Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

命名。

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よろしくね♪

よろしくね♪

一週間過ぎて、いつまでも名無しじゃぁね。という事で
クロチビちゃん「でん助」
クロシロちゃん「いち之助」
に、決定しました。
クロチビちゃんはよく見ると薄っすら縞模様があるので、でんすけすいかを連想したらもう「でん助」しか思い浮かばなくなっちゃった(笑)
果物つがなりでクロシロちゃんを「夕張」(スイカに対してのメロン)にしようとしたら、新月サンに「万が一脱走とかした時に、外で呼ぶのが恥ずかしいからヤダ」と拒否されまして。
でんすけ→釣りバカ日誌の浜崎伝助→相方ならスーさん→スーさんの本名、鈴木一之助→いち之助
という回りくどい連想ゲームで「いち之助」に落ち着きました。

105年目の峠

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震災以降、というよりあの冬に雪崩災害などがあって、長いこと立丸峠には近づいていませんでした。この国道バイパスなどは、5年前の夏に林道に出かけてきたときにはまだ工事中で、前方の山は切られていなかったように思います。うちのカーナビゲーションで仙台から宮古をルート指定させると、花巻から遠野経由でこれを通り、川井へ出て宮古に入れと指示してくるほどの最短距離コースです。

立丸峠2015しかし酷道とまで言わぬまでも、ここから先の後衛山を横断する立丸峠の宮古側は、舗装化されているからこそ対向車には出会いたくない急峻で狭隘なコーナーの連続区間が残っています。だから災害復旧が終わっても、好んではいかないルートで、峠を越えにやって来たのは実に四半世紀ぶりにもなっていました。リンク先の写真は宮古側、今回の写真の反対側です。この遠野側も以前はここまで幅員が無かった。今を去ること32年前、宮古からここを抜けてきたときは全線がダート。熊とも遭遇しました。

立丸峠2015a今、この峠は約3キロちょっとの2本のトンネルと道路改良で快適に越えられるようにする工事が進んでいました。昔からある看板も、昔は「早期実現を」だったものが、いよいよ開通予告をするまでになっています。峠前後の山麓はバイパス化が行われていたわけですが、実に30年越しの実現なのかと思うと、あのダートを知っている自分でも感無量な気分です。遠野物語編纂からは、105年めの夏。2本のトンネルのうち1本目が貫通していました。もう1本も秋には着手するそうです。