Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

天気が悪いので?!

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「ドライブしよう」
という新月サンに連れられて沼田辺りまで水汲みに。
最初に行った〝天神の水〟の横にあるお蕎麦屋さんでお昼ご飯。

その後、酒屋さんの湧き水と〝おすわの水〟を汲んで
さ、帰りましょうと交通情報チェックしたらポチポチ渋滞がはじまっていて、
「・・・とりあえずツルヤに行こうか」と、高速へ。
走ってる途中の電光掲示板に東北道の渋滞が表示されてて、
通り過ぎるたびに距離と時間が増えていくぅぅぅ・・・
ま、いっかと一旦高速降りてツルヤへ。
買い物して再度交通情報チェックしたら、東北道の渋滞の真ん中で事故。
新月サンが「ダメだこりゃ」と、慣れた下道で帰宅しましたわ。

能登丼

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輪島の朝市をそぞろ歩いて漆塗の箸を購入し、朝飯に入った食堂で「能登丼」の存在を知りました。鴨川でいただいた「おらが丼」と同様に、能登においても地域グルメが観光資源になっているそうです。

輪島のここでは、厚切りのふぐ刺しと白子のせ。能登丼にはもうひとつ、お土産代わりに漆塗りの箸をもらえます。箸、さっき買っちゃったよ。

ここから能登半島を、狼煙行きはさぼって国道伝いに珠洲まで回り込み、昼時の当てずっぽうな入店をしでかしたところ、その店でも能登丼をやっており、こちらは能登牛のローストビーフ。海鮮ばかりじゃないところがありがたいです。

能登牛は黒毛和牛だそうですが、久しぶりにうまいぞこれというローストビーフを引き当てられました。でもってやっぱり漆塗りの箸が・・・

さて杉野沢に戻ってきて、さすがに新潟ですから能登丼は出ませんが、昨夜の食卓は「杉野沢の笹簔寿司」というご当地献立でした。あったのか、そういう料理。

能登を出発するころから雨となりましたが、杉野沢にはまだ残雪も多く、笹ヶ峰の辺りは降雪情報です。

桜 舞い戻る

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茨城空港敷地内に展示されているF4EJとRF4Eが、10年の風雨と紫外線にさらされ色あせてしまったことを機に、小美玉市などが2機の化粧直しを施しており、「おいでよ、おみたま。おいでよ、茨城空港」とアピールしています。

とはいえ誰もが想像しちゃう「ナンバー680とだんだら模様」になるのではありませんが。

その事業とコラボレーションして、地元の小美玉ふるさと食品公社が販売するオミタマヨーグルトに、デザイン会社が協力して「リペイント記念パッケージ」と、「the SAKURA PHANTOM 2022SPRINGパッケージ」が期間・数量限定で登場しました。えー、もったいない。レギュラー商品でいいじゃんよー、と思うんですが、さくらファントム仕様のヨーグルトは桜のエキスを入れているなど、この時期ならではの演出ですね。

待ち焦がれた念願の

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感涙~

ワインバーに行けました。・・・3年振り?
友達夫婦と待ち合わせて久しぶりにお話出来るぅ
と、思ったら。旦那さんが3回目のワクチン接種後で
ダウン(汗)
木曜日に打ったのに、土曜日の午後までに高熱が
治まらなかったようです。
「楽しみにしてたから、熱が下がるの期待したみたい」
と、1人で来た奥さんが言ってましたけど・・・
申し訳なかったわ。
来月、仕切り直しね♪

 

春なのよぉ

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今年は2個で済んだ(笑)

母から「筍貰ったんだけど、食べる?」と電話が。
そりゃ頂きますとも。
去年みたいに鍋総動員する羽目になるかと
ドキドキしながら荷物待ってたら
コンロ二か所で済む量でよかった。
(生以外に茹でたのも送ってくれたけど)

タケノコご飯にお味噌汁、鶏肉との炒め煮
美味しい美味しいと舌鼓打った翌日に
新月サンが5本貰ってきました・・・

ちょっと味薄かったかなぁ

鎌倉七座と鎌倉五浜を全部のせな覚書

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絹座、炭座、米座、檜物座、千朶積座、相物座、馬商座。南北朝時代に発したといわれる、鎌倉において販売や製造の独占権を持つ集団とその居場所を示す言葉で、これを鎌倉七座と呼ぶそうです。歴史的には「材木座」ではなく、檜の皮を素材に器を作っていたという檜物座が正しいようで、後に頼朝が鶴岡八幡宮を造営する際大量の材木を海路で運搬し陸揚げしたことから「材木座」の名が出てきたとかなんとか(諸説あるのでこの辺で逃げます)

材木座海岸は由比ガ浜、坂ノ下、七里ヶ浜、腰越と並んで鎌倉を代表する海辺ですが、昼飯を食いに行くとなかなか競争率の高いところでもあります(突然話題が変わるなあ)。予約を取っておけばいいのでしょうが駐車スペースは予約対象にならない。開店後あっという間に埋まってしまうのが「海沿いのキコリ食堂」の人気です。運よく開店五分前で三番目の入店権利を獲得でき、夫婦で昼飯をいただいてきました。夏日でも風が適度に流れて心地よい昼どきです。

 

来月はこれのために頑張るのよ

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怒涛の年度末をようやく乗り切るところまで来ましたが、年度が替わると途端に新しいミッションがなだれ込んでくるので、電池切れどころではないルーチン。もう頭上にニンジンでもぶら下げなきゃやってらんねーということで、4月の連休開始と同時に北陸に出かけることにしました。夜通し走って能登の辺りまでを考えていますが、昨年の永平寺へ行くよりも、能登半島の方が若干遠いという事実に驚愕(笑)。福井より手前なのに片道600を軽く越えてるじゃないか。

往復日帰りは厭だの論理で、29と30日を杉野沢でお世話になります。そこまで行くんだから、たちばなにも立ち寄りたいじゃないですか。てことで30日の昼に出没すると思われます。しかし困ったことに、これだけ毎年妙高に通っていながら、妙高小谷線ととん汁以外に観光資源を知らないという。とん汁食ってから晩飯まで、どこに行けばいいんだ? などと頭を抱えるのもまた楽しいんですけどね。今年も高速割引しないらしいですが、いいよ散財してやるよ。

お昼の〝ご飯〟

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盛りすぎて焦げた。

新月サンがポーっとしていた日曜日。
「お昼は何が出てくるんでしょうか?」
熱があろうとも衰えぬ食欲(笑)
冷凍ご飯があったので、買い置きのスープ缶でドリア。
休みのお昼に〝米〟が出てくるのは珍しいから
新月サン目を丸くしてました。

 

無事、完食。

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とある日のお昼ご飯。

赤くなった青いトマト(なんだそりゃ)
最後残っていたミディトマトサイズ10数個
スープに加工していただきました。
今年のトマトは赤くなっただけじゃなくて
ちゃんとトマト味がしました。
・・・なんでかな?

 

被災地の記憶、というほど大げさではない記憶

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忘れたらいけない話はいくらでもありますが、東日本大震災直後の実生活だってひどいものでした。物は無いし燃料も乏しいしというなか、それでも仕事は止められないので宮城県を部下に任せて僕はもっぱら岩手県の被災地に出かけていました。食事よりも給油が大変だったけれど、飯を食うところがない。呑気に食っているのもはばかられた。そういう一年が過ぎた春、大船渡の町にモスバーガーが開店して、これが当時は午前7時から開店していて、しかもフルオーダーでやっていた。

仙台から夜明け前に走り出して午前中の仕事に入る前に、この時間帯に温かいコーヒーやハンバーガーが食えたというのは、実にありがたかった。だから種山高原の特製ラーメンを除けば、大船渡のモスバーガーはオアシスだったのです。

モスバーガーと言えば、学生の頃住んでいた下宿から、徒歩圏(今だったら絶対に歩かない距離だけどね)に東武東上線の成増駅があって、駅前近くに、そのモスバーガーがあったと記憶していますが、知らなかったけれどあれが同店の実験第1号店だったそうで、1972年の3月12日に開店したのだとか。

そして大船渡店。これも知りませんでしたが、津波で壊滅した陸前高田の店に代わって新店舗がオープンした大船渡こそ、モスバーガー創業者である櫻田慧さんの生まれたところでした。

関東に戻ってきてなかなか思うように東北へは行けなくなっているけれど、今は隣町の店舗に通っているモス野菜バーガーファンです。