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  ~懲りない傾向~

トウキョウWARから18年

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柘植行人一派が決起し東京を舞台にテロ活動を敢行したのが、2002年2月26日のこと。警視庁警備部特殊車両二課(ほぼОB)の超法規的活動によってこれは阻止されたものの、2013年に再びシンパによるテロ行為が勃発し、またも特車二課の手で鎮圧されました(されたんだってば)

夜な夜な、あるいは明け方、都心を走っていても、今は武装蜂起の様子はうかがい知れません。

ふと思い出したのが、柘植の部隊が18年前に都内を爆撃した際、攻撃ヘリが有楽町センタービルを銃撃していたような気がするのですが、これが同ビルなのかよくわかりません。同ビルであるならなぜ攻撃対象となったのか。

有楽町センタービルの位置にはその昔、朝日新聞東京本社が所在し、二・二十六事件で襲撃を受けていますから、そのオマージュなのかもしれませんが、同東京本社は1980年から築地で操業しており、2002年に撃たれちゃうのはどうなんだかなーと。まあそれこそがクーデターではなくテロなのだよと、たたみかけるのも容易ではあります。しかしこのビルの壁面にアンテナがある(現物には無いと思う)ので、ほんとに有楽町だったかどうかはちょっと自信がないのですが。

マクロの時代

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2月22日、SDF‐1マクロスが進宙してから早くも11年が過ぎました(過ぎたんだよ)。この日、第一次星間大戦も勃発しているのですが、その後戦乱は一旦終息し、2012年9月には二番艦メガロード01が進宙。しかし宇宙移民が目的だったメガロード01は4年前に銀河系中心域で消息を絶っています。

80年代に描かれた未来はこうしてどんどん過去に埋もれています。

ところが、このマクロスの防空隊に所属していたエースパイロットのマクシミリアン・ジーナスに視点を移すと、彼と彼の妻であるミリア・ファリーナ・ジーナスの家庭はまだ、現代から未来へと橋渡しを続けています。二人の最初の子供であるコミリア・マリア は2011年3月の誕生。この娘を長女として次女ミラクルが2017年誕生、三女ミューズと四女 テレーズの双子は再来年(2022年)、五女 エミリアが2024年、六女ミランダが2026年に生まれてきます。

さらに初孫のミラージュをはさんで2031年2月に、マクロス7に登場する七女ミレーヌが誕生する予定で、まあかーちゃんがゼントラーディの血筋とはいえマックスもお盛んだねえと思ってしまうわけです。

主人公が三角関係やってる間に、彼らの家族こそが異星とのファーストコンタクトを成功に導いていたことを、今になって気づかされました。

 

Hey my friend

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最近では「跳んで埼玉」がコアなファンを増殖させているそうですが、人の棲息圏ではない扱いの群馬やら茨城という凄まじい扱いに、茨城在住の土着民はため息つくばかり。しかしですよ、その群馬では「頭文字D」なんて映画が(撮影は新潟だとか?ですが)作られているし、茨城では「跳んで~」など蹴散らせる(かもしれない)「下妻物語」が描かれ、2004年に映画化もされていましたよ。もっとも原作が描かれたのは「跳んで~」の方が遥か昔ですが。

恥ずかしいほどの、時々ありえないローカル色を逆手に取った「下妻~」は、隣県他県を蔑む「跳んで~」とは異なり、能動的に東京を肯定して主人公を代官山へ通わせます。しかし物語は悲しいほどに茨城のとかいなかで面白おかしく展開するのです。東京が埼玉とバトルを繰り広げているうちに、イバラキ県南ではもっともっとローカルでピュアでえげつない戦いが勃発するのです。というわけで、本日久しぶりにWOWOWシネマで放送!

紅蓮の変身

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「仮面ライダークウガ」が二十周年を迎えたそうで。と書こうとしたら「それは1月30日の話だ」と言われて、機を逃してしまいました。

が、第1話では図らずも「変わってしまった」流されで、五代雄介が意志を持って「変身」したのは第2話だよ(ひでーこじつけ)ってことで、EPISODE2が世に出た2月6日でもまだ間に合うぞ(なにをやってんだか)

その、第1話の角の短いグローイングフォームにも意表を突かれましたが、白い不完全形態から赤のマイティーフォームへと、膝を打つ展開と当時として精度の高い仮面は、角というデザインにストロンガーの前例があったにもかかわらず、古さから新しさを十分に発揮していました。殺人ゲームや暴力表現など様々に叩かれた面もあるそうですが、親とヒーローものを見たことのない僕が親になっていて、親の立場で子供たちと一緒に見ることのできた初めての仮面ライダーでした。

娘らはさすがに怪人の造形や殺戮を怖かったと話していますが、大人になった彼女たちはあらためて、クウガの物語が何を伝えたかったか解ってきたとも。親に隠れて「仮面ライダー」の漫画連載を読んでいた僕(テレビはなおのことチャンネル権得られなくて別の部屋で隠れて見た)にとっては、親子で見られたという点でもクウガが印象深い番組でした。

まさかから出るまこと

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企業アピールのジャンルとしては極めて前衛的だった「前田建設ファンタジー営業部」が、まさか本当にドラマとして劇場公開になるとは思いませんでしたが、作ると聞かされたちょっと前にはほんとに「まさかー」と言っちゃったものです。

試写会をトンネルの貫通に合わせて現場でやるというのは、映画屋さんの企画でしょうけれどいかにも前田建設工業(これが正式名称。紹介する際は「工業」を取れって、めんどくさい会社だよね)らしいです。

本家サイトで連載されていた「マジンガーZの格納庫を作る・・・ための積算を行う」仮想リポートは、はっきり言ってまるっきり面白くなかったですよ。ただそれは、連載を物語として没入しようとしたからで、ドキュメンタリーとして受け止めていけば良かったのかもしれない。でも、当時は登場人物にもまるで感情移入できませんでした。

そのあたりを、限られた尺でまとめなくてはならない分、映画版は一般向けに分かりやすくなっているのかもしれません。過剰で余計なエフェクトがうざったい部分もありますが、立案された構造物を形にするためにはどんなプロセスが重ねられるのかをある程度知ることのできる本作は、たぶん面白いでしょう。

まあでも、試写会にマジンガー課長?が参加していたのがほほえましかったけれど、この映画は格納庫を作る見積もり作成のドラマなので、またしてもマジンガーZを特撮で作る(ちょこっとでもいいのよ)チャンスは実現しなかったようです。

映画とは関係ありませんが、試写会場となったトンネル現場は、磐越道の小野インター近くから浜通りへ向かう県道だったかの拡幅や道路改良路線の一部で、昔はけっこう迷子になりかかった道筋でした。長いこと道路改良に手が付けられなかったけれど、自治体にそれを作る財政基盤がないため国に申請して国土交通省が代行整備するという支援事業になっています。郡山市にある国の国道事務所は、この方式で福島県内ではもう三か所くらいの道路整備や改修を受け持っている、真の社会資本整備を実践している事務所です。

映画屋さんたちには、ぜひともそっちをテーマにしたドラマを撮ってほしいところです。前田建設なんて、全面協力してくれる会社ですし。

令和!←違

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春休みの『劇場版ウルトラマンタイガ』はまあいいんだけれど、TVドラマでは「タイガ=タロウの倅」という存在感がほとんどなかった。で、いきなり映画でとーちゃんが闇落ちとか親子激突とかいう展開はどうなんだかなー。

と思っていたら「ウルトラマンレイガ」。ニュージェネレーションのウルトラマン全部乗せのフュージョンのようです。

この側頭部ってどういうデザインなんだろうかと目を引く新しい方向性。装飾がまだまだ多くてうっとおしいところもありますが、第一印象で大魔神やグレートマジンガーの前例をイメージしたものの、それらとは一線を画しているので、よくがんばったなあと思っています。

でも、タイガがコアになっているのか、相変わらず鼻筋部分で「鼻の下が長いぞ」とも言いたい。

インフレダークヒーロー

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実は「ラストレター」を観た後、「ルパン三世TheFirst」も梯子して観ておりまして、山崎貴・・・というか白組が3DCG世界でルパンを作ったらどうなるんだ? よりも、もはや今のルパン三世という立ち位置では、誰がどんな手法で作っても変わらんわと項垂れるばかりの感想です。超古代でも超科学でもなんでもいいけど、なんだって映画にすると(TVスペシャルもそうだけど)大仕掛けの危機をこしらえ、それを奴が解決しなくてはならないのか。

全部が全部ではないけれど、まあ「ルパンvs複製人間」以来そればっかりじゃないですか。奴の泥棒家業という根底の設定は、もう世間が許してくれないアンタッチャブルな領域なのでしょうか。他方、CGの作りとして、カーチェイスは一見迫力満点ですが、小栗旬ルパンが実写(とVFXの組み合わせ)でやっている以上、実写に軍配が上がります。

真新しいことといえば、ルパンの髪の毛も毛羽立ち波うつのかという点と、奴の着ているジャケットはレザー生地だったんだという質感で、その割に銭形のトレンチコートには布っぽさが感じられなかった。ま、そんなのは重箱の隅をつつくような話ですが、泥棒なのか天下の大怪盗なのか、はたまた義賊だけれど悪党なのかが希薄になってしまったルパン三世を、「Second」があるなら復権させてほしいところです。

手  紙

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岩井俊二監督・脚本(原作もか)「ラストレター」を夫婦で観てきまして、どっちが良かったかと言ったら25年前の「LoveLetter」の方が斬新で新鮮だったかなあと思いながらも、久しぶりに岩井映画の当たりくじを引いた印象でもあります。前評判も知らずの映画で、僕の仙台在住最後の夏に、仙台や白石、七ヶ宿などで撮影していたようです。だから知っている風景がよく出てくるけれど、その風景はあまり効果的に使われていなかったのが残念。

意図した構成なのでしょうけれど、「LoveLetter」同様に葬儀の場面から始まり、手紙による交流が始まっていく。ややもすると暗く沈んだ方向へ進みかねないプロットなのですが、是枝裕和さんなんかとは違っていて、社会的なメッセージよりもあくまで恋愛映画なのだよという牙城を維持しているところは安心できます。「LoveLetter」では中山美穂(どっちかといえば好かない女優だった)が実に可憐に描かれていたように、今回も登場人物が引き立っていました。

ただ、知名度の高い役者陣というのが、感情移入させにくい。その部分では松たか子にしても広瀬すずにしても、中山美穂のときのように「はっとさせる」ものがないのです。が・・・なんで出てくる庵野秀明!(おいおい、失礼だなー)が、いい味を出していた。彼が松の夫役として出てきて画面をほのぼのと緩めるのは意外な演出です。アニメ声優も入れればもう出演16作品めとは驚きです。48歳という役だそうですが、庵野さん来月、還暦だよね。

you aer the lonely more than the lonliness

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もはや古典なんだと思い知らされた「超人ロック classic」。第一話にあたる「ニンバスと負の世界」が執筆されたのが1967年ですから、サイボーグ009と3年程度しか違わない。70年代になってから、まだ月刊化前のОUTが取り上げその存在を知った頃には、ロックそのものは軽印刷のポケット版(第一話、二話の二冊構成)と、新書版の復刻もの四冊を買うことができました。それらの最も古い四話とプラスアルファの構成で、こんなものが出てくる時代となりました。

第二話「この宇宙に愛を」、第三話の「ジュナンの子」までは同人レベルの画力でしかなく、四話目の「コズミックゲーム」から別人のような画風となっていくのですが、これをSFものとして読み解くと、たぶん009よりも高度なフォーマットを築き上げているのです。

なんでまたいまどき、この時代ものに絞って出版するのか(昨年12月時点)と思ったら、少年誌連載開始から40年めだったと。もう少年キングの連載第一回目の「炎の虎」だって古典の域です。しかもまだメディアを変えて新刊が出てくるんだから、若い人たちに原点を読んでもらいたいという意図はわかるような気がします。ちなみに2001年に描かれた「オメガ」は「この宇宙に愛を」(自動的にニンバスと負の世界も内包)、2002年の「久遠の瞳」は「ジュナンの子」のそれぞれリメイクなので、このclassic版と読み比べると、当時すでに前衛的なセンス・オブ・ワンダーだったことと、リメイクにおいて当然、10歩も20歩も進化させていることがわかるでしょう。

遥か彼方の銀河系

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「スカイウォーカーの夜明け」という邦題が良くないのかなあと感じました。「Rise」という言葉を、もっと深く掘り下げねばいけなくて、「Bbreaking Dawn」(夜明け)と混同されてはならなかった。けれどそれは日本でのお話で、全米ではどうなんだかわかりません。海のこちらではエピソード9自体が例によって賛否両論で、そりゃ10人が観たら最大10通りの感想があるわなと思えど、不評の声が大きい。

今三部作の主役である彼女が、その出自を明らかにされて「なんだよーやっぱりかよー」と思われ、「縁もゆかりもない彼女がスカイウォーカーを名乗るのか」という声も。そんななか、後ろの座席にいたカップルの男の子が

「最後のシーンが朝日を受けている。あれが新しい時代の到来を意味していて新生スカイウォーカーの夜明けなんだよ」

とガールフレンドに力説しているのがほほえましかった。

いや、君。エピソード4もういっかい観なさい。カメラワークから俳優の顔の向け方まで、4をなぞったあれは夕日なんだよ・・・

それはそれとして、作り手のJ・J・エイブラムスはあくまでも「ジョージ・ルーカスのスター・ウォーズ」を死守しようとした(エピソード7において、ルーカス自身に真新しいものが何もないと言われてるけど)。一方でそれを焼き直しだと(まあそう思いますが)許さないファン層は、「スター・ウォーズ」というブランドを意識している。そんな構図を感じます。エピソード8の時点で、8を制作したライアン・ジョンソンも「これはスター・ウォーズをぶち壊した」と叩かれましたが、最近では「せっかく新境地をこじ開けたのに9がまたしても焼き直しした」とも。

確かに壮大な仕掛けと映像なんだけれど、フォースをめぐる最後の戦いがスーパー戦隊のラスボスのノリでしかないのはのけぞりものです。それでも、ルーカス版とあえて言ってみて、その咀嚼の仕方を「彼の少年時代の夢の冒険譚」とJ・Jが解釈して、背伸びしながら殺伐とも見えたエピソード1から3の世界を再びディズニー的に親子一緒に楽しめるように仕組んだんだと覚悟してのことなら、許してもいいではないかと感じます。

いや、1から3に至るベイダー卿誕生譚が嫌いなわけじゃないです。でもどこか大人っぽかったからね。

しかしこの映画をまだまだ観たいというブランド化希望の人々にも、後世絶対に「カノンだった」と言わしめる日が来るような気がしてなりません。