地下鉄に乗りました。ただそれだけなのですが、車内で流れる駅案内のアナウンスに、ちょっと吹いた。
ハイフンまでは発音のしようがないとは思うけれど、イントネーションも含めて「来たよ番長」としか聞こえなかった自分は、まだよそ者…
郊外の古本専門店に出かけて発見してまとめ買いしたものの、実はこれが3セットめ。発刊されていたころにそろえた最初のものは屋根裏のどこかだし、その後読み返すために買い直したものは基地に置いてきてしまったのです。石渡治さんが宇宙開発ものを手掛けたこと自体珍しいと思いますが、これが連載開始されたのが1999年のことで、やっぱり子供のころ宇宙に夢をはせた世代にとって、宇宙と21世紀はどこかでリンクしていて、その21世紀がもう間近なんだなあと感じさせられる展開を見せます。
「パスポート・ブルー」の解説はめんどくさいのでこれを貼っておこうっと。
物語も1999年の東京から始まっていきますが、このとき主人公の真上直進(まがみ・まっすぐ)は小学3年生。宇宙飛行士を目指して紆余曲折しながら成長していく中で、彼は高校生活の3年間を仙台で過ごすのです。当時はこれが2007年頃の近未来でしたが、東北大大学院の航空宇宙工学系の研究室に出入りしつつ、彼は2度目の恋をすることになり、要所要所に仙台の街が舞台として登場してきます。この漫画を面白く読んでいたので、「そうか、まっすぐは3~4年ほど前にはここにいたのだな」などとイメージを膨らませたくなります。
2011年の今、彼が何をしているかというと、東北大には進学せず、アメリカのアリゾナ州立大学に学籍を置いています。この夏、彼は2度目の失恋を経験することになるけれど、それはリアルタイムでは描かれず、仙台で恋仲となった真一文字乙姫の回想によって語られる構成となっており、その象徴的なシーンが、この10巻目のカバーイラストなのです。10巻目において、まっすぐはまだ宇宙飛行士になっていなくて、残り2冊の単行本で、ようやくNASDA(JAXAじゃないのよ、まだ)による選抜試験やNASAの訓練という怒涛の展開が待ち受けています。
が・・・
今回まとめ買いできた単行本が、なんと10巻まで。怒涛の11巻と大団円の12巻が、そろっていないのです。なんだよーっ、ここからってところなのにーっ! とはいうものの、10巻まででも充分に面白い。むしろ高校生編の始まる6巻から10巻で、かなりの物語を消化していますから。あとの2冊は、別のお店を巡ってじっくりと探すとしますか。
アウトレットものを前に腕組みする004ことアルベルト・ハインリヒ。戦闘用の防護服スタイルではありますが、彼の日常は長距離トラックの運転手。自分が運んだ荷物が無事に店頭に並んだかどうかを確かめに来ているのかもしれません。
今回は街角探訪をしている余裕がなかったのですが、石巻の駅前を中心とする繁華街では、あちこちに石ノ森キャラクターが佇んでおり、来客を待ち受けています。これがオブジェでなくて、アンドロイドか何かで動いて歩いているのを見るような時代も来るのかなあ。
中洲へ渡る橋の袂から見えてくる石ノ森萬画館は、登米市中田町の石ノ森章太郎ふるさと記念館とともに、ことし、開設10周年を迎えます。
サムネイルだと建物の左半分が切れてしまっていますが、宇宙船のイメージを表現しています。こちらから見えるディティールは「後ろ側」らしいです。なぜかというと、3階にあってコクピットをイメージしたというカフェの窓が、旧北上川の河口の方を向いているから。あそこは操縦室ではなく、単なるラウンジかと思っていた・・・
館内は展示スペースと映像ホールの撮影が禁じられています。順路に従って展示物を見ながら上へ上へと螺旋状に見学していけますが、ところどころにギミックも仕掛けられています。エレベータはギミックといえるほどのものではありませんが、御覧のように井上和彦版島村ジョーがアナウンス。
「君はどこに降りたい?」
それは002ことジェット・リンクのせりふだよ・・・
逃亡っつたって仕事は休日です。日中、少しは走らせないとバッテリーが心配なので、こちらへ来て初めての、仙台の外へ散歩に出かけました。
全然絵になっていませんが、背景は松島湾です。位置関係を呑み込めていなかったのですが、知らないうちに登米市まで伸びていた三陸自動車道を使わなくても意外と近所。これなら三陸道も利用すれば石巻まで足を延ばしてもお散歩コースです。なるほど丘を越えて下りはじめに見えてくる松島の風景は、日本三景と呼ばれるだけのことがあります。芭蕉の時代はそれこそ何日もかけてやって来たのだから、感動もひとしおだったことでしょう。
インプットされている知識と実景の違いにも驚きで、湾を見下ろす高台からの印象ばかり思い描いていましたが、湾に沿って南下しながら走っていくうちに、突然、目線の高さにエメラルドグリーンの入り江が飛び込んでくるのはびっくりです。場所によっては、防波堤にさえぎられているとはいえ、道路の方が水面よりも低くないか?と思わされるポイントもあるのですね。眺めて素晴らしいだけではないところ。うーん、仙台・松島・石巻をBレイドのステージにしたいけれど、ここまで参加者が来るかなあ・・・
松島は牡蠣祭りの真っ最中。もたもたしていると身動きが取れなくなりそうなので、牡蠣を食いたくない人種としてはさっさと脱出して石巻へ・・・行ったら行ったで石ノ森萬画館もコスプレ大会の真っ最中。これもたまらんと混まないうちに飯を食って登米市の中田町へ移動し、石ノ森章太郎ふるさと記念館を見学すると、JAF会員には町が発行した記念館の要覧をもらえるという特典ができていました。
ここには練馬にあったトキワ荘の、ほぼ原寸大自室が再現されていますが展示物は撮影禁止。記念館からほど近い生家に足を運びます。
どこかに似ていたような記憶をもって生家に入ってみて思い出した。家の一階部分の基本構成が、土浦の吾妻庵に非常に似ているのでした。吾妻庵は蕎麦屋なので、厨房部分の配置が異なり比べ物にならないほど大きいものの、土間から遠くに続く座敷の配置は同じなのです。一方、石ノ森さんの生家には、土間の階上に勉強部屋が残されており、昭和10年代後半から20年代にかけて使われていた勉強机が残されています。
9年ぶりに眺める勉強部屋。この机から「二級天使」が生み出されて、『漫画の神様』をも嫉妬させる才能が溢れ出ていった。僕は叔父の存在によって、「サイボーグ009」の連載当初から石ノ森さんの作品を読み始めていますが(もちろんその当時、内容が分かっていたはずはありません)、世界の枠を超えてしまう巨大な作品群の原点は、こんなに小さなスペースだったのだなあと、あらためて感じます。
いやもうなにがなんだか・・・と、仮面ライダーディケイドの劇場版第一弾に出てくるオールライダーを見たときに思ったものですが、これはもはやそんなレベルじゃないね。
シリーズ化されて半世紀を過ぎているスーパー戦隊は34番組あって、それぞれ3から7人の隊員が出てきていたのですから、いまさらひとりの仮面ライダーが複数形態に変身したところで追いつくこともできない(たぶん・・・数えたことないので)13日から放送が始まる35番目のスーパー戦隊「海賊戦隊ゴウカイジャー」の冒頭で、歴代の戦隊を登場させるようです。
CG合成ではなく、スーツアクターをこれだけかき集めてって、なにやら地方でのアトラクション要員まで手弁当参加であったらしいですが、シリーズが35年も続いていると、子供向け番組だなどと侮れない熱気をはらんでいますね絶え間なく、というのは厳密には正確ではなくて、1978年だけ、このシリーズが作られていない。しかし水戸黄門だってこうはいかないでしょうし、うへー・・・「忍者部隊月光」だとか「アラーの使者」だとか言っても、うちの霰や霙にはわかんないけど、すでに「自分の生まれた年にやっていたのはこの戦隊」という対話が親子で成立する世代もいるわけです。
んー・・・13日って、つくばーどで天狗の森で夜明かししているときじゃないか。朝飯作るの誰かに任せて、テレビ見てていいですか?
例年よりも寒いと言えば寒いらしいことしの冬だそうですが、実は作戦室は基地よりも寒くないのです。雪が降ったといえば降っていますが、これも市街地であればたいした積雪にならずに済んでいます。
でも交通量が多いので、路地裏は歩車道ともにつるつるなのでした。地元の女の子は、なんでこんな状態の路面でもヒールの付いたブーツで平気で歩いているんだろうと、感心してます。
火曜日未明に降った雪は、徐々に溶けていますが、これが日本海側ではもう4mほど累積しているというのだから、災害だよねえ。らすかるは約10cmの積雪で凍り付いております。いや、出られないんじゃなくて、市内の仕事が忙しくて出している暇がないのよ。
通りすがりの正義の味方さんが、VSメカゴジラの話を書いていたので、うちでも見てしまいましたが、味方さんの言うようなゴジラフリークではありません・・・けど、なぜかこの映画に限ってはビデオソフトもDVDソフトも持っているのが実態です。
だって、TA01Wの1型でオートエキスポのグリルガードと補助灯を装備(ルーフキャリアまではつけていないけれど)した、土浦ナンバーの個体が登場しているんですから、ゴジラもメカゴジラもラドンもそっちのけで、そのシーンだけリピートして見ているわけです(どっちもどっちだ)
1993年の映画ですから、僕自身も同じ仕様の、ルーフキャリアもフル装備した01Wに乗っていた時期で、「へーっ」と小躍りしつつも、撮影に使われた個体はおそらくスズキからの提供ではなく、個人所有のものを借り受けたのだろうと考え、うらやましく思ったものでした。劇中、国連のゴジラ対策本部・Gフォースが筑波研究学園都市に設営されていた関係から、このエスクードか土浦ナンバーであるところに、プチリアルな演出が施されています(断じて八王子などではない←笑)。
このとき三大怪獣が激突した最後のステージが、勤務地でもあった幕張新都心ですから、ちょっとずるして、仕事にこの映画紹介企画を組み込み、東宝の広報まで訪ねて行って、幕張セットのスチルを提供してもらったことがあります。セットのスチルは、たぶんまだ基地のどこかに保管してあるはずですが、まあゴジラとメカゴジラと新都心は写っているけど、さすがにエスクードが出る幕はないシーンです。当時、幕張のビルのスチルを、その設計者や事業主にも見てもらったら、それがゴジラに破壊されるという前提ながらも、やっぱり大喜びするんですね。この辺のベクトルは、ちょこっと登場するエスクードに一喜一憂する心理と、たぶん一緒なのだろうなあと思いました。
ゴジラ映画ではその後も、V6ノマドが何度か端役で登場していましたが、どちらかといえば火曜サスペンスなんとか的な出方でしかなく、Gフォースのプレートまでつけた、対ゴジラの備品の一角、といった扱いはこの1台限りでした。まあとりあえず、地球を守るエスクードの1台ということです。