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  ~懲りない傾向~

革命の日

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157年の昔、ペリーが久里浜に上陸した頃、浦賀水道は今ほど過密な船の行き来のない、のどかな海であったと思われます。そこに突如現れた黒船は、やがて大政奉還にいたるまで日本の内政を揺さぶることになるわけですが、黒船来港(1853年)といい、フランス革命の勃発(1789年)といい、イラク革命(1958年)といい、7月14日というのはなかなか歴史の転換の特異日のようです。「プラハの春」(1968年)におけるワルシャワ会談が開かれたのも、この日です。

そして40年前の今日、「日本(NIPPON)」という統一呼称が閣議によって定められました。

先日の参議院選も、与党大敗といわれながらもそれほど革新的なことが起きたのかというと、うーんどうかなあと思ってしまうし、そもそも昨年秋の政権交代で何が変わったのかと問えば、何も変革は起きていないのではないか。選挙のための政治家家業まるだしの本性が、またこれからぽろぽろとこぼれ落ちてくるのを、好んで見たがる国民もそう多くはないと思うのですが、なんでかしらんが我が国、シビリアンコントロールだけは、歪んだままでも動じずに回転しているかのようです。

そんな折、横須賀での仕事があって、帰り道に気まぐれで開国橋を渡って久里浜埠頭から東京湾フェリーに乗ったところ、かなや丸としらはま丸の2隻を存続させるため、最も古いくりはま丸が運行から外され、秋には売却されると。そういえば5月頃にそんなニュースを聞いていましたが、同社の経営も危機的状況。高速道路の割引や無料社会実験のあおりで、各地で破綻していったフェリー会社と同じ憂き目に遭っているのでした。

半年前に、やはり久里浜から金谷に渡ったときも、埠頭の駐車場のクルマのなかなかの数に対して、乗船したのは10台にも満たなかった。金谷から渡ってきた船からは、ゴルフバッグを抱えた客だけがはき出されてきて、駐車してあるクルマに乗って引き上げていく。下船したクルマはたった5台。ヒト1人なら700円という運賃ですから、金谷側でゴルフ場の送迎車に拾ってもらった方が安上がりなのです。我がエスクードも、01Rだと4m未満で2番目に安いのですが、61Wはほんのわずかなバンパーの長さで5m未満に引っかかって高くなる(TD01Wノマドだとこれに引っかからないため、01Rと同じ運賃)。昨今のクルマはみな大型化していますから、この寸法による往復運賃を考え、利用者が激減しているのです。

浦賀水道を40分で横断する。東京湾アクアライン利用よりも時間がかかり、料金が高いとなれば、当然分が悪いけれど、この40分に秘められている風情というのは、まあ海の天候にもよるのですが捨てたものではないと感じています(だから乗るんだよね)。政治は、大を活かすために小を切り捨てるという公約数のロジックを振りかざし、細かいことを全て受け入れていてはきりがないと割り切る。しかしなあ、観光立国なんて政策を、国の成長戦略に盛り込んでいるわけですよ。もっともこれは外貨を稼ぐために国外からの観光客を引っ張り込むというテーマなので、地域のフェリーの存続にまで目が行き届くかどうかははなはだ怪しいし、成長戦略自体を実行するのが政治家の仕事ではないですから、肩すかしを食らいそうな気もする。なんとも寂しい話です。

退役を余儀なくされたくりはま丸は、1986年の完成、就航は同年の、7月だったそうです。