妻の母親が昨年の大晦日に亡くなり、僕ら夫婦にとって「母の日」は霰や霙が妻に対して、という構図に世代交代しました。僕のお袋は2014年に鬼籍入りしましたから、3月に野辺送りした親父、十三回忌も済んだ妻の父も含め、夫婦ともに両親のいなくなった親を敬う日になります。どれもこれも孝行したいとき親は無しというようなことはしてこなかったつもりなので、何も悔やむ話はありませんけど、親父は看取りましたが単身赴任の頃でお袋の死に目に逢えていないのが不公平。
お袋と写っている最後の写真が、奇しくも彼女が亡くなる一か月前の、母の日のものです。霰は新潟大在学で帰省しておらず、妻も仕事で不在、当時の親父は何処をほっつき歩いているのか不明で、霙と、僕の妹の吹雪とでお祝い食事に出かけたときに撮っていました。この日、彼女に軽い認知症が出ていることを気づかされたのはショックでしたが、先のことを考えているうちにさらに先に行かれてしまいました。
妻の両親とも、実家の仏壇に飾られている遺影は偶然にも僕が撮影した家族行事のときのもので、僕の両親も僕の撮った日常の写真から起こしました。はてさていずれの僕らの分は、今のうちに用意しといたほうがいいのかなあ。妻の写真ならいくらでもあるけれど、僕が写っているやつって無いんですよねえ。それはまだ気が早いとして、7年前の母の日に吹雪がこの写真を撮ってくれていたのは、今となってはありがたくも貴重なカットになっています。