左は縄文中期の遺跡から、右は縄文晩期の遺跡から出土した土偶のレプリカでミニサイズ(スケールばらばら)。中期と晩期は、レンジの取り方にもよりますが1000年から2000年くらいの開きがあったはずで、それだけ時間が経過すると偶像のとらえ方がこんなに変わってしまう。もちろん片方は山形県、もう片方は青森県から出土しているので、縄文期にはきわめて別種の民族同士だったのかもしれませんが、作り手の側が持つ情報量と技法が大きく変わっていることは明瞭です。
晩期のものは「壊したものを再利用する際アスファルトで接着している」例や、そもそも造形技術が圧倒的に進んでいる。実物はこれの5倍くらい大きいですから、それをシンメトリックに、自立するように作り上げていただけでもたいしたものです。
にもかかわらず、女性を模ったといわれる土偶の女性らしさがどちらににじみ出ているかと言えば、中期のデザインセンスに脱帽するのです。どちらも国宝指定されていて、国宝指定の土偶はあと3体ありますが、それらのどれよりもシンプルさが美しい。←あくまで主観
しかししらなかったよ。土偶のポータルサイトなんてものがある。