そう言えば2015年にこんなことを書いていました。
当時は天狗も荒ぶる者たちだったそうで、供物を奪いに来る住民を実力行使で蹴散らした(らしい←あくまでも、らしい)とか、神社に上がる急傾斜の石段の上から、松明を投げ落とした(らしい←以下同文)とか、天狗が水垢離に使う手桶の水浴びせかけたとか(らしい←だってそう言うんだもん)、そりゃ中止させられるわなあという逸話が残されています。←ここまで再掲
昭和二十年代後半のお話です。その頃は女人禁制という神域扱いがまだいくらか残っていて、天狗に扮する若者たちは俗世とのかかわりを断ち切る意味合いから、悪態祭りの前夜に別頭の家に集って水垢離をしたのち、白装束に着替えて男衆だけで供物を用意し、祭りの神聖さを継承するわけですが・・・
「そんな迷信信じられるかよって勢いで、町で女の子を拝み倒して髪の毛もらって懐に忍ばせて、ほんとに罰が当たるかどうか試した」
もう天寿も全うしてしまったしいい加減時効も成立しているので、後に僕の親父が語った逸話を暴露してしまいます。つまり、上記において「らしい」というのはそれこそ方便で、親父が参加した年の悪態祭りは大荒れに荒れた稀代の年まわりだったようです。
この急傾斜の石段で真夜中、松明を投げ落としてひるませ、あまつさえ青竹で殴りつけたというのだから、よくもまあ事件に発展しなかったと思います(実際には警察が入ったようですが)。それでも親父が少年だった頃の話の方が、なるほど奇祭らしいかなあと感じるのです。でも、迂闊に日本三大奇祭のひとつと書く人はお気を付けください。その三大奇祭に、愛宕山の悪態祭りは異説にすらカウントされていません。12月の第三日曜、ことしも悪態祭りが催されます。