あおちゃんの点検行って来ます。 もう2年半なのかー・・・ まあ、のまちゃんが長かったので 未だに慣れませんが。 信号で停まる時、ついシフトレバーに 手がいっちゃうのはナイショ。 あと、リアの窓開けようとして左手が動く(笑)
例年にないほど故障を続けたBLUEらすかるでした。ご想像の通りそれでも車検を通したわけですが、この整備でようやくブレーキ系統のマスターバック周りの部品が届き、フルード漏れを止めることができました。前後のハブベアリングも新しくなり、近日中に900000kmのラインを越えることができそうです。そのあとの距離を1年で走り切るのは不可能ですから、2025年の暮れあたりが目標になっていくでしょう。そうなれば、1台を20年所有するのも僕の中では新記録になります。
実は上記の作業は本日時点でまだ継続中なんですが、代走で使っているぷらすBLUEの方が、朝は何でもなかったのにさきほど動かしたらoverdriveのパイロットランプが明滅を繰り返し、なんだか4速に上がらない感じです。
えーっ? ミッションかスイッチ側の故障か、はたまたECU?(どうやらECUの単発エラーだったようです)
「修理のためのパーツ取り寄せに追加が出ました。うーん、届いたら突貫で作業しますが、終わるの20日くらいになります」
というわけで、年内の90万キロ到達は断念です。とほほ・・・
ぼちぼち本年のヒーロー周年ものも店じまい時期です。1993年12月5日は、「ウルトラマンパワード」の第1話がビデオリリースされた日。ハリウッドで初代ウルトラマンをリブートさせたことがエポックでしたが、ウルトラマンの造形についてはアメリカに日和りすぎた感が否めず、誰の演出なのかM78から来た異星人なのに(日系人と融合したからなのか?)決めポーズの一つが合掌という妙なキャラ感で浮いた部分もありました。
特撮技法についてはオープンセットや操演など、意外と古典的な手段を効果的に用いており、脚本(ベースを執筆した伊藤和典さんと山口宏さんの進言と、向こうの作家側のテイストがうまくまとまった)も初代リブート+αな秀作だったと思います。ただこのウルトラマンは戦い方にも演出上の制約を受けてか巨人らしさの表現か、序盤は鈍重。相撲の鉄砲が意識されているようですが、関取だってもっと俊敏。
防衛チームのセットや航空機のデザインはウルトラマンよりも(趣味的にですよ)よく出来ていました。際立ったのは変身に用いるフラッシュプリズムが独鈷杵の形をしていること。いかにも密教なんですが意匠のまとめ方もさることながら、これを握った変身のシークエンス時、初代の縦型ベーターカプセルは発煙筒でも焚くのか?な姿なのです。横型のフラッシュプリズムはごく自然に拳を突き上げることができる。玩具の中にも異星の工業製品的なテイストを産み出した傑作です。
鎌倉です。もうなんというか、観光ではなく栃木に行ったり千葉に行ったりで窓際にすらいないぞのロートルな自分です(言ってて自分が哀しい)
これと真逆な長谷の大仏は、創建年次が不明ながらざっと800年くらいこの場に鎮座したままという。気の長さか忍耐力の強さかと、感心させられます。台座を除くと高さが約11m。もしも立ち上がったらマジンガーZくらいになるのかとか余計なことを考えます。
長谷の大仏を立ち上がらせてしまえという妄想は、僕のオリジナルではなく故・実相寺昭雄さんのもので、「ウルトラマンタロウ」で撮ろうとしていた逸話があります。なんでNGになったかはまあ、セットを作るだけでもとんでもないコストがかかっただろうし、高徳院側の快諾を得られなかったからかもしれません。このシナリオは後に板橋しゅうほうさんが読み切り漫画に起こしています。そういえば奈良の大仏も星野之宣さんの「ヤマタイカ」で動き出そうとしていました。
『アカウントの保存容量がもうすぐ一杯ヨ❤』 というメッセージが出始めたぐーぐるふぉと。 今使っているスマホ、microSDカードが無いのよ。 しかも設定を間違ったんか知らんけど、写真を 本体に保存出来なくて、使い始めてからの写真は 全部ぐーぐるで保存されてまして・・・ microSDカード使える機種に変更しようかと悩んでたら 義妹に「え?microSDカード使う機種今でもあるの?」 と逆に驚かれました。 義妹はあいぽんに機種変しちゃったので そもそもmicroSDカードは設定がないらしい。 「クラウドの契約しちゃえばよくない? 万が一の時安心だし」 と言われ、それもそうかー・・・と最低容量で 契約する事にしました。
12月になってしまいました。個人的に昨年の11月以降腑抜けた生き方をしてきた僕ですが、年が明けたら喝を入れ直そうと思うだけは思う最近です。
そんな折、因果な12月1日を初めて知りました。宮水三葉と立花瀧って、それぞれ1996年と1999年の12月1日に誕生していたんです。だからどうしたかというと、1996年はうちのV6‐2500のエスクードの年式。1999年は第一回目のつくばーどを開いた年でした。
いや、だからどうした? な話なんですけどね。そもそも12月1日の日付はどっちにも関係ないし。
そういえば「君の名は。」を生意気にも再解釈しながら映画化するとかなんとかハリウッドが息巻いてから、もう6年経っちゃいましたよ。脚本上がったんでしょうか、キャスト決まったんでしょうか。←本日の記事に関しての逃げ口上。