見事に外しましたよ、ゾロ目。 日曜日に新月サンが一人でスキーへ 行った帰りに過ぎたようです。 (私は新月サンの風邪がうつって留守番) 「・・・ごめん。気が付かなかった」 ・・・許さん!
わかっていることですが理力は財布の役に立たない
今日の給油はだいたい何リットル入るかの予想が立ちます。このところのBLUEらすかるはコンスタントにリッター11キロを出しているので雑な計算ができるからです。
リッター11キロなんて昨今の自動車じゃあ自慢にもならない数字ですが、エスクードTD61Wのカタログ燃費はリッター10キロです。これでもそこそこ頑張っているのです。
この日、ちょっと勘が冴えて「50リットル行くか行かないかの、行かない方」と読んで給油したらばこの数字。昔だったら縁起でもないとか言われたでしょうが某二階堂裕氏なんか、自分のエスクードのナンバーを49‐49にしちゃうくらいで「四駆‐四駆」と呼べるらしいのです。うむうむ、これもまた理力のなせるワザよとほくそ笑むのですが、問題なのは支払い料金こそですよねえ。そこには理力の効能もへったくれもない現実が表示されるのです。
今年はいつ咲くのかなー?
迂闊でしたな同年式
1988年デビューのスズキエスクードと同年式(作品制作年次)として、「機動警察パトレイバー」を何度か取り上げていたのですが、うっかり書き忘れていたのが1988年2月の「New Story of Aura Battler DUNBINE」に出てくるオーラバトラー・サーバインがあり、「機動戦士ガンダム逆襲のシャア」のνガンダムも同年3月12日封切り映画の主役機でした。ガンダムと言ったら大河原邦男さんですが、νガンダムもサーバインも出渕裕さんデザインで、パトレイバーと共通項がありました。
だからといって1988年出自という年次以外にエスクードとの共通項は無く、東京の20世紀末に活躍した98式AVイングラムと違ってサーバインは異世界、νガンダムは宇宙となっているのでエスクードと並べようもありません。この辺のことは言い出したらきりがないんですが、バトルホッパーとかアクロバッターなんかだったらどうにかすれ違わせることくらいはできるのです。などと脱線しまくりですが本日逆襲のシャア封切りから36年という半端な2024年でした。
・・・不審者扱い(まあ怪しいけどな)
仙台での単身赴任が終わり、地元に戻って5年目の3月11日が巡ってきました。さらに遡ることあの年、それこそ発災の5日前に東北在住最初のつくばーどを開き、仲間たちと宮城県北まで熊そばを食いに出かけていました。僕などはその前日、岩手県の釜石にいたのです。今振り返っても1週間ずれていたらえらいことになっていたと思いますが、震災が無かったらもう少し積極的にツーリングイベントを仕掛けていられたなあと、不謹慎なことを書けるようになりました。
先日のこと、BS放送のバラエティ番組でこの「狩人」が紹介され、店主が元気に過ごしていらっしゃるのを見ることができました。お店のある栗原あたりは震度7の地震を受けた地域で、内陸被災地でした。震災後は沿岸被災地での仕事に忙殺され、お店にはツーリング後一度しか訪ねていけませんでしたが、お店も店主も健在だと知り、ほっとしたのもつかの間、この番組ではご主人自ら「もう高齢なので、もうじき店は仕舞います」と話していて、そうだよなーと月日の流れを痛感しております。
自分の中では、帰還して5年も経過するとやはり被災のことは風化しています。この間、あちこちで未曽有の災害が続く今日。自分自身の被災者だったという事実は、ある意味棚の奥に片付けてもいいのかと感じます。
Team WESTWIN Warriors#191
世間の声によると「ストーブリーグ」という言葉は死語というか形骸化して使われていないそうですが、使っても使わなくてもどうでもいいんだけれど、この時期のTDA情報は書ききれないうえに書いてはならんことばかりが飛び込んできます。川添哲朗選手の74W(これだってJBじゃなくてTAってところが、初めて見る人が多くて恋の浦では話題の的)についても、先月の練習走行会で試された川添パイロットも、手の内としてここで書けません。
「RAV4に続く二番時計で、俄然闘志を沸かせているようですがこのRAV4、エンジンフードもリアゲートもFRPなんです。ドライバーの技量も素晴らしいし、リジット勢を押さえて独立懸架がトップに来るという構図は考えるものがありますよ」
島雄司監督は、だからこそ三代目エスクード(ショート)にどこまで手を入れるかの算段に余念が無いようです。このクルマの、ダートラステージにおける弱点は、2速と3速のギアがかけ離れていることで、とにかくエンジンを回していかないと走らせにくい。回していくと次に来るのは制動負荷です。このあたりを川添君がどのように攻め込んでいるのかは、現地で観ていただければわかるでしょう。
「ふと気がつくと、グラベルでタイムトライアルをやっているところがほぼ無くなりました。そのせいかTDAがあちこちで注目され始めて、『あそこのブログ読んでます』(えっマジですか?)といった声もかかります。ありがたいことですが体力が老化してきたところへ本業ウエストウイン以外のプロモーションやらなんやらも増えてしまい、青息吐息です」
またまた世間の声によれば、スーパースージーの外部ライター高橋さんなどは「もうジムニー記事の素材なんか無くなってますよ」という話で、島さん曰く「エスクードのページを打ち切るなんてもったいないことしたもんですよ。うちのは競技用でも何でもない、吊るしのテンロクを手に入れていじっているわけですから、実際のレースだけでなくて合間の期間中も話題に事欠かないんですけどねえ」
だそうです。すいません、その唯一ウエストウインの追っかけブログがこんなマイナーなところなもんで。
数日前から、麓からでも彩が分かるくらいになっていたので行ってみたら、天狗の森の二番桜も満開になっていました。木曜日にたっぷりと雨が降りましたから、このあとソメイヨシノも蕾が膨らんでくると思われます。奥の方の三番桜もだいぶ咲いていますが、山全域でなくここにだけ河津があるのはなんというか謎です。
さて、花見をいつやりましょうかね。
この日、この桜の下で910000キロを記録しました。が、下で、というわけにはいかず、なんだかすべての窓をカーテンやら段ボールやらで遮蔽している車が停めてあったため、それを隠すアングルで撮影するしかありませんでした。隠しきれていなかったぜちくしょー。
雪景色と桜・・・とも期待しましたが積もりもしていなかった。
900000キロが昨年の12月23日ですから、おおむね2か月です。リポートにも書いていますが当初の目論見より少し足りない。もちろんそれはマージンを踏まえてのことですから、1か月単位を5000キロで走り続けられれば、目的は達成可能です。
壊れなければの話です。