Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

なんでよ?

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単なる扉。

買って間もない洗濯機、早々に壊しました・・・
あ、本体じゃなくて小さな扉割っちゃったのね。
買ったお店で部品取り寄せてもらおうと思ったら
「修理対応部分なので出張修理になります。」
はぁ?
とりあえず修理依頼はしたけど、釈然としないので
メーカーのお客様相談センターに問い合わせましたわ。
その回答が
「修理補修用部品のため、お客様ご自身での修理は思わぬ事故に
つながる可能性もあり、部品だけの提供をしておりません。」
だーかーらー
パコっとはめるだけの扉にどんな危険があるって言うのよっ!
と(まぁこんな書き方はしなかったけど)返信したら
今度は東日本統括サービス部から
「お問合せいただきました部品につきましては通常サービス員による
部品交換をご案内している箇所でございます。その点にご理解を頂き、
お客様の自己責任にて対応される場合はご購入いただくことが可能ですが、
取り付け手順等のお問い合わせには対応できかねます。」
「自己責任で結構でーす。送ってくださーい。」

どこが危険なのか教えてくれ

いーからさっさと寄越せっ!:心の声)

お店で「年内は出張修理厳しいので連絡がいつになるかわからない」
って言われたのに自己責任でいいから買うってメール送ったその日に
サービスセンターから電話が来ましたよ(笑)
「いつになるかわからないって言われたから相談センターに連絡して
部品購入する事になりました」
ってキャンセルしちゃいましたけど。
で、届いた扉は無事つきましたわ。
工具やのおばちゃんなめんなよー

私は余計なことをしたのかもしれない ←おいおいっ

私は余計なことをしたのかもしれない ←おいおいっ はコメントを受け付けていません

「スズキジムニー50年の歴史」。なんて書籍を、僕が買い求めるわけないじゃないですか。という余計な一言をものともせず、SSC出版からこの真摯で剛健にまとめられた一冊が送られてきました。

「エスクードの30年史」にはスポンサー予算が下りなかったのですが、ジムニーだとこういうものかと、とりあえず地団太を踏んでやろうと読みましたよ。

読んだら誰かにあげちゃおうと思って(こらこら)表紙を開けたら、どっかーんと「嵐田さんへ 著者 二階堂裕」のサイン本でした。おのれ! こっちの目論見をちゃんと見透かしてやがるぜ(いや絶対にそんなことまで気づいてない)。50年史ですから、歴代のあらゆる車種を各章で構成しています。いちいち紹介してられませんが、JA51、SAMURAIの章には、歴史的経緯として北米でのコンシュマーズ・レポートとの争いの渦中、エスクードが投入された記述もあります。

さて何が余計なことだったのかと言うと、あとがきにおいて二階堂さんがスズキに入社し、「新型ジムニー開発会議」に組み入れられた、あの有名な逸話が書かれていて、そこでの一言が呼び水になり「エスクードが誕生することとなる」くだりが書き下ろされています。「自分の意見で新型ジムニープロジェクトをつぶしてしまった」は、まあ史実ですからいいとして、現在のエスクードはモノコックの車体となり乗用車になってしまったことを嘆いているのもまあいいのです。

が、初期の設計思想が継承されなかったことに触れ

「それを考えると、私はあのとき余計なことをしたのかもしれない」

・・・おいおいおいっ!

ジムニーは特殊なクルマで、いくらいいものを作ってもアルトのようには売れない。それよりもジムニーの次に買う普通車の四輪駆動車が無いことの方が問題・・・

要約すると、それが新型ジムニーからエスクードへの呼び水となった一言なのですが、二階堂さんは車体の寸法、エンジン形式と排気量、足回りなど、新型の四駆のほとんどを基本計画として提案したのです。だからこそ「エスクードの父」と呼ばれているのに、いまさらそれはないでしょうに(泣)

今度事務所に討ち入ってこよう。あなたは決して余計なことなど言っていないのです。確かにデビュー当初のエスクードは軟派で半端と揶揄されもしましたが、SUVだのクロスオーバーだのと群雄割拠していく四輪駆動車のマーケットを切り拓いたではありませんか。

だけど新型ジムニープロジェクトが中止になった頃、ジムニーには既にSJ40があって、エスクードの開発中にはJA51があったんですけど、それらの小型車版を押しのけたという意味では後悔もあるのかなあ。