一応問いかけたものの、くれるかくれないかもわからないものにいちいち期待しませんから、こんな行事は小中学生限定にすりゃいいんだと思います。
「補給が欲しいのだな?まわす!」
そこはさー、ブライトのセリフで問うたんだから、マチルダさんで返せよー。
「みんな土地のもんだよ。うまいもんだから」
・・・京都って書いてあるじゃねーかよ
黄鶯睍睆とは七十二候の立春で第二節にあたり、だいたい2月9から12日あたりを示します。山では鶯が鳴き始めるということなんですが、昔えらい目に遭った記憶が蘇ります。1994年の2月11日(金曜日)に福島県の中野沢温泉に泊まり、翌日ゲレンデに出発しようとしたら車が見当たらない(笑)。道路に出るまで3mほどのラッセルでしたが、その道路を除雪していったラッセル車が吹き飛ばした雪をもろ被りしていたみたいです。
でも記録を閲覧したら、このときの上空の寒気は-6℃程度。南岸低気圧の方は980hPaくらいまで下がって全国的に大雪になっていたそうですが、寒気についてはもっとすごいのが今年は何度も来ていますね。
←「雪道超初心者なのにーっ」と叫んでいる先日の霙の大変さには同情するぜ。実に幸運にもつくばーど基地周辺は雪なんか降らなかった。←あれ?
そうなのです。あれ? ほんとかよの記憶というタイトルに対して、今年に関してはさほどの寒さを感じずに済んだ一昨日の焚火新年会でした。それに続くこの連休の温かさは何だ?
新年会の折、庭先の梅が咲いていることに気づきました。鶯こそまだ鳴いていませんが、これが三寒四温ってもんなんですねえ。
それでふと気になって裏山に上がってみたところ、一番桜も既に開花しておりました。ソメイヨシノ系はまだまだ先のようで蕾もふくらんでいません。
この咲き方だと先週半ばに開花したようです。雪は降らなかったけれど雨は降っていたし、そこから気温も上がって、なるほど鶯も鳴くかもしれない。
小正月が過ぎたら雫さんが準備した魔除けの「ひいらぎいわし」。そんなに早く支度したら、鳥やら野良ネコやらに持って行かれるんじゃないかと思うんですが、割とその心配もなく2月3日を迎えている毎年です。が・・・節分を過ぎてもこれが撤去されない。何故と言うに、地方により諸説ありますが2月8日の「事八日」(ことようか)になると、一つ目小僧だの箕借婆だの疫病神がやって来るから、それらの厄災が入ってこられないようにするためなのです。
ところがですよ。これまた諸説ありとお断りしたうえで展開すると、事八日にやって来るのは恵比寿とか大国とか薬師如来とか田の神もしくは山の神も含まれていて、これらは招福ものの来訪者たちなわけです。結界なんか作っちゃったらそれらも入ってこられないじゃないですか。って、普通は思いますよ。でもその辺は無視されて、彼らのために赤飯とか餅とか団子を備えるんだってことで餅を焼くのですが正月用鏡餅(しかも出来合い)の残りなんか使って罰当たらないのか?
東風解凍、立春です。北陸の被災地の実際はそんな生易しいものではありませんが、どうにかして復旧を進めようという東風(はるかぜ)を見受けることがあります。隣に停まって地図なのか指示書なのかを確認し出発していった彼らの雰囲気では、東日本大震災の頃はまだ中高生くらいだっただろうなあと感じましたが、おそらく初めての災害派遣に緊張の面持ちを見てとれ、よろしくお願いしますよと見送りました。
有難くもこちらは平常の節分。帰宅すると、裏山の神社が開く節分祭の裏方手伝いに出ていた雫さんが、豆まきの際に拾ってきた駄菓子の数々が積み上げられていました。年男や年女、厄年の人々がお祓いを受け、安全祈願や招福繁栄を祈願しての豆まき。ここでは拘りも無く鬼は外、福は内を唱えていますが、格付け的には鬼の上位にいるであろう天狗を祭る社であり、願わくば鬼も福も内に取り込む度量であってほしいと思います。
十二支と組み合わせて暦、時刻、方角などを表す十干(じっかん)というものがあり、それを今年に当てはめると甲(きのえ)、己(きのと)にあたり、これは「東北東やや東」を示すそうです。
もちろん豆まきも恵方巻も立春の前日(二月三日)に行う風習ですから、二月二日にそんな話題を書いて何やってんのと言われそうですが、霰が職場の命により通っている料理教室の実習メニューで恵方巻を早々と作っちゃったのと、明日付の記事に別のものを入れたいので前倒しなのです。←何の理由にもなっていない
それにしても昔の大阪の花街は大変な献立を考えたものです。この恵方巻を載せている皿は決して小さな皿じゃないです。というか、角皿では我が家じゃ一番でかいはずです。そこからはみ出そうな巻物なんか凶悪でしかないです。縁が切れるから一本のままで切っちゃダメとか、無言で食わないと(おしゃべりしていると)福が口から洩れていくとか、無茶ぶりもいいところです。
そこへきて「東北東やや東」など、いい加減にしろよなのですが、2日も前倒しで食ってしまったから我が家じゃたぶんご利益は無さそうです。節分に恵方巻を用意している方々、「東北東やや東」だそうですから、それぞれご自宅の方角をご確認ください。我が家のその方角では蝋梅が満開となっていました。うーむ、確かに季節が変わっていく気配はあります。でも早朝は氷点下6度くらいなんですけど。
うちの家内には「嵐田れいん」というハンドルネームがありますが、本人は段々このキラキラすれすれのネーミングが重くなっているそうです。
とかいう対話があったりなかったりで、ここにきて改名です。我が家のルールに従い、「空からやって来るもの」は踏襲しております(雫となると、空からとは限らない気もしますが)。ついでに言うと、SIZUKUはSUZUKIのアナグラムなんですがそれを言ったら本当に殴られるので「H」を入れてあります。
というわけで当日昼には夫婦水入らずで近所のイタリアンな寿司屋にて「多くは突っ込まないでねの」お祝いしたんですが、お店の大将のはからいでコース料理の締めくくりに出てくるデザートが、いつものパンナコッタに一品追加していただけていました。
イタリアンな寿司屋のランチコースは侮りがたい品数と美味しさで満腹感も充実して帰ってきたのですが、夕方になって娘らが「多くは突っ込んじゃダメなお祝いに行きますよ」と突然宣言し、一枚も二枚も上手の和食割烹に連れていかれ「少なめにおめでとうございます」などとやってもらえました。雫さん久々の生ビールで帰宅後は爆睡です。こちらのコースは少な目どころかヘビーメタル級で食いきれなかったらどうすんだの量とうまさでしたよ。
我が家では実際には7日にお炊き上げしてしまいましたが、7日で松が取れ、そのあたりで正月飾りを片付けるのが江戸幕府による奨励だったとか。しかしそれやってるのは関東地方の一部くらいで、たいていの地方じゃ15日の小正月で松を取る風習です。昨年、自民党議員有志による決起で「1月15日を伝統祭りの保護目的とした国民の休日にしようぜ」という運動と決議があったようですが、さてそんなものの実現はどうなることやら。
小正月と言ったら枕草子の時代から、朝餉は小豆粥です。煙を被れば風邪をひかないと云われるどんど焼きと同様、邪気を払うとか健康でいられるといった縁起物の料理です。ヘルシーさでは7日に出される七草粥に及びませんが、そもそも小豆の赤と呪術信仰が結び付いてのルーツですし、ヘルシーだなんだという概念の無い時代の食べ物です。しかし、我が家じゃ「あれ」の処遇に困っていたことら、7日には凶悪にも七草粥ではなく汁粉が振舞われてしまいました。
焼肉で新年会するのだと、家族でてきとーに注文してこの額面。入力は家内です。
去年の夏に言われたことをそっくりそのまま言い返してやったぜ。
ただこの逸話には当然オチがありまして、前回は3人、今回4人です。追加注文してしまうのは自然の流れで、会計総額はさらに加算され半端な額となり、家内の理力などたいしたものではなかったという結果をもたらしました。