取引先の営業さんに頂いたえびせん。 包みを開けた同僚が「うわーっ!」 と言ったので何事かと(笑) うん。これは「うわーっ❤」だわ。
2025年日本国際博覧会、2度目の大阪万博(大阪・関西万博)まであと1年ちょっととなったようですが、高度経済成長期感覚の舵取りでこれがうまく行くとは思えない。かつて東京で計画されていた世界都市博覧会は、当選した都知事の判断で中止となりましたが、それで臨海部開発に深刻な打撃が出たわけでもなかった。今回の国も府も市も、そこまで吹っ飛んだ英断は出来なかったようで、1970年の輝きをもう一度見たい見せたい雰囲気です。
しかし(本気にしてはいけませんよ?)2025年、世界は巨大コンピューター「カイロン5」の反乱を受け大混乱に陥るのです。「カイロン5」は人類の猛攻によって無人島8JOに封印されますが、世界の大半が消耗し疲弊してしまうのです。その激動の中で育った少年ブルックリンは大阪の生まれ。2038年に8JOへの潜入を果たし、スクラップの山から可変戦闘車両「ガンヘッド」を組み立て、「カイロン5」とその尖兵である「エアロボット」と激闘を繰り広げるのです。
どうせ見せてくれる近未来なら、これでいいんじゃないでしょうか。今すぐ会場建設やめちゃって、そこを廃墟と設定して設定寸サイズのガンヘッドを何台も配置し、来場者は壮大な脱出ゲームを楽しめ、休憩所ではニンジン(わかる人にはわかる)をはじめ関西の美味いものを食い放題。古今東西の東宝特撮プロップ、サンライズメカニックの展示、物販、その手の上映、エアロボットをプロジェクトマッピングであちこちに出現させて、これを倒せたら映像は派手に爆散する。
35年も前の特撮映画を知る人は少ないかもしれませんが、今回の万博はひょっとすると外貨を稼ぎたいという本音があるような気がする。こういう趣向の方が外国人には受けるんじゃないでしょうか。というか、50年前の万博と同じベクトルで主催しようという作り手の発想がもはやだめなんじゃないか。でも大阪はかつて「DAICON 3」「DAICON 4」のぶっ飛んだオープニングフィルムを作った実績がありますよ。と、無責任発言しつつ本日は前の万博開幕から49年め。
ホワイトデーとやらがやってきました。子供の頃は「チョコレートのお返しにキャンディーあげるのよ」などと同級生の女の子が催促するように語っていましたが、いつのまにか飴玉が様々なバリエーション展開していたようです。もうそれこそチョコレート貰うよりも不経済極まりないかもしれないですがそれはほっといて、マシュマロを差し出しても良いらしい。ホワイト、というのは昔は飴に使う砂糖の色から来たようですが、マシュマロはそのまんま白いものね。
そういうことでいいじやねーかと、思ってはみたものの拒否権発動されたらあの殺人的に甘いやつを一袋自分で食わねばならんというリスクを感じ、念のため聞いてみましたよ。
「んー・・・さくさくのマカロン」
「フランボワーズのやつがいい」
・・・聞いてよかったぜ
今日の給油はだいたい何リットル入るかの予想が立ちます。このところのBLUEらすかるはコンスタントにリッター11キロを出しているので雑な計算ができるからです。
リッター11キロなんて昨今の自動車じゃあ自慢にもならない数字ですが、エスクードTD61Wのカタログ燃費はリッター10キロです。これでもそこそこ頑張っているのです。
この日、ちょっと勘が冴えて「50リットル行くか行かないかの、行かない方」と読んで給油したらばこの数字。昔だったら縁起でもないとか言われたでしょうが某二階堂裕氏なんか、自分のエスクードのナンバーを49‐49にしちゃうくらいで「四駆‐四駆」と呼べるらしいのです。うむうむ、これもまた理力のなせるワザよとほくそ笑むのですが、問題なのは支払い料金こそですよねえ。そこには理力の効能もへったくれもない現実が表示されるのです。
1988年デビューのスズキエスクードと同年式(作品制作年次)として、「機動警察パトレイバー」を何度か取り上げていたのですが、うっかり書き忘れていたのが1988年2月の「New Story of Aura Battler DUNBINE」に出てくるオーラバトラー・サーバインがあり、「機動戦士ガンダム逆襲のシャア」のνガンダムも同年3月12日封切り映画の主役機でした。ガンダムと言ったら大河原邦男さんですが、νガンダムもサーバインも出渕裕さんデザインで、パトレイバーと共通項がありました。
だからといって1988年出自という年次以外にエスクードとの共通項は無く、東京の20世紀末に活躍した98式AVイングラムと違ってサーバインは異世界、νガンダムは宇宙となっているのでエスクードと並べようもありません。この辺のことは言い出したらきりがないんですが、バトルホッパーとかアクロバッターなんかだったらどうにかすれ違わせることくらいはできるのです。などと脱線しまくりですが本日逆襲のシャア封切りから36年という半端な2024年でした。
仙台での単身赴任が終わり、地元に戻って5年目の3月11日が巡ってきました。さらに遡ることあの年、それこそ発災の5日前に東北在住最初のつくばーどを開き、仲間たちと宮城県北まで熊そばを食いに出かけていました。僕などはその前日、岩手県の釜石にいたのです。今振り返っても1週間ずれていたらえらいことになっていたと思いますが、震災が無かったらもう少し積極的にツーリングイベントを仕掛けていられたなあと、不謹慎なことを書けるようになりました。
先日のこと、BS放送のバラエティ番組でこの「狩人」が紹介され、店主が元気に過ごしていらっしゃるのを見ることができました。お店のある栗原あたりは震度7の地震を受けた地域で、内陸被災地でした。震災後は沿岸被災地での仕事に忙殺され、お店にはツーリング後一度しか訪ねていけませんでしたが、お店も店主も健在だと知り、ほっとしたのもつかの間、この番組ではご主人自ら「もう高齢なので、もうじき店は仕舞います」と話していて、そうだよなーと月日の流れを痛感しております。
自分の中では、帰還して5年も経過するとやはり被災のことは風化しています。この間、あちこちで未曽有の災害が続く今日。自分自身の被災者だったという事実は、ある意味棚の奥に片付けてもいいのかと感じます。