しちゃおっかなー。
・・・でも一個じゃなー。サラダに混ぜるか、炒め物に・・・ あ、炒めるにしても茄子がまだだ(汗)
しちゃおっかなー。
・・・でも一個じゃなー。サラダに混ぜるか、炒め物に・・・ あ、炒めるにしても茄子がまだだ(汗)
1966年の7月10日、TBS放送において「ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生」なる番組が放送され、事実上のウルトラマン出演第1号番組が世に送り出されました。
前日の9日午後に開かれた、杉並公会堂でのイベントの模様が主たる内容だったそうですが、視聴率は30%に迫る勢いで、(全番組のウルトラQが一回早く終了となり、10日放送分の穴が空くため)急遽番組を作ることとなった現場の労はねぎらわれ、翌週17日に放送開始となる「ウルトラ作戦第1号」のカンパケフィルムも、特番によって納期が間に合うという波乱の幕開けを迎えます。
この特番には円谷英二さんも出演していたそうですが、特撮映像の撮り方に関して「そうとはわからずにやってのけるのが特撮」というのが持論だった円谷さんにしては、40mの巨人であるはずのウルトラマンの「着ぐるみ」や、未知の生命体である怪獣、宇宙人(の着ぐるみ)を、よく公会堂の舞台の上に並べさせ、それらと一緒に舞台に立ったものだなあと、今になって思うのです。本当ならば、その姿が動く様は(雑誌の写真は動かないから情報を制約できる)、テレビで颯爽と見せたかったのではないかと。ラッシュ・フィルムの段階では、特撮映像を担当の編集助手以外には見せなかったという人ですから。その反面、気前のいい人でもあったというし(けち説もあるらしいけど)、自社と放送局のピンチという事象に際して、堅いことを言う人ではなかったのでしょう。
ウルトラ作戦第1号は、確かリアルタイムで、当時流山市に住んでいたいとこの家で見た記憶がありますが、前夜祭特番というのは、そのエピソードを知るまで知りませんでした。杉並公会堂にはどんな人々が行っていたのかを考えると、まずもって僕よりもずっと・・・いや、いくらか年上の世代のような気がしますが、おおむねポスト団塊世代の後ろの方から、同世代には引っかからなかった次のジェネレーション(ということは、団塊やポストの人々も、引率的な立場で見に行っているのか)なのでしょう。しかし、前夜祭の話はともかく、こういった世代の人たちから、ウルトラマンをはじめとする特撮テレビ番組の時代を、聞いたことがないなあ。
やっぱり大人になり、決別するという時間の速度が速かった時代なんでしょうか。