なぜか生麺を大量に頂いた月曜日・・・
それから4日連荘で夕飯はラーメン(爆)
(だって麺の賞味期限が9日・・・)
一緒に貰ったスープが味噌と醤油だったので、鶏ももと手羽中煮て塩味のスープ作ってみました。
(さすがにガラから出汁を取る元気は無い)
もうちょっと塩気・・・?
でも塩足したら塩味がカドたちそうだしなー・・・
次回の課題だわっ!
2020年が始まりました。
車体で言えば齢24年のBLUEらすかることスズキエスクードTD61Wは、その年式の通り子年のラインアウトだったことに今更ながらに気が付きました。このエスクードも、いよいよ地球と月を往復して帰還へのカウントダウンに入っております。768800kmという道のりにはそれほどの年月を必要としました。この先壊れなければ、夏には帰りつけると思われます。
傍から見れば、かなりくだらない挑戦です。しかもこれが役に立つのかといえば、「鼠の尾まで錐の鞘」と言えるだけの価値があるのかどうか。「頑張ったけどケチのすること」には喩えられるかもしれませんが、まず世間の関心事にはならないでしょう。
けれども、平成の始まる年からエスクードに乗り始め、ぶれず流されず初代にだけ乗り続けてきたことは、きっと伊達ではないのです。惜しむらくは昭和の終わりに乗り始めていたら、一本芯の通ったエスクード馬鹿になれたのですが(笑)
地元に展開する喜多方ラーメンのフランチャイズ「坂内」は、地元と言いながらも高速道路を使わないとめんどくさい場所にあるのですが、今月はじめに、だいぶ近所の石岡市内に五軒めが開店しました。これまで通っていた潮来や水戸に比べると、座席数は三倍ほどありそうです。ショッピングモール内の店舗なので、駐車場が満杯という心配がないのがありがたい。関東では東京都内がダントツで、これに続いて神奈川県と並んで全国二位タイ(笑)という攻め具合です。
といっても坂内もまだ全都道府県展開はしていませんが。
しかしこれで便利になった半面、ただでさえめんどくさがりな我が家はいよいよ、喜多方の坂内食堂には足を向けなくなりそう。
石岡の大火は3月の出来事ですが、今からちょうど90年前の出来事。この市街地消失によって復興と再開発が進み、目抜き通りには後に云われる看板建築が立ち並んで、戦後もこの都市骨格は引き継がれて今に至ります。
その後看板建築は周辺の街にもぽつぽつと広がっていきますが時代の推移とともに石岡市内でも建て替えが相次ぎ、登録有形文化財として保存されているのは11軒ほどになっています。
大火の折、唯一焼けずに残った丁子屋のような、江戸時代末期の商家とは異なり、看板建築は近代のひとつの建築文化でありながら後世まで維持保存するというムーブメントには乗り遅れた感があり、それがより早い時期に始まっていれば、佐原や川越ほどではないにせよ、ちょっとした歴史的町並みになっていたでしょう。もっとも、老朽化していくそれらの建物に住まい続け、使い続けなくてはならないといった別の問題も内包するので、一概になぜ残さなかった?とも言えないのです。
そうしてまた、骨格は残しながら改修を施し形態を変えながらも使い続ける人々もいらっしゃいます。丁子屋の近所にある和カフェ「紫園」もそのひとつ。いつ改修したのか覚えていませんが、質素でしゃれたファザードはおそらく、看板建築の次の世代の意匠になるのではないかと思われます。しかし店内はすでに半世紀を過ごす、昔ながらの喫茶店。息子さんたちに店を任せたお母さんは、以前は洋服屋さんを営んでいました。
丁子屋も、この店の向かいにある雑貨商だった久松商店も、建物外観を維持しながら内部の活用を変えていますが、紫園はむしろその逆を行っている。
和カフェという今風の看板を掲げていますが、喫茶店であり定食屋のスタイルをずっと続けている、大火からの復興時代よりはちょっと新しく、けれど齢を経てきた街の顔です。
古カフェ系か孤独のグルメか。といった気分で、霙と遅めの昼飯に出かけ、常連客の過ごした後のひっそり時間にお邪魔しまして、しょうが焼き定食とハンバーグ定食を食ってきました。おいおい、看板建築の話じゃないのかよ?てな具合でとっちらかってますが、街探検って、外観だけではその街が過ごしてきた時間を読み取れないこともあるなあと思ったのです。箸で食う洋食だとか、定食だからハンバーグだろうと茶碗配膳だとか、こういう面白さは立ち寄ってなんぼです。
「筑波山」という名の丼は、常磐道友部サービスエリア(下り線)の豚丼メガ盛り仕様で有名になっていますが、守谷サービスエリア(やはり下り線)にも「つくば山」と名付けられた丼があることは、さらっとネット検索しても出てこない。守谷は東京渋滞を越えてきた最初の休憩ポイントながら、その位置関係ゆえに食事スポットとしては弱いのでしょうか?(でも反対側の海老名なんかはそうでもないよなあ)。それとも守谷の売れ筋が別のところにあるからなのか。
考え込んでもしょーがない問題ですが、知ってしまったらほっとけない(笑)
守谷下りの「つくば山」です。
エビフライ二本と、豚ロース焼肉四切れが、ご飯と千キャベツの上に盛り付けられています。メガ盛り扱いではありませんから、友部よりも若干安い価格。エビフライのソースをかけたい場合は受け取りカウンターの備品を利用。辛子もパッケージで置いてあります。豚ロースのたれは甘めの味付けです。
これはこれで良いではないか。と、食ってしまってからお店がとんかつのまい泉から出店されていることを知るという。あー、みんなとんかつの方を注文しているんだ・・・
だって他ならぬ食堂ニューミサの触れ込みが「誰が名付けたか富士山チャーハン」となっているんですから。
えっ、妙高山じゃないのか? と一瞬思ったけど、その妙高山は「越後富士」でした。
それで納得して食ったですよ。
しかし僕は、ふっじいさんに尋ねた折、みそラーメンを勧められていたのです。それを覆してしまうくらい茶目っ気のあるチャーハンだったのです。
それでもぬかりなく、霙がみそラーメンを注文しました。ニンニクがかなり効いていて、上越地産の白みそと玉ねぎとひき肉といった構成のそれは、好みで七味唐辛子を加えた方がいいかもしれない。
ニューミサは家族向け志向か、全体的にどの料理も甘め。このあたりはみそラーメンを単純に比較できないでしょうけれど、たちばなのとんそばやとん汁ラーメンの方が馴染みかなあと思って会計の折・・・
先日、財布を置き忘れて霙の世話になった恩義を返しに出かけました。霙が時々立ち寄るというティールームは、喫茶店というよりもフルーツパーラーの雰囲気が強く、軽食よりもパフェが充実しています。コーヒーを飲まない彼女としては、その方が敷居が低いのだとか。
そんならその店で普段頼まないやつを頼むべしと、値段の一番高いデラックスをオーダーしましたがその実態を霙も知らない。
「前に『さかい屋の金魚鉢パフェ』食べてるし、何が出てきても驚かないですよ」と待ち構えていると、いたって普通の、でもかなりお洒落なやつが現れましたよ。
このお店も階下に青果店があり、角館のさかい屋のようにそこが母体。僕が子供の頃は青果店で果物を絞りジュースとして販売していましたが、そのコーナーがまだ残っていました。水戸の街も時間貸し駐車場を上手に使えばなかなか面白く訪ね歩けます。