シン・ゴジラを観てもいない人間が言えることではありませんが、巷の絶賛の声の中に「怪獣なかんずくゴジラ映画のハードルが一気に高くなってしまった」というものがあって、そこは言葉通りにシン・ゴジラがとてつもないスタミナをもって真正面から作られたことに間違いはないと思う一方で、「それだけが怪獣、ゴジラ映画のありかたではないでしょう」とも感じます。
ハードルはね、すべて蹴倒して走っても失格にはならないのです。ま、陸上選手がそれをやらないのは、蹴倒していると速く走れないから。でもクリエイティブな仕事をする人は、上がったハードルを蹴倒す威力で臨めばいいと思うのです。
昭和のガメラ対ギャオス以降と平成のガメラ三部作を引き合いとして、怪獣特撮映画のクオリティや、ガメラへのリアリティーな考え方がハードルを上げた事例もありますが、その三部作のあとに作られた「小さき勇者たち」のような事例もあります。三部作はいわば対バルゴンの世界のフィーチャーと言えるハードワークな対戦で、ギャオスにもその片鱗は残るものの、昭和のシリーズは子供の味方路線が始まっていきます。「小さき勇者たち」はそちらに矛先を戻してジュブナイルとして上手に成立させた映画でした。それはある意味、ガメラを袋小路から救い出したかもしれない、幅の広がりを与えたと考えています。
だから臆することなく怪獣映画としてのゴジラもやっていけばいい。
ただ、ゴジラもまた、なんぼ作ってもゴジラ以外の何物でもなくて、新しい看板を掲げたことにはなりません。映画会社は若手にこそ新しい創造のチャンスを与えてあげてほしい。ハードルが上がるというのはそういうところで体験させればいいのです。そうは言いながらも、これ(上の挿絵)はもうゴジラじゃないけどゴジラパロデイでは脱帽の逸品。
そんなわけでもうそろそろ内容に触れてもいい頃合いですかね。いや僕は観ていないのでよそからの引用ですが、
「シン・ホットドッグ」は・・・なんかもう巷で言われている「蒲田くん」(恐ろしくて画は引っ張ってこられない)っぽくて。