Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

白狼外伝 #01

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白井農場2001実は15年前の夏、いや1999年の夏だったか。僕はほんの数日間だけ、エスクードコンバーチブルに乗っていました。え? そんな経歴があって、なぜつくばーど採用歴代エスクード史に組み込まれていないのだ?(そんなマニアックなこと言う人いないよ)ということになるのですけど、そのコンバーチブルは狼駄さんのTA01Rだったからです。彼が夏帰省する際、「こいつを長期間放置するのは初めてなので、車上荒らしが心配なんです」と僕に預けてくれた、貴重な体験でした。

それより遡ることさらに11年(ここは元号で書くけど、昭和63年だよ)、そこがエスクードコンバーチブルとのファーストコンタクトで、その個体は東京の神保町に近い辻沿いにあったカレーハウスの店員の女性が乗っていた、やはり白い01R。その車体色に対して黒い幌の色は野暮だなあと思いながらも、エスクード自体をかっこ悪いと思っていた僕に、あれ? でもこの車、幌を取ったら全然シルエットが違ってしまうんだ。と、少しだけ興味を引くことになったのです。

「屋根ですか? 開けたらかっこいいと思うけど、排気ガスとか埃だとかが入り込むのでまったく開けたことありません。あれを買うならハードトップの方が良いですよ」

029カレーハウスのお姉さんの感想に、そりゃそういうもんだろうなと思いながら、その頃まだJA71に執心していた自分にとって、街角の店舗脇に停めてあるクローズドコンバーチブルの車体は、不思議に何かを訴えてくるものがあったのです。

翌年、エスクードが誕生1周年を迎え、記念限定車としてヘリーハンセン・リミテッドが登場し、後頭部をぶん殴られたような「なにこれ全然違うじゃねーか!」という衝撃的なかっこよさにやられた話は、もうあちこちで語りつくしました。

しかし、全国限定400台だったこのエスクードは、欲しいって買えるほど甘くはなく、この頃の地元のメインディーラーであった土浦スズキ曰く「うちにコンバーチブルの割り当ては無くて、ハードトップが2台だけ。片方はもう売れました」とつれない返事。かくして残った1台を巡っていくつかの引き合いと攻防を展開する羽目になり、コンバーチブルという選択肢も関心も、どうでもよくなっていったのです。

・・・だめだ、これしばらく白狼の外伝にたどり着かないわ。

続きに関心のある方がいたら書きます。コメントが入ったら続行決定。