Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

旬よねぇ~♪

6 Comments »

リンゴ箱に口切り一杯の・・・。

季節のモノはやっぱり美味しいわー。伯母夫婦が趣味で作っている家庭菜園の蚕豆(家庭菜園とは言っても、趣味の菜園の粋はとっくに越えてる規模ですが)

義弟んちや新月サンの実家に配って、夕方茹でたてをいただきました。にゃは♪新鮮が一番ね。って、折角持ってったのに、義弟1号んちは剥くの面倒くさがってまだ食べてないらしい・・・そこまでサービスしないわよ(苦笑)

超 superman 人

超 superman 人 はコメントを受け付けていません

大平透さんが吹き替えしていたので、ジョージ・リーヴズのスーパーマン(1952~58)を、子供の頃に見ているはず。たぶん再放送か、日本に入ってきたのがずっとあとなんでしょうかね。もちろん吹き替えの声が大平さん、というのは、さらにあとになって補完された知識です。見ていたことは見ていたけれど、あのヘアスタイルやボートネックっぽい長袖のシャツも、なんといっても真っ赤なもっこりパンツとまたまた真っ青なタイツ(モノクロ放送だったので、色に関しては当時の輸入版アメコミアニメからの知識)が、こいつ恥ずかしくないのかと子供心に思わされていました。

 

これが、1938年に10代の少年2人によって生み出されたヒーローであることを知るのは、さらにさらにあとになるのですが、ローン・レンジャーだとかターザンだとかを見ていたそれまでのアメリカのヒーローとは変わったなあと、その超人ぶりには驚かされたものです。もっともそれ以降のアメリカンコミックスヒーローを全て知っているわけではなく、熱中することもなく、サンダーバード(これはイギリス)のようなメカニックものに傾倒していったので、かの国のヒーロー像って、案外チープなんだ、くらいにしか思っていませんでした。

しかし、それじゃあ我が国のヒーロー像はどうなのだろうと振り返ってみると、鞍馬天狗(1924年)よりも古いところへはちょっと遡れず(義経とか弁慶とかってのは、Heroというのとは違うでしょう)、とりあえずそこを出発点として、スーパーマンより前というのは、紙芝居時代の黄金バット(1930年)であろうかと思い至ります。

・・・こ、これはこれで・・・なんなんだろうと思わせるすさまじいデザイン。黄金バットもリアルタイムの紙芝居は知らず、アニメ番組のあの「はははははははははっ」という高笑いより先に絵本での姿を見て気持ち悪いと思ったもので、歴史的にはこれも後付け知識ですが、1952年の鉄腕アトムまで、ヒーローっぽいキャラが立ってこない? 月光仮面はゴジラ(1954年)よりも4年あとに生まれており、この4年の間には鉄人28号、鋼鉄の巨人、スーパージャイアンツなどが生み出されているようです。ゲゲゲの女房(違)の水木しげるさんも、ロケットマンなんていうスーパーマンものを描いたことがあるようです。

月光仮面登場の翌年(1959年)、少年マガジンと少年サンデーが創刊された頃、海外ではロバート・A・ハインラインによる宇宙の戦士が発表される(ヒーローとはちょっと違うか)。61年にファンタスティック・フォーが登場していますが、こんなモノは知らずに後の「宇宙忍者ゴームズ」の方を見ている。ゴームズといえば、ダチョウ倶楽部の「ムッシュムラムラ」というあれは、ファンタスティック・フォーの1人ザ・シング氏がガン・ロックと名を変えて(ゴームズ)に出てきて、その声を当てた関敬六さんが浅草松竹演芸場で流行らせた台詞として使っていたやつをガン・ロックのかけ声にも持ち込んでいたのが原点でしょう。

このあと63年にエイトマン(8マン)、64年にサイボーグ009、そして66年にようやくウルトラマンが誕生し、ネーミングの上でもスケールの上でもスーパーマンを上回っていきます(あくまで名前と、超人としてのスケールね。作品としてのスーパーマンその他のヒーローが劣るということではありません)。テレビの画面においては、マグマ大使やジャイアントロボなど、巨大なヒーローというものが定着していく我が国のスタイルが、このあたりから始まっているようです。

特にテレビ画面に登場するスーパーヒーローは、60年代後半から70年代前半に、フォーマットも含めてかなりのものが出るだけ出たという感があります。その一作だけで消えながらも鮮烈な印使用を残したものもあれば、断続的にシリーズが続いているものもあり、スーパー戦隊などはほぼ絶え間なく繰り返されているお化けヒーローの部類にはいるでしょう。

そのような群雄割拠の中、最も静かに、中断も挟みながらも連綿とシリーズを続けているヒーローがひとり。

時空の軸をも超越する超能力で、活躍し続けています。聖悠紀さんによる「超人ロック」は、1967年から執筆が始まり、同人誌枠から商業誌へと転向しながら、サウンドトラックやラジオドラマ、劇場版アニメ、オリジナルビデオアニメへと拡大し、早い時期にインターネット配信マンガにも進出している(ただし配信されたのは一回だけ)、40年を越えた長寿作品となっています。

さすがに所有している単行本の第1作は、同人誌時代に作られたものの復刻版(軽印刷物)で、初期の4部作はリアルタイムに読めていません。単行本として最初に刊行された1970年の「ジュナンの子」などは、まだ貸本としての出版でした。大半の読者層は、1977年当時に、みのり書房が出版していた月刊OUTにて、「君は超人ロックを知っているか?」という企画特集から、その存在を知ったのではないでしょうか。その翌年、同社刊のOUT増刊「ランデヴー」にて短期連載を経て、79年から少年画報社の少年キングでのシリーズ連載が始まっていき、その後は自身の活躍の場や年代が転々とするように、出版社を渡り歩きます。

タイトル表記に、しばしば添えられる英文タイトルは「Lock the Superman」。メディアミックスとしてイメージ音楽集が初めて作成されたときには、「星よりも長い命。ロックの超能力は、スーパーマンよりも強いだろう」と、「Lock the uperman」と表記されたテーマソングが収録され、実際に「ズーパーマン」(か・・・かっこわるい)と歌われていました。