夢を追う男が今現在2000といくつの技を身につけているのかわかりませんが、彼も本日付で「本厄の後厄」の年回りになるようです。彼が前回、数え25歳の厄年のときに未確認生命体事件に巻き込まれたのは、偶然だったのか運命だったのか。それも定かではありません。1975年3月18日生まれというと、仮面ライダーアマゾンの放送終盤、ペヤングソース焼きそばが登場したくらいの頃でした。
これは、あくまで邪説な異説の仮説として流していただきたいお話。曰く「初代ウルトラマン」より先に地球に来ちゃってたんじゃないか?と思われる「帰ってきたウルトラマン」というサブカルチャー的疑問をどう整合するか。背景を細かく展開するのはめんどくさいので「近未来を描いていたウルトラマン」に対して、「帰ってきた~」は極めて明確に1970年代を舞台としたというパラドックスが素材です。そしたら初代とジャックこと新マンの序列は入れ替わるではないかと。
実はそれがパラドックスとして介在しても、初代ウルトラマンはそのまま初代として名乗れる理屈があります。その邪説で異説な仮説の根拠となるのが、幻の都バラージの神殿に祭られていた「ノアの神像」でした。これがどなたなのかは不明瞭ですが、物語としては初代自身でしょう。つまりウルトラマンさんはジャックさんより5000年も前に地球に来ており、ベムラーを取り逃がしたときは「帰ってきたとき」ではないか。これにより彼は立派に初代ウルトラマンと呼べるのです。
いやいや、バラージの人々、彼をそう呼んでいないし、ウルトラマンと名付けたのは科学特捜隊のハヤタ隊員・・・と今まで思っていたのですが、これが定説だとするとセブン以外の多くのウルトラの星の面々がことごとくウルトラマンを名乗ることが腑に落ちなくなります。ウルトラマンと云う呼称はもともと彼らのものだと考えた方が筋が通りやすい。で、自らそう名乗ったのが、誰あろう後のジャックさん。地球飛来の後タッコングを追いやり、郷秀樹の亡骸に対して語っています。
初代とベムラーより前に地球に来たらしいジャックさんについて述べると、ウルトラの星から派遣される地球年代は任意に選択できるのではないか。初代が地球にとどまる21世紀以前の80年代、星間侵略戦争に太陽系が巻き込まれた頃既にセブンが来ています。怪獣出現や宇宙人来襲のきっかけとなる時間軸的特異点を彼らが調査した結果、1970年代らしいとされ、ジャックさんが初代よりもあとに、初代より昔の日本にやって来たのではないか。
これならばジャックさんを救出にハヤタ、モロボシのそろい踏みも違和感が無いのですが、この仮説の問題は、番組が後から作られているだけに「帰ってきたウルトラマン」の情報量に層が出来上がっていることです。その最たるパラドックスが、ジャックさんが戦ってしまった2代目ゼットン。初代とジャックさん同士の対話は、二人の地球滞在年代がずれていても初代が先に戦っているから問題ありませんが、MATの伊吹隊長がゼットンを知っていることが、まだ越えられない壁。
同様に、地球時間では年代的に後になって地球防衛軍が「新火薬」として実験しようとするスパイナーが、MAT所属の国際連合機構では実戦配備されているし、民間人の子供ですらバルタン星人(ジュニア)を知っていることがさらに分厚い壁。バルタン自身はいくらでも出てくる好敵手なので、生き残りが過去にタイムリープしたのだと言い逃れしたかったのですが・・・ しかし邪説の異説の仮説も「ウルトラマンメビウス」でかなり大統合されたので、意味が無いのかもしれません。
お台場のRX78‐2の展示が昨日で終了し、いよいよ撤去が始まるとか。一区切りついたなと思ったら、秋にはユニコーンガンダムがそびえるというのはいささかしらける展開です。
あの当時だって、潮風公園のヤードでやたらとでっかいパーツが徐々に組み立てられ、ガンダムのカタチが出来上がっていくプロセスの方が面白かった。いざそれがガンダムになった途端、自分の中ではやーめでたしめでたしで完結していました。
今となってはもう100分の1プラモデルのパーツ数を見ただけで放棄しちゃいますが、あれはやっぱり自分の手で組み上げていた方が楽しかったのかなあと感じます。
友人の計らいで12分の1のガンダムやザクを組む機会に恵まれていたのは、幸運だったですね。それこそ放棄じゃなくて蜂起状態でよってたかって「なんだこのでかさは」とか言いながら、いろいろやりたい放題やりまして。
しかしこの模型のオーナー様もすさまじい人で、このときすでに同スケールのシャア専用ザクと量産型ザクを組み終えているのですが、納品伝票を見たらガンダムも「2個」と記されていました。
それにしても、鯛焼きだの前掛けだのほんとにとんでもないことやってます。念のために断わっておきますが、10年前の娘らの仕業です。
「ふざけんなよおい長すぎるって!」
こういうノリは大好きです。だけどやっぱりこのスーツ、継ぎ目が多いことと背中のひらひらが無いのがさびしい。
格闘特撮に重きを置いた映画なので、このシステムがホークやグランパスへの転身もやってのけるのかどうかは・・・そこも期待してるんですが、まあとにかく能天気でハードボイルドな正義の味方を作り上げてほしいです。
「2202観た?」「愛の戦士たち行った?」「嚆矢篇いいよ!」というメールが波状攻撃のように着信してくるのですが、お願いですほっといてください、という人種もいるのであります。イスカンダルまで往って還ってきた話のリメイクだけでもうおなかいっぱいです。後に少年少女からの搾取のためには大人は簡単にうそをつくんだということを悟らされて、その引き金を引くにしてもこんな物語はないだろう!と袂を分かつことになった映画でした。
構成は変わるのでしょうけど、そのリメイクには触れたくないのです。「さらば~」の何か残しているかなと基地を発掘したらば、何も残っていませんでした。あー、頭にきて映画のパンフレットは映画館のごみ箱に捨ててきたし、先買いしたレコードはかち割ったんだっけねエと思い出しました。
そういえばこの楽曲をふんだんに使ったラジオドラマでクレジットに呼ばれなかったということで松本零士さんが癇癪を起し、スタジオに来ないかもというハプニングがあって、なんとかなだめられてやってきた松本さんが「ここには来たくなかった!」と吐露した生放送の顛末は、今思えば番組が取り扱う物語(イスカンダル編のことですが)のことを何一つ理解していなかったパーソナリティーや制作側のスタンスに腹を立てたんだなあと、今だとわかるような気がします。
そんなわけで、シン・ゴジラだって観なかったのですから、2202を観ないのは個人の好き勝手ですので、ご容赦ください。
ダガーに横笛の機能を持たせたのか、横笛をベースに刃を後付けしたのか、その設計思想は不明ですが、よくよく見ると木管楽器ではなく金管楽器のピストンバルブもついている。実に不思議な、しかしかなり琴線に触れる魅力的なデザイン。単純に「かっこいいじゃんっ」と、20数年前に上のやつを購入して、まだつくばーど基地に保管してありますが、これを鳴らすと笛じゃなくてほとんどトランペットな電子音旋律が流れるのがご愛敬です。
これはいい年こいた大人が手にしても、最も小柄な短剣というサイズで、当然対象年齢層の子供にとっては立派な成りきり玩具でした。スーパー戦隊シリーズの小道具がこんなに力を入れた造形をするのかと感心したものですが、ダガーとして見た場合でもルーツに遡れるのはたぶん新石器時代。この戦隊は一億七千万年前のジュラ紀の生物を守護獣とする部族の末裔らしいので、どこでどういうふうに楽器と剣を融合させたかはさっぱりわからない、オーパーツなのです。
それにしてもなんだって今頃になって、大人サイズ?な気合の入ったプロップを復活させちゃうのよ。ついうっかり予約しちゃったじゃないかよ。
このところ世界情勢から取り残されてばかりで、しかも取り残されていてもまったく国際的に何一つ影響がないという情なーい日々ですから、ブルーリボン賞に初めて「人間ではない受賞者」が登壇したということも知らなかった。そのニュース自体はあとで見聞きして「へー」という感想を抱いたわけですが、この登壇に対して誰か一人くらいは突っ込みを入れたのかどうかが気になっても確かめようもありません。いやほら、ファンの方々は「キンゴジ」「モスゴジ」とか極めて高度な識別眼を持ってるじゃないですか。こういうめでたい席ですから、ゴジラならどれを見繕ってもいいのかなあと感じながら、僕はこの登壇者がどのゴジラかわかんないんで大きなことは言えないんですけどね。
受賞した映画のゴジラぐるみを、さすがにこの場のためだけに作るわけにはいかなかったんでしょうね。
前編、中編と「ウルトラセブン」における劇中設定の謎を取り上げましたが、半世紀にわたるもやもやは他にあります。地球防衛軍の極東基地が静岡県にあるというのは、「生活用水から原子炉冷却に至るまで、豊富な水源を必要とする」基地の性格上、年間約24億トンとも言われる富士山降雪水量を湛える麓の地下水源を利用するのが最も合理的な理屈なのです。それでも再び、やっぱり神奈川県じゃないのか?と思わされている二子山サイロのことなのです。
二子山サイロはウルトラホーク1、2号の発射拠点で、山体下部にカタパルトやそこに至る格納庫からのエレベータが設置されています。ホーク発進時、この山体はカムフラージュを解き、山体が「見た目真後ろにスライド」するのです。・・・ちょっと待て。スライドした方の山体はいったいどこに移動しているのよ? このメカニズムに対する疑問が半世紀ずっと、自分の中で解き明かされずにくすぶり続けているのです。だって、一部分とはいえ山そのものが動いちゃうんですよ?
ウルトラホーク1号は全長42メートル、翼端までの全幅が20メートルです。少なくともカタパルトのエレベータはこれよりも大きい。二子山カタパルトはその面積分をスライドするのです。動く方が鉄骨フレームに植林した偽装ドームだとしても、とてつもない規模じゃないですか。動かす側の受け皿になるスペースだって必要なのです。見た感じ、そのような平坦地はない。しかし二子山の後方にたぶんその平坦地は「あり」、そこに丸々動かされている構造としか考えられません。
スライド側の山体断面は法面擁壁の上層に樹林を植栽していますが、擁壁の内側がどうなっているか不明です。この質量を動かすのだから内側は空爆に耐える構造を取りながらも、軽量化された空洞と考えられます。偽装樹林も枯れたり折れたりしない人工樹木でしょう。蛇足ですが2号発射サイロは1号カタパルト部の前面に配置されているそうです。2号は全高64メートルですから、極東基地は地下数十メートルどころか100メートル超の大深度まで活用されているようです。
何が知りたかったかって、劇中の発射シークエンスよりも、その撮影セットをどう動かしていたのかのギミックなんです。何年か前に「ウルトラマンアート」なる展示会で、二子山模型が展示されたのですが、それはホーク発射段階の開口部に過ぎず、山のスライドは再現されていませんでしたし、カタパルトの解釈も「その場設定」でした。唯一、24話のみ急上昇する1号を上からとらえていますが、二子山はロケット雲に隠れて見えません。謎は墓場まで持って行けということですね。
ところで二子山サイロは、開口すると内部が無防備に露見するという極東基地の弱点でもあります。その際致命傷になるのは、おそらく2号用サイロが地下深くシャフト状に潜っている構造で、ここを爆撃された際のダメージは計り知れません。ところが、史上最大の侵略において敵対したゴース星人の武器は地中弾道弾でした。ゴース星人、なんで極東基地を地底から直接攻撃しなかったのかも謎です。片っ端から富士箱根伊豆方面に打ち込んでいけば、いくつかは命中したことでしょうに。
という結論は既にあるという前提ですが、さほど長身でもないのに恐るべき等身とプロポーションの、どこで仙台弁みたいな語尾でしゃべるのを覚えたか不明のこの鬼娘は、第三作目の映画で1967年(ただし地球の西暦)に生まれたとされています。
あ、そうなの! この子、ことし五十路なんだ・・・ と、そんなこと言おうものならファンに何を言われるかわかんないですが。
おそらく、第三作目を制作する際、それが1985年の公開ですから、そこに合わせて彼女の年齢を設定したのだと思われます。だからルール的には「第3作目のみの生年設定」という解釈をするのが妥当なのでしょう。別解釈だと「1978年に連載開始されているから、いま55歳」とする人もいらっしゃいます。
いやまあしかし、この先リバイバルがあっても高校生と虎縞ビキニの姿のままで、何度でも登場することでしょうから、電撃食らう前に歳の話はやめといたほうがいいってことで。
あっ、うちでは「等身大フィギュア」(昨年、単価百万円で限定発売された)なんて購入しませんでしたからね。
仮面ライダーアマゾンズに登場していた「ジャングレイダー」と呼ばれるオートバイは、かつての「ジャングラー」を今風にアレンジしているだけの存在と思い込んでいました。が、よくよく見たらこれって「ギルスレイダーからの再改造」だったそうで、展示会などで出展された実車を見た人はすぐそれに気が付き、出自も公にされているのだとか。曰く「仮面ライダーギルスのアクトスーツが腐食し廃棄されてしまったので、ギルスレイダーも二度と使われることが無いから云々」・・・
車名にレイダーを残し、車体も一部そのままの意匠で再塗装した演出に膝を打ちかけ、なんかそれはそれで仮面ライダーギルスが哀れかもなあと感じました。アマゾンズで語られるアマゾン細胞の謎などを軸に、両車の繋がりに番組上での新設定を設けても良かったんじゃないかと。ただ、ギルスこと葦原涼という青年は、仮面ライダーアギトの終幕では自らの運命を受け入れ、ギルスとして生きていく決意のもとに旅に出ていますから、その後の彼には不幸を背負わせたくもないのですが。
そういう記号はしかし、アマゾンズの中に埋め込まれていたようで、最初の実験体に続きヒトにアマゾン細胞を移植した第二のアマゾンが「α」で、アマゾン細胞にヒトの遺伝子を加えて培養した第三のアマゾンが「Ω」。まああとから出てくる「Σ」はほっとくとして、「αとΩ」というのは「アギト」の記号でもありました。こういう小技は面白いんだけれど今更の発見(気づくの遅いよ俺)。それくらいアマゾンズには魅力を感じなかったということなんですけど・・・