Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

格の違いを見せてもらうぜ

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年末に第1話からよりによって16話分を見逃した「鋼の錬金術師 Fullmetal Alchemist」が、本日からWOWOWライブ枠で見納め一挙放送だと。

「全部録画する。その時間枠に他の予約を入れるんじゃねーぞっ」

と、仙台から電話で家族に宣言したわけですが、なんでかってそれは言えませんよ。特撮のアレを観ちゃったなどとは言えませんです。

幸いにも全64話が放送される日取りと時間帯には、家族たちが録りたい番組が(今のところは)被っていないらしく、早い者勝ちの論理で予約設定をしてもらいました。

地上波時代にはしみじみと見たことがなく、妹が持ってきてくれた原作漫画を読んで、こりゃしまったわと後悔していたのが昔の話。その後家内の友人のフルメタルなアニメ母娘さんたちがソフトを貸してくれたこともありましたが、それらは返却して久しいのです。

いやー、これで昨年の映画の大失態を上書きできるぞとほくそ笑んでいたら、部下が一言。

「確か・・・ボスってアマゾンプライムの会員登録していると言ってましたよね?」

おう、しているぞと答えたらとどめの一撃。

「ハガレンもFMAも、そこで全話視聴できますよ」

 

売切後免な一品

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意外過ぎて・・・

いや売り切れてることも意外なんですが、こんなもんキット化しちゃったのかよ。

帰去来から

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「さだ(まさし)の名曲はアルバムの中にあるんだ。はやりのシングルばかり聴くな」

昔、僕に言ったのは高校の同級生の白鳥高志くんでしたがそれは嘘ではなく、当時つきあっていた彼女がさだファンだったのでレコードを借りてみると、そのときはそれから何十年も聴き続けることになるとは思いもよらず、しかしそうなってしまった曲がたくさんありました。

 

その中の「帰去来」というアルバムに収録されている『夕凪』は、特段、別格、なんだこれ! な楽曲で、後にその彼女にふられても尚、ベストナンバーとなっています。

この曲のインストゥルメンタルを耳にすることとなったのは、まだその彼女にふられる(笑)前、「関白宣言」なるラブコメ映画につきあったときのことで、主演のふたりが海岸でデートしているシーンに(歌詞の内容とは異なる展開になるんだけれど)流れていたのでした。

これがまたとんでもなく良かった。

というのが、実を言うと渡辺俊幸さんの音楽に触れた原体験。さだまさしさんがソロに転向した最初のアルバムで、さだ曲の編曲を担当していたのが俊幸さん。なんてことは当時わかるわけがなく、ましてやそれが、あの渡辺宙明さんの息子だなどというところにたどり着くはずもないのです。けれども直感的にこの人の曲はいいなと感じ、白鳥くんの言っていたことをあらためて理解するのでした。

それから数年後、その彼女(しつけーよ)にふられたあと、空前のアニメサントラ盤ブームの中で「銀河漂流バイファム」と遭遇し、ここで俊幸さんの楽曲と再会するわけですが、当時のアニメ雑誌だったか音楽雑誌だったかは忘れましたが評判は良くなかった。なぜかといえば、彼が習得してきたハリウッドスタイルのオーケストレーションはともかく、旋律の方がどこかで聴いたようなアメリカ有名映画のそれに似ている。という寸評だったのです。ま、それはそう言われてしまうとそんな感じだわなあと否定も出来ないバイファムのBGM。

 

いやーだけどね、おとーちゃんの楽曲なんかそれ言ったら、バトルフィーバーJとスパイダーマンのイントロ比べてみなさいよというくらい、「宙明音楽」は金太郎飴ですよ。

そんな変遷をひとつひとつは追いきれないので思いきり端折って、「劇場版マジンガーZ/INFINITY」にておとーちゃんサウンドを引き継ぐ・・・話はまだ映画を観ていないのでどう引き継いだのかが語れません。暮れに放送していた「題名のない音楽会」で少し聴くことはできていますが、マジンガーに関しては水木一郎さんの独壇場でしたから、楽曲は(それでもかなり、主題歌以外は引き継いだというより作り直しちゃった感がある)しみじみと耳に入っていません。

そこでもう一作品。珍しいことに特撮では2017年末時点で、モスラとかモスラ2とかモスラ3などの映画を別にすればテレビ番組特撮は「救急戦隊ゴーゴーファイブ」しか手がけていません。が、特撮とプロップに予算を持って行かれ戦隊のユニフォームが歴代随一とほほなこの戦隊、きわめてレベルの高いドラマ展開と、それに見合った楽曲が提供されています。主題歌もヒーローものにふさわしいテンポと勇ましさが漂い、ああ主題歌の王道と思える出来映えです。それだけにこの番組のエンディング曲の明るさがまた際だち、我が家では娘たちもスーパー戦隊ED随一、と評価しているのですが、こちらは風戸慎介さんの作曲でした。

 

いかん、長い上にまとまらない。

そういう変遷での渡辺俊幸さんの音楽を語ると、オリジナルの交響曲とか無視してるじゃねーかと言われそうですが、直感と遭遇というのは何十年も引っ張り続けてくれる発見につながっていました。それもこれも編曲の妙を当時見抜いていた白鳥くんのセンスありきですが。そりゃそうです、彼は今でも音楽関係の仕事やってますから。

 

GM vs GM

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グレートマジンガーというキャラは桜多吾作さんのコミカライズ版でこそ「日本が輸出可能かもしれない最後の切り札商品」というリアルな設定とプロットで設計図が盗まれダミーのプロトタイプを経て黒い偽物(これが後の超合金の黒仕様の引き金となったかもしれない)、全く同一の量産機12体が作られてしまうエピソードがありますが、なんだかんだ言ってもスーパーロボット。超合金NZの拳だから敵ロボをぶん殴ったところで指なんか壊れたりしないのです。

しかし「劇場版 マジンガーZ/INFINITY」に出てくるZと言いグレートと言い、やたらと腕や足や頭部にまでパネル割するスジ彫りパーテーションラインが刻まれ、いくらNZでもこれで殴ったら指つぶれるんじゃないか?と心配になる細かな関節まで描かれるようになってしまいました。

そんなところにこだわるより、セルだかCGだか知らないけどさ、グレートタイフーンの吹き出し口の塗ミスをどうにかしなさいよと言いたい。

片やリアルロボット路線上に位置付けられたモビルスーツの量産機であるGMは、「機動戦士ガンダムUC」あたりではもっと細部まで緻密に描かれているのでしょうけど、「第08MS小隊」なんかで見ると、顔立ちはだいぶホリが深くなっているけれど、全体では意外とあっさりしたもので、スジ彫りパーテーションラインを意識するようになったガンダム模型の世界と比べると、動画でそこまでやってられないよと言わんばかりです。

これ(グレート)が今風のスタンダードになったのだなあと思わされる反面、ブレストファイヤーやブレストバーンの描写が昔ながらの「異様に幅広い熱線」だったりすると、それは半端だろうと。胸部高熱板を灼熱化させ、怪力で相手を抱え込んで焼くか溶かす・・・てな画を見せてくれるのかどうか。そういうマジンガー的なリアル迫力が、今風の作画には感じられないのです。

さて本日封切りなんだけれど、観に行っちゃって良いモノかどうかまだ困惑しています。僕はもうひとつ、いわゆる「宙明音楽」も好きではないのですが、今回曲入れしている息子さんの渡辺俊幸音楽は、さだまさしさんのアレンジ担当時代から好きなんだよなあ。

Alpha Aquilaeからの事始め

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わし座で最も明るい恒星で全天に21ある1等星のひとつ。七夕の季節には彦星、牽牛星とも呼ばれ、こと座のベガ、はくちょう座のデネブとともに、夏の大三角を形成している、α星。

この星は古来、アラビア語で「飛翔する鷲」の意味を与えられ「アルタイル」という名前もあるのですが、なにさ正月早々夏の星座を引っ張り出して。と思われそうな話ですので早めに展開します。

日本では、平安時代中期に作られた辞書「和名類聚抄」において、「比古保之(ひこぼし)」の記述がありますが、それ以外に「以奴加比保之(いぬかいぼし)」と呼ぶ名前が伝えられているのです。α星が、β星とγ星の間に入った配置を、古代の人々は犬を引き連れている姿に見立てたのだそうです。

というわけでアルタイルはわし座にありながら「犬飼星」とも呼ばれるのです。あー、これで干支の話と繋げられたよ。

しかし「わし座の星の配置」でそこまで想像力を働かせられるかというと、まあさっぱりわかりません。なぜ犬飼なのかは謎と言えば謎で、この犬飼という言葉を紐解いていかざるを得ないでしょう。それを始めると、もはやアルタイルなんてどうでもよくなってしまうので、ほどほどにしておきます。

岡山県吉備津に所在する備中一の宮・吉備津神社が、ひとつの鍵。神話によれば、吉備の国に住む温羅という鬼の頭目を退治し吉備国を平定した吉備津彦を祀った社で、この吉備津彦の家臣に「犬飼造」という人物がいたようです。

も少し広げると、吉備平定に臨んだ吉備津彦の家臣は犬飼健(いぬかいたける)、楽々森彦(ささもりひこ)、留玉臣(とめたまおみ)と呼ばれており、あの桃太郎伝承の原型とも言われています。

いやもうアルタイルもわし座もどこ行っちゃったのよ状態ですが、もともと出所が異なる神話同士なので無理くり繋げる方が悪いんです。じゃあどうせこじらせるんだったらともう一個。

わし座の見える東の空の、やや南寄りに、たて座があります。これまたどこをどう繋いだら楯になるのかわけがわかりませんが、ラテン語でScutumと呼ばれているたて座の楯とは、スペイン語に訳すと「エスクード」。多くの方々はスズキエスクードの名前の由来で「ポルトガル通貨単位」とか「金貨」とか「冒険のロマン」とか誘導された記憶をお持ちでしょう。その通貨単位のルーツが「楯」なのです。

もはや犬飼星すらどうでもいいじゃんという迷走ぶりで、2018年を走り出しております。

 

Ευτυχισμένο το Νέο Έτος

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今だ戦うときはWith My love for You!!

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本日はあの「XBEE」が発売だという話ですが、こちらはそっちの話題じゃありません。先日つい暴走してクルマじゃなく「Xボンバー」に浮かれてしまい、ついでにDVDなんか引っ張り出して見直し始める始末でした(恐るべし原作・永井豪さん)。しかしドラマよりも楽曲だけ抽出して聴きたいんだよなと思えど、つくばーど基地にはサントラ盤というか組曲(ロックなんだけど組曲)のLPレコードはあるのにプレーヤーがもう無い。

さすがにこの手の立派にB級な番組ですから、1980年ものの音源なんかCD化されたりはしていないよなあと、消極的に検索したらば・・・

あるじゃねーかよ(笑)

しかもレコードを忠実に縮小したダブルジャケットでしたよ。

楽曲はBOWWOWの山本恭司さん。先日の記事ではブライアン・メイのことを書きましたが、聴き比べたらBOWWOWの方が数十倍良い。いやはやこんなおっさんになっちまってから再びこの楽曲を聴けるとは。劇中曲は第4話あたりが良いサンプルです。ただ、現在ぷらすBLUEを使っているのでCDが聴けない! カセットデッキだもん(爆) CDラジカセを出そうとしたら「もう何年も前に壊れてipod対応デッキに替わってます」と言われてしまった・・・ああっ

ゴモラの記憶

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1966年12月21日、ジョンスン島にて1億5千万年前に生息していたと言われる恐竜ゴモラザウルスの生き残りが発見されたとの報が、現地から入りました。人間はこともあろうにこれを捕獲して国際科学博覧会で展示しようという暴挙に出たものの、空輸中に覚醒されて六甲山付近に落としてしまったことから、大騒動が始まりました。第1ラウンドではウルトラマンをもはねのけ逃走するほどの強力無双な怪獣でした。

それだけに人気もダントツで、後のウルトラのシリーズにも世界各地で同類が復活しちゃうのが、歴代ゴモラ。

しかしあの目つきだとか極端に猫背な姿だとか、僕にとってはレッドキング(これにはトラウマがある)に次ぐ好きになれない一頭でもあります。だから同じ目つきのザラガスも、ゴモラ着ぐるみからの再生怪獣のため苦手(笑)

間違いかもしれませんが、最新のゴモラは「ウルトラマンX」に登場したらしいから2年前ですが(最近、ウルトラマンジードにもスカルゴモラというのが出ていたらしいけれど)、僕の前に初めて直に現れやがったのは2011年の秋のことで、茨城県近代美術館において開催されたウルトラマンアートにあわせて、同館併設のレストランに出ていた「ゴモラのツナとタマゴのクロワッサンサンド(コーヒー付き) 840円」でした。

カタチとしてはどうなんだよ?と思うも、クロワッサンというのは三日月を意味するフランス語。ゴモラのあの三日月のような角に見立てています。ゴモラの角自体は黒田長政の兜(主観だけどね、かなり形が違うと思うよ俺は)がモチーフという設定よりも合っているかも。

その後出会うことのなかったゴモラなんですが、現在はよりにもよって立像が須賀川市内に鎮座しております。

それにしても相変わらず回りくどいまえがき。

ゴモラは見世物として人類にいいようにされ、そこから逃れようとしていただけなのですが、手に余るとなれば駆逐に移る人類の方がよほど恐ろしい。この風景を、神戸に持ち込まれたやたらとでかいヒノキアスナロの企画に関する世間の目を聞き知るに至って、ついオーバーラップさせてしまいました。

情熱大陸という番組は見ていませんでしたが、渦中の人々のひとりって、東日本大震災の翌春、有楽町で全国各地の桜を集めて大きなプランターを作った人ですね。

このときは聞き知るやダッシュして公開終了前日のそれを見上げに行き、こんなことができるんだと内心打たれたんですよ。なんという名案であったことか。しかし今回の神戸の件で、明暗にもなってしまった空虚な記憶に・・・

遊星より愛をこめて

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50年前の今日、そんなサブタイトルでウルトラセブンの第12話が放送され、その約3年後に当時の制作会社である円谷プロダクションが諸々の配慮に基づき、当該話をセブンの放送リストから欠番とする判断を下しました。

で、時々この封印された第12話はそれを解放すべきではないのかという議論や主張が取り沙汰されるのですが、ことしはセブン誕生半世紀の節目ということもあって、メディアの取り上げ方もいつになく能動的でした。

そこに至る経緯やらなんやらはあちこちで語りつくされているのでここに記すのも億劫ですから割愛。欠番にされたと言ってもアンダーグラウンドなところではコピーを重ねた映像が今尚流出しており、欠番にされた理由には納得できないという人々は、おそらく解放運動を連綿と続けているものと思われます。

視聴者やファン、という広い括りの視線を負うならば、ちょっとした苦言がもとで永久欠番とされたことは、彼らの気持ちとしては寝耳に水だろうし蚊帳の外に置かれたことも不愉快なのかもしれないです。でも、封印は言われのない苦言が発端であり作品が持つメッセージは伝え続けるべきだという訴えも理解できるとして、そのような苦言に至る、作品の扱いに疑問を感じた側の問いかけに対して、制作側が受け止めた決断で、この一件はとうの昔に完結しているのではないかと思うのです。

風化させてはいけないとのアピールにしても、欠番とされたからこそ議論が続けられているのであって、わざわざ欠番を解かなくとも、なぜ世に出せないのかというフォーマットの上で、ウルトラセブンという作品に平和への祈りや過ぎた武力の愚かさを解き続けてもらうことの方が大事ではないかと。

欠番とすることを潔しとした制作側の、苦言を呈すに至った親子というより、ピュアに哀しさを感じた子供に対するやさしさ。テレビがそれほどまでにお茶の間と近いところに立っていたとも言えるでしょう。そこを無下にしてまで、解放を迫るものじゃないと思うのです。

 

理不尽の戦役

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今頃何言ってんのさと思われちゃいますが、映画館に行ってる余裕などなかったのでソフトに頼って「ルウム会戦」をようやく観たわけです。物語はもうORIGINで描くストーリーが予定調和で進むだけですから置いといて、歳くったおぢさんが今さら観る機動戦士ガンダムというよりロボットアニメは、こんなはずではなかったんじゃないのか? に尽きるものです。リアルな世界観、リアルな描写、そういったガンダムならではのエッセンスも、次第に煙たくなっていたのです。

とか言っても所詮は絵空事の話なんですが、絵空事だけに描きなおされた人々が戦争という理不尽に翻弄されていく様を見せつけられるのは、戦後の人間でも辛いわきついわで、太平洋戦争知らなくても傷痍軍人を見たことのある僕には、やがて死にゆくことがわかっている登場人物たちが不憫でなりません。サイド2の若い男女なんて見てられません。なんだってこんなにも、ロボットアニメにかかわらずヒーローものというのは戦争や殲滅とセットになっちゃったんだろ?

誰でもいいから「戦争をやらない」「敵がいない」「そうも言ってられないなら宇宙災害とかに立ち向かう」機動戦士ガンダムを作ってほしい・・・

 

などと言ってたら今朝方、久しく会っていないエスクード仲間が40代半ばで急逝されたとの報。理不尽でやりきれない思いは現実の世界ではもっと容赦ないです。ご冥福をお祈りします。