃないか(いまさら何を言ってるんだ)? と思わなくもないんですがまあ後の祭りです。しかし確実に言えることは、初代、二代目のエスクードがダートラの世界に皆無でなかったとはいえ、ここまで熱量を保持したチームは類を見ないでしょう。足回りや補機類に手を入れても、エンジンだけはノーマルのままの10年めですよ。

さらに既報の通り、18歳の若手ドライバーとして梅津知浩君がデビューし、これがまた性懲りもなく初代のTA01Rを扱うわけですから、よくよくESCLEVだとかつくばーどだとかに付け込まれたものです(こらこら)

7月の第2戦まで、書いてはならないことが多いので、6月6日というイグニッションの記念日を埋めるだけの内容ですが、再び熱い戦いが繰り広げられます。

 

目は口程に物を言うのか?

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二代目ハスラーもずいぶん巷に走り出し、もうそれこそ四代目エスクードなんかよりはるかにたくさん見かけるようになって、見れば見るほど「なんなんだろうこの似て非なる違和感は」と、初代との印象の違いに戸惑いを覚えるのです。当初は、初代が持っていた外観のブリスターフェンダーが無くなり、かちっとした四角の外観が強調され、わざわざ後ろ側のピラーを用いてシックスライトウインドースタイルを特徴としたことだと思っていました。

ヤマタノオジロ(初代、我が家のに限る)に乗りなれてきた霰に聞くと、

「可愛げが無くなったっしょー」

と言うくらい、二代目は男の子向け(笑)スパルタンにした雰囲気です。その意味では初代は意外とグラマラスというかリトルダイナマイトにもう一歩だったと感じます。

しかしそこではなかった。

ガン見していて、ヘッドライトの構造が異なっていたことに、ようやく気が付きした。専門的なことはわかっちゃいないんですが、二代目ハスラーのヘッドライトを人間の「眼」にたとえるなら、「黒目」があるのです。車を擬人化して表情を出す際、ヘッドライトを瞳のように描き込む手法はありますが、二代目はそんなささやかなものじゃなくて、白目が少ない真っ黒な巨大な瞳というところでしょうか。

これは慣れてこないとすげー怖い。この黒目雰囲気が、まったく生き生きとして見えてこない。マンガで言っちゃったら、催眠術によって正気を失った登場人物!(おいおい、二代目ユーザーに怒られるぞ)。むしろ白目をむいていることになってしまった?初代の目玉の方が生気を帯びているような気になってしまいました。二代目のような部分ブラックアウトって、最近のトレンドなんですかねえ。と、いろいろなセンスが老朽化している自分を認識してしまったようです。

征くぞ目標2000キロ、のはずが

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東京湾の海底に所在するМAT基地からマットアローが2000キロ飛ぶと、シマノフスク、天津、西表島あたりに達してしまうのですが、まあパトロールでグアム島まで行ってるらしいので、西表島に出現した「怪獣めがけて急降下」という意味合いが、МATの歌には秘められていると思われます。それとは関係なく、BLUEらすかるも木曜日朝、目標距離まで2000キロを割りました。割ったどころか週末の出張で、あと1000キロくらいまで走ってしまってます。

で、先日不調となったエアコンのコンプレッサーが届いたので、またまたしばし入庫。6月の始まりは代車生活です。ちょうど在宅の日々が終了したので(それで群馬から新潟まで出張してりゃ世話無いわ)、代車の運用は1日6キロくらいで済みます。さすがにねえ、借り受ける車でいつもの距離を走るのは気が引けます。しかしこの修理も外せないんだけど、そろそろタイヤの方が坊主になってきて、どこで買い付けるか当てが無くなってます。

ところでおまけですが、北関東道を移動中だったので停車できず。でもこういう数字を見られる人はなかなかいないよと、安全に留意しつつ撮りました。

題して「車中で念仏を唱えないでください」(おい)

Team WESTWIN Warriors#145

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「チヒロに本を読ませることにしたんですよ」

島雄司監督は、新たにドライバー起用した梅津知浩くんのドラテクだけでなく、対取材のための語彙力や一般常識認識も含めた教育を開始しました。テンロクエスクード「JADE‐3」の扱いについては、ここ数回のトレーニングでコーナーでのノーズの持って行き方など、めきめきと上達しているそうです。

「よそ様の子を預かっていながらこう言うのもなんですが、高校での成績は芳しくなかった。もう世間知らず以前の問題で、これはじっくり活字と向き合わせなくてはいかんという結論に至りました」

それで・・・ここからダートトライアルの世界と関係なくなりますが・・・何をあてがう考えなのかをうかがうと

「闇狩り師」「幻獣少年キマイラ」「魔獣狩り」「魔界都市新宿」「バンパイアハンターD」

ってちょっと待て!

なにそれ島さん、あなたの少年時代と僕の青年時代がまるかぶりじゃんっ!

もう梅津くんのことほったらかしでジュブナイルと奇譚小説談義になってしまったわけですが、島監督が夢枕獏やら菊池秀行やらを愛読していたというそのことが意外でしたよ。だからと言って、ここで「夏・風・ライダー」だとか「鉄騎兵、跳んだ」だとか「千マイルブルース」なんか持ち出すのもステレオタイプすぎなのかもしれません。

「うーん。やっぱり大藪晴彦でしょうかねえ」

「いやー、わざわざバイクレースにこだわらなくてもいいんですけど、SFとかミステリーとかジャンルは問わないんですか」

「なんせその『ジャンル』って言葉から教えなきゃならんという」

「それで『汚れた英雄』は難しいんじゃないですか? ああ、それなら僕が薦めたいのは矢沢翔の『エンジェルズ・ウェイ』と『アンダーストーブの別れ』です」(他人のことを言えないくらいそればっかり

これで確信できましたが、島さんとはダートラとエスクードの話題以外にもかなりの接点がありますよ。もちろん「ドゲンジャーズ」も行けます。彼のお嬢さんはなにやらキタキュウマンの追っかけをやっているらしいです。