Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

美味しい炒飯食べたいなーっと。

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私が作るとパラっと出来ん。

私が作るとパラっと出来ん。

冷凍ご飯が結構溜まってしまったので、炒飯にでも・・・

でもね、私が作ると〝焼き飯〟になってしまうのよ。
(それも刻んだ古漬け入りだったり、鮭フレーク入りだったり)
なので。新月サンにお任せ(笑)
冷蔵庫に残ってた叉焼の塊がこれではけるー。
後はシンプルにネギと卵。

久しぶりに作ってもらったけど、やっぱり私が作ったのより美味しい♪

週末関東人の真実 番外篇

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車両は実物ですがシーンは本編とは異なります

<小湊F2顛末記 プロローグ>

いつもながらのドタバタではあったが、出発することとした。
時刻は、99/07/02の18時少し前だった。
今回の目的には、私の割と近くに公用が有ったNOBUさんを迎撃する事も含まれて居り、この時間に出立と相成った次第である。
牧之原SAにて、NOBUさんと合流、時刻は18:30・・・

聞けば、通常電車営業が多いが今回は交通至便で無いため(自家用)車使用を申請したとの事であった。確かに、御前崎の端では、交通至便では「無い」。
早速、休みどころでただの茶をすすりながら(笑)話し込む・・・

途中、とにぃ氏の携帯乱入(笑)有り、聞けば運転中の由、呉々も安全運転にてと強調してしまった。

さて、メシでも?となったが二人ともさほど空腹ではなく、また雨も降り出してきたため、続きを富士川SAで、ということになった。
牧之原を出るや否や、・・・なかなかの降り。移動のペースも上がらない。しかし、フォーメーションを組む事がこれほど緊張するものとは・・・
普段よりも一層アクセルワークに気を付け、結果足に妙に神経を配ってしまう私であった。

・・・富士川SA着、20時を少し回ったか?
SAでメシを食う事など、ちょっと記憶に無い事ではあったが、偶然?二人とも「味噌カツセット」を頼む(って、食券方式だったけど)
聞けばNOBUさん、二輪から四輪への移行組との事で、一日に赤キップを二回切られた話など、互いの武勇伝?披露から、趣味の話まで盛り上がった(趣味の共通点を発見した。
次は海老名SAまで、と言うことで、今度はNOBUさんをリーダーに隊列変更した・・・NOBUさんのペース、早い早い。二輪経験者の見切りとかそういった走行のセンスってあるのだろうか、まぁ私も車間は詰めたがる(笑)方なので、法定速度「遵守」(?)で雨を切り裂いていった。

・・・海老名SA着、23時にはなっていなかった。
予想通り、足柄停車では「休み過ぎ」となったであろう(それほど疲れてなかったし)
またもひとくさり話に花が咲く。。。
が、徐々に忍び寄る疲労、・・・さぁ、都心へ向かうぞ。

江戸橋JC→箱崎JC辺りは「お約束」だったけど、それ以外は特にストレスを感じることもなく、京葉道路の鬼高PAに着いた(いつもこんな調子なら・・・>首都高)
NOBUさんは、それでも?直帰しない予定ではあったが、急遽??変更され、幕張で流れ解散と言う事になった。今回の道中楽しませて頂いた旨、そして、再会を祈念して互いに車中の人となった。
幕張のランプで最後並走し、互いに手を挙げハザードを点く、そんな一瞬が心熱くさせた・・・

・・・しっかしぃ、館山自動車道って、「暗いし、単調」だった(ついでに、車も少なく寂しい)
途中の、そして唯一の市原PAがさしずめ「オアシス」を思わせる。このあと、長狭街道をあと少しで走破、という時、耐え切れずに「爆睡」。
目覚めて、一度会場を確認し、引き返して鴨川のローソンで再び仮眠する。
雨は酷い、こんな事で大丈夫なんだろうか・・・

<そして、貴重な体験をした一日の始まり>
少し早目に行って、受け付けに確認すると、走行会なる予約は無い由、マジ焦る・・・
携帯が通じない、「参ったな」
しかたなく最寄りのデイリーストアまで行って電話すれば「今朝方6時ごろ出ましたから」と言われ、まぁよかった、戻るべぇと思ったその視界に3台のジムニーが飛び込んで来たのであった。
その3台が件のメンバーとは露知らず、すれ違いでコンビニを後にした。再び会場すぐ傍で待つと、先程の3台がやってきた。飲み込みが悪い(笑)私も流石に思考回路が作動し、近づく・・・
でも、使用料って高いのね(\5.250/台也)・・・ま、しゃあないって。
その時、妙に受け付けの兄ちゃんが気張っていた事には気がつかなかった。

取り敢えず、開けた所に車を止める。
既に、単車を持ち込んだ別の面々が2ストの軽快なサウンドを振りまいていた。
ん、最新ジムニーのおっさん(笑)が名刺を出す素振り・・・あぁ、この人が、社長かぁ(爆)
で、「早速喉湿し」と称しテーブル/イスをひろげくつろぐ、社長 (ご相伴に与ったのは言うまでもない)
「何、イスも持ってきてない?ダメだなぁ、基本だよ、基本」
と笑いながら言われて、
「凄くきさくな人だなぁ」と思った。
面子だって、決して多くない(4台5名が5台7名にはなったが、それが全て)し、APIOの名を冠しているとはいえ、この程度の盛り上がりじゃあ、と思ったが・・・
「いや違う、この人、ホントに好きなんだ」と考え直した。
でなきゃ、わざわざこんな所まで出張って来ることないんだ。そして、社長のファンになりました(笑)←思考回路は極く単純・・・

「あんた、どういう関係?」と尋ねられた。浜松ナンバーって事で、スズキ関係者かと思ったそうだ。で、「EOS」という倶楽部に属している、とごく簡単に説明させてもらった。
「そのクルマで出るの?」と言われ、(笑われながらも)あっさりと辞退した。
一目見て、とうてい我が哀車(笑)では歯が立たないと思ったから(正しい選択であった)

「で、どうすんの?乗る?」と社長に促され、全く図々しくも便乗させてもらうことにした。

<柄にもなく、熱い思いになった>
社長のドライビングは大胆、かつ的確であった(←なんて陳腐な)
伊達に数々のレースに「自ら」ハンドルを握ってない。
クルマも、随分乗用車的にソフィスティケーテッドされた最新型とはいえ、赤いロールバーが既にタダモノではないことを主張していた。
「うわ、うわ、うわ・・・(笑)」と思っても、さのみダメージもなく走り続ける。
これなら、・・・ジムニーに転ぶか(笑)←許してね(意味不明)

他の車も「溶けた」走りを展開していた。
「相模さん」は、自車にかなりの自信を持っているらしい(と、社長談)
まずは、「行ってみる」で、「行ってから考える」
その走りは遺憾なく発揮され、いきなりの斜面登りで左回転の横転をかましそうになった。
「おいおい・・・」と皆でレスキューする>とはいっても、最低限のアドバイスと車体保持(笑)
・・・そしてその場は、登る事は諦め、下る事となった。

「高山さん」は、逆輸入車の「有無を言わせない」ハイリフト改造車(笑)
なんせ、タイヤとフェンダーのクリアランスが「頭を突っ込んでいられるほど」車高が高い(更笑)
だが、悲劇は突然に訪れたのであった。
「キラージェイ」という思わせぶりなセクションでの事。ここは、幅がそこそこ狭い登りだが、なんせ轍が深く腹をこすりながら登るのは必至、てな感じ になっている。で、果敢にアタック、途端に「バキバキバキ・・・」等と嫌な音がした。
見れば、・・・車高上げるためのブロックがふっ飛び、プロペラシャフトがポッキリと折れ飛んでいた。
取り敢えずこの場を脱出しなければならない。出発点に戻るにも、最高で3台で牽引する羽目になった。
そして、いきなり野戦整備が展開されたのであった。

クラッシュの洗礼は社長をも襲った。
豪雨で沢状態になったあるコースを下り始めた時(本来は登るものらしいが)、先頭の「相模さん」が水たまりにはまった(床上浸水する位の深さ)
これを救出中に社長のフロントドライブシャフトが、「折れた」。衝撃荷重の凄さか・・・
車での牽引は諦め、ワイヤーレバー等で脱出出来たが、これには八王子さんの充実装備に助けられた(予備のワイヤ、スリング、シャックル等満載)
あと、ちょっとした土木作業とかも有った(片側が壁の水たまりをかすめるのに端を少し埋めるとか)

で、何が「熱い思い」かと言うと、ロープやワイヤを持って動いたり、スコップをふるったり、まぁそんな程度の事ではあるが、自分なりにまめまめしくしたつもりだったこと。
別に「お客様」気分でいたって済むのに、いや、何もしなければ顰蹙か、という思いもあっただろうが、何よりも「皆のためになれれば」と思っていたのだろう(←今にして思えば)
・・・とにかく、何の打算も無く動いていられるのはホント久しぶりだった。「仲間意識」の素晴らしい一面だと思う。

こうして(苦笑)、一日が過ぎていったのでした。。。

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車両は実物ですが、以下同文

<エピローグ>
・・・駄文を書きちらすのはホント疲れます(自爆)
全くの尻切れトンボですが、もうええでしょう(苦笑)
帰路は金谷からフェリーに乗って、横横~横浜町田IC~浜松西ICでした。
その日初めて会った同士が、これほどコミュニケーション図れるものとは、臭いですが、人の素晴らしさを改めて感じました。

編集部注

99年当時、SIDEKICKさんが書きとめていたものをほぼそのまま掲載しました(顔文字は当ブログの主義に反するのでカット)