近所の「和食レストラン」にて。
ちょっと飲んでツマミつついたら、お腹一杯になってしまったん。(ありえねーっっっ!by新月)
時間も遅いし、まーいいかって頼んだのがこれ。
最後にサッパリしたもんが食べたかったんだよーん。
新月サンはしっかりご飯食べてましたけどね(笑)
先日のさほさんとのコンタクト話には、当日もうひとつの別なエフェクトがありました。
24日当日、朝っぱらから携帯に着信したメールは狼駄さんからで、基地の近くで釣りをしているという「なにやってんだそんなとこでっ」な内容。残念ながらこちらは盛岡、さらにつくばーど基地は家内出勤、霙学校でもぬけの殻ですから、狼駄さんを誰も迎えられなかったのですが。
一見、何の関係もないように思えましょうが、狼駄さんもさほさんも九州男児なのでした。ひょっとすると、そこらへんが、さほさんとのメールの呼び合いで、満月前でも何かしら引き起こしてくれたのかもしれません。
しかし、もう1点因果関係の疑いがありまして、先週の連続出張時に、なんとなくすぎやまこういちさんの楽曲を聴きたくなり、ここで「魔法騎士レイアース」あたりを選んでいたらエスクード的にはばっちりだったのですが(わかる人いるのかよ)、持って出たのは「THE IDEON 接触篇/発動篇」 。ただし発動篇は聴いておらず、接触篇ばかりをリピート再生していたのです。
すると風花さんとMaroさんのコンタクトに始まり、狼駄さんの基地近所での釣りときて、さほさんとの初コンタクトですよ。
接触篇だけでこんなんですから、発動篇なんか恐ろしくて聴けませんですよ。あっ、今日は満月ですね。こりゃこのディスク封印だ。
いや、それだけじゃないんだけど(笑)
珍しくも予定時刻より早めに着きましたヨ。
レンガ造りの店内が落ち着いた雰囲気の〝蔵〟
(しまった。外観撮るの忘れたわ)
私がMaroサン(のエスク)がいたと言ったばかりに
結構な大事に発展してしまいまして・・・
楽しかったから良かったの・・・かな?
諸事情により、Maroサンの到着を待たずに離脱してしまって申し訳ございませんでした。
また、何かの機会にお会いできるといいですね。
ところで。
昨日出かける時にチビにゃずを試しにfreeにしてみました。
帰り着いて窓辺にふぅ。
車から降りてよく見たら、その横にでん助がちょこんと座ってました。
なんとかなりそうな予感(ホントか?)
で、ご飯も近くで食べさせてみたら、最初は大人しく自分のお皿で食べるんです。が、しかし。この後、チビにゃずは婆にゃの缶詰を横取りし、ちぃはチビ達の皿に頭つっこんでました(汗)
うーん。まだ並べて食べさせるのは無理かー・・・
本当は2007年に独りつくばーどをやっている土浦ですし、夜会の数を入れたらきりがありませんので、仕切り直しです。それでもカレーライスを軸にしたので、以前のものとの関連も成り立っています。
しかも、今回これだけ突発的にやっておきながら、仙台のプレイベントどころか当日に三浦半島でも「先に始めてます」という和邇家サテライトが起こるというノリでした。
←実際のツェッペリンカレーはこういうものです。開闢11年にもなると、昔のものとはだいぶ変わっています。当時は土曜と日曜で各15食しか出していなかったうえ、トッピングももう少し豪華でした(上のリンクの2ページ目に当時のツェッペリンカレーが小さく出ています)
さて、Maroさんと新月・風花さんたちと待ち合わせしこれを食するところから始まった今回でしたが、ふたを開けたら土浦だけで総勢10人の入れ食い状態。
店は空いていたものの、駐車場は満車でほとんど全員に迷惑をかけてしまいましたが、徒歩、鉄道利用まで現れ、なんなのこの盛況ぶりはという続々集合。三浦半島のサテライト(4名)に仙台を加えたら、もう立派なイベントとなりました。
その集合ぶりが、カレーライスよりもむしろ今回のエポックなのですが、その辺はかなりダイジェストでリポートしてます。とりあえず日付も変わったので、仙台に向けて出発せねば。
本日午後、つくばーどin土浦ではカレーライスが素材になる予定ですが、24日夕、仙台でプレイベントが繰り広げられておりました。
変哲の無いファミレスのビーフカレーですけど、カレーライスはカレーライス。いやいや、無理やりとかこじつけとか言わないでおくれです。ことの発端は、盛岡泊のビジネスホテルでインターネットにつないでいた時のこと。
「坂内」とか「会津若松」とかつぶやく友人がいるではありませんか。あらっ? ひょっとして福島県まで来ているの? と、問い合わせメールを送って、その晩は寝こけてしまったのですが、翌日宮古での仕事が終わって「圏外」から脱出しメールをチェックしたらば、
という返信が2時間前に着信していたのです。
ななな、なんですと! 時間差的に移動先連絡も加えられていて、僕がメールを読んでいる頃は、記念館のある登米市から石巻市にまわって萬画館にいらっしゃると。むむむっ、こっちは東北道だから石巻に向かうにはロスタイムが大きすぎるぞと連絡入れ直し、三陸道で仙台に戻ってくるころ合いを見計らい、こっちが先回りできるポイントを告げたら
こんな展開で、福島から宮城にやって来ていたのは、今はエスクードから降りていますがもうずいぶん長いこと情報交換や所有車両のデータ、写真協力などをしていただいている、おさるさんことさほさんでした。
しかもなんですが、これが彼との初コンタクトなのです。来仙は2度目だそうですが、前回は僕が帰省していてすれ違っていました。
そっかー、もう12年にもなっていたとは!
いやいやいや、お互い電話番号も知らないのにPCメールだけでよくぞコンタクトできたものです。というより、さほさん、実に電撃に快諾してくださって、仙台泊の予定の中に時間を捻出していただけました。小一時間、昔話(初お目見えなのにそれってなんなんだよ)やらエスク談義やらをさせていただき、カレーライスまでつきあっていただけました。
さほさん、ありがとうございます。次回は東京で!
新型の登場によって「エスクード2.4」と改められた三代目は、基本的には7型のまま存続しています。特別仕様のランドブリーズも、そのまま。なんかこう、エスクードノマド、と呼ばれ一世を風靡していたV6の2000が廃止されたとき、エスクード3ドアとか5ドアとかの改称をさせられたことを思い出します。いやー、廃止されたのは2000で、2500のV6は残されてたのよ。でもノマドのサブネームは取り上げられちゃったのです。
だから、今なおうちのBLUEらすかるをノマド、と呼んでくれる人がいるのは、実はちょっと哀しくなる話です。
それに比べたら、2.4、という呼称はまだましかもしれない。
しかし人の心なんてどんだけうつろうのかという、今更ながらの三代目の方がよかったコールには辟易します。やれでかいの燃費が悪いのバックドアが跳ね上げじゃないの初代がよかったのと噴き出してくる声は、だいたいのところ4代目にフィードバックされているはずなのです。
プラットホームからまったくの新規で作り上げた三代目は、クロスカントリー性能を切り捨てても骨太の四駆であることをあきらめなかったモデルですが、一時的な併売を経てもいずれ廃止となる運命。評論家がどうまとめるかは知りませんが、ジムニーとは異なる意味で、スズキのものづくりとしては傑作機に違いはないと思います。
それを棄てちゃってまで4代目に移行するのですから、4代目にも意地があるはず。褒めるところは褒めてあげなければ、そりゃあ営業さんだって売る気以前にやる気をなくしちゃうでしょう。
だけど、宮城で聞いている限りでは、4代目の納車が「たぶん来年の4月だろう」と。おいおい、オーダーした人は誰一人AllGripの性能を知らずにこの冬を待ち続けるのか。この間に3代目の需要が再燃しちゃうんじゃないかと感じますが、これもほんとに今のうち商戦でしょう。
SSレイドの出題084近くの喫茶店でコーヒーを飲んで出てくると、BLUEらすかるの隣にちょこんと白いTD51Wが並んでおりました。
むむむっ、これは私に対する挑戦であるなっ(なにがだよ?)と眺めていたら、ユーザーさんが気まずそうに運転席にいらっしやる。こちらもしまったーっと気恥ずかしいことになり、このままではいかんと対応開始。
「この年式でこんなに白がきれいなのは手入れが行き届いているからですねえ」
とか言いながら取り繕うのでした。
するとなんのことはない、喫茶店の人のエスクードだったのでありました。知らなかったよ、なんでよ?(おいおい)
「お店の裏側にも、銀色のがいるんですよ。同じ型だなーと思って気になってるんです」
あ・・・それ僕の知人(実は53万キロのあのエスクード)です。すいません、一気に世間が狭くなってしまいました。
これもご縁なので、つくばーどの粗品キーホルダーをユーザーさんに進呈してその場を離れ、4代目の試乗のために一路幹線道路を進み、しばらくぶりに訪ねるディーラーへ。まあこれが高確率すぎではないかというほどアトランティックターコイズパールメタリックのツートン四駆版が置いてあり、手続きをしながら営業さんと話していると
「ついさっき、やっぱりエスクードのユーザーさんが試乗していかれましたよ」
あらそうなんですか、乗っている人は興味持っているんですよと店舗の外へ出ると、
「そのお客様、ちょっと入庫であのエスクードを預けていかれました」
・・・そのエスクードもユーザーさんも、よーく知ってますわ。と答えると、まあだいたい驚かれるものです。すいません、またもや世間を狭くしてしまいました。
桶川で発見されているMaroさんに声をかけたら「OK。車を引き取ったら向かいます」という話になったので、唐突ですが今度の日曜日午後に「つくばーどin土浦」を開くこととなりましたよ。