仕事の立ち寄り先で、1600ノマドの消防指令車を見かけました。これはおそらく、立ち寄った街の位置関係から、2007年に筑西市で出会った2台のうちのどちらかですが、消防のエンブレムは外されていました。車体の所属が消防団に変わっているので、エンブレムは譲渡の際に回収されたのかもしれません。近場で別の街の2000ccの指令車はまだ健在ですので、あと1台のノマド指令車の消息も知りたいところです。このノマドについては、お達者でよかった。
X‐90ってどなた様ですか?
と、いわさきさんからメールが入ってきて、なにやら仕事でスズキの百年史、主にキャリイの変遷を調べているときに、ふとエスクードの項目も目に触れたのだそうです。
「エスクードは単独で開発されたものなんですね。ジムニーは系統図がおもしろくないです」
よーし、うむうむ、よーし。勉強してくれているじゃないのよ。
って思ってる傍からX‐90について
「ねずみ男みたいな顔してますが・・・」
そそそそ・・・その発想はなかった!
それで、一通り参考にしてねとエスクード誕生三十周年企画ウェブのリンクをいくつか送り返したらば、点と点がつながりだしたらしく、
「カプチーノが元々小動物系の顔ですもんね。それに4駆のたくましさを付加した結果ねずみ男感が出てしまった気がします。迷車・珍車扱いされるのはルックスも影響あるかと思いますです。かわいそうに・・・」
という論評に。カプチーノについては、こちらから同時期に出ていたモデルとして引き合いにしてもらっています。
「ついでにエスクードの初代から3代目まで比較して見てますが『整形して顔まるっと変わったから一瞬誰かわからなかったけど、体型は変わってないからそれで君だと判別できたよ』レベルの激変ですね」
あれですね、女性ユーザーでもこういう分析をする人はいなかったので、物書きを目指している彼女らしい、まだスズキについては突っ込んだところにいない人ならではの表現だなあと、ちょっと褒めてあげようと思ったのです。
が・・・
「エスクードとジムニーが袂を分かった上で、エスクードの方が開発面でバラエティ豊かなんですね〜。4代目とか5代目とか出してほしいです〜」
おいっ、いわさきっ!てめーどこ見てんだっ!
というわけで、彼女のために四世代揃い踏んだ様子をここに上げておきますけど、たぶん見に来ないだろうからまたどこかで、再教育の場を設けなくてはなりません。
四代目ユーザーの皆さん、まずはお怒りの一言をぜひこの場に!
Long Long Ago, 20th Century
1988年4月10日は「仮面ライダーBLACK」の第27話が・・・27話が
放送されていませんでした!
この日、JNN報道特別番組として瀬戸大橋開通のライブ放送のため、ヒーロー番組は休止だったのです。
しかも、スズキエスクードがデビューする約1か月前。僕は逃げも隠れもできないジムニーJA71乗りでした。うわぁ、なんて間の悪い日なんだ(笑)
というわけで、なんか世間では本年4月10日がジムニー50歳の誕生日らしいですが、世の中がそれどころではなくなってしまったのが痛恨事です。あーでも、先月スズキは創立100周年に至ったそうです。勘違いしてました。明治42年という、僕の祖父母と同じ生まれの年に設立されたってことで覚えていた鈴木式織機製作所創業はノーカウントなんだ・・・
troposphere
BLUEらすかるが4月6日、760000キロを通過しました。月への往復距離、残すところ8800キロを下回りました。地球規模の距離感で言えば、いよいよ対流圏を降下し始めたところで、静止衛星軌道から10か月もかかっているというスローペースですが、バーチャルに宇宙から戻ってきた感が得られています。
「エベレスト山頂だったら地表に届いてるじゃん」という見方もあるけれど、この残る距離を走る楽しみを削りたくないので、淡々と帰還の途に就くことにします。
明日はスーパームーンの満月です。最近流行の英語圏の言葉では、4月の満月はPink Moon(桃色月)、Sprouting Grass Moon(萌芽月)、Egg Moon(卵月)、Fish Moon(魚月)などと呼ばれるそうです。
なんだってこんな浮かれたくなる日に緊急事態宣言なんか出てくるかなあと、正直に言っておいて、世の中の流れに沿わねばならぬと気分を引き戻します。
そこまで売り手市場でいいの?
出てくりゃいいってもんじゃねーんだよ
漫画作画に登場するエスクードのシリーズで、避けて通れないのが「ガタピシ車で行こう!!」が扱ったノマドの回。雑誌掲載が2002年で、ぼちぼち二代目エスクードもモデル末期だねえという雑談のさなかに、知人の一人がこの掲載を教えてくれました。
が、物語があるようでないようなこの漫画のなかでも、何しに出てきたのかさっぱりわからない。その代表例と言っていいでしょう。
背丈の小さな女の子が運転しているため、近づいてくるノマドが無人に見えた。という展開だけですが、いくらなんでもそれ(前方からの無人)はない。エスクードの場合、特にノマドでは「後方から見たら人が乗っていない」(風花さんが実証している)という事実はあります。まあそれは余禄としても、挿絵で一所懸命描いているノマドが、ストーリーのコマの中では子供でももっとましに描くぞというほどのドへたくそなので、これの単行本を持っているノマドユーザーさんとノマドОBは、かなーり心の広い人々だと思います。
Team WESTWIN Warriors#144
TDA第一戦、リミテッドクラスに出場した梅津知浩選手のJADE-Ⅲは、後部キャノピーを撤去した軽量化策。様になっています。が、レースはそうそう甘くない。序盤戦で好位置には持って行けず、敗者復活戦も突破不可で、ベスト4には残れませんでした。まあデビュー戦で表彰台にあがっちっゃたりしたら、ここまでの9年間は何だったんだということになりかねません。練習ということでアンリミテッドクラスにも出走しましたが、今一歩の戦果なしです。
「コース攻略の組み立てがまだまだ出来ていません。初陣とはいえ、初参戦で走る人もいるわけですから、土俵は一緒です」
島雄司監督はなかなか手厳しいです。彼は彼でチーム監督を兼任しながら競技全体の主催者として仕事をしなくてはならないので、ウエストウインにかまけていられないというもどかしさがあります。講評としては、技術と経験値は走り込んで紡いでいくものですから、非力なクルマをどうコントロールするかのセンスに期待しましょう。
アンリミテッドクラスは、結果を先に言えば、川添哲朗選手の優勝でした。しかし並み居る先端ノウハウ詰込みの車両勢に対して、やはり吊るしパーツで組んでいる足回りでは苦戦を強いられたそうです。
「今回の優勝は運に恵まれていました。まず、例のJB23の子が仕事の都合で帰省できず府参戦だったこと。もうひとつは、前回同様強敵となったJB33のテクニックが川添君を追い詰めました。どうにかタイム差ゼロで再戦となりましたがやはり全体的に押され気味。辛くも相手のミスで優勝がこっちに来てくれた」
島監督は大きな課題を持ち帰ることになりました。が、川添君はMINERVA‐Ⅱと自身の伸び代をまだ保有していると話しています。それはどういうことなのか。後藤誠司選手の不在というファクターがかかわっているようです。対後藤の戦いを繰り広げながらも、チームの常勝に何が必要かを判断して共倒れを回避してきた川添君にとって、これからは隠していた牙をいくらでも向けられる。意外と彼のクレバーな走りの中から、キレた瞬間が垣間見えるかもしれません。
Team WESTWIN Warriors#143
今回より一方的に、川添哲朗選手のエスクードをMINERVA‐Ⅱ、梅津知浩選手のエスクードをJADE‐Ⅲと呼称するのですが(まあ受けずに廃れるだろう)、後藤誠司選手の手を離れるあの個体にも、Ⅰを冠した名前を考えなくてはならないとか思っているうちに、MINERVA‐Ⅱの大がかりな改修が終わっていました。
「実物を見たら唸ると思いますよ。デフの右側を強化補強したんです。それで充分ではありませんが、身内仲間たちの徹夜手弁当作業で仕上げました」
と、島雄司監督は自信ありげに話します。エスクードのデフはアルミニウム製の筐体が災いし、ダカールラリーでアピオが苦戦した(割れてしまう)逸話がありますが、短時間に大きな負荷をかけるTDAでもそれは同じで、その補強を施したのだそうです。
しかし彼らがエスクードで参戦してから10年。他社の四駆も基本性能が向上し、ドライバーのテクニックも磨かれてきました。その中でも、JB23を車体上部に関して軽量化を図り、逆にシャーシレベルには補強をバラストを兼ねて行うという、車高に対して重心を下げるなら至極当然な手法のドライバーが出てきています。
「しかもですね、この子は14歳の時からダートラを走っているんです。ちょうど我々と同じ10年めなんですよ。走りを見たら、後藤・川添の両方の走りができる。この子は台風の目になりそうです」
島監督がそこまで評価する強敵のようです。
というところで話を戻しますが、後藤くんはしばしTDAから離れるとのことで、彼専用のエスクードは同様に戦線から遠のきます。けれども彼と彼のエスクードがこの10年にわたって築いた戦果は偉大なものです。その功績をたたえて、彼のエスクードを『Vehicle Of Yare Adaptable Gravel Endurance Runner‐1』と命名します。
VОYAGER‐Ⅰ
いずれ彼が戦線復帰する際、その車両はVОYAGER‐Ⅱとなります。あーようやくさよならジュピターから離れられたよ(笑)
さてウエストウインのルーキー、梅津くんは、もちろんそこまで走り込んではいないのですが、今どき初代のテンロクエスクードでレジントップなどという変わり種で早くも目立っております。いや、だけど、同じTA01Rでもリアのトラクションは「ただのコンバーチブル」よりかけやすいのがレジントップ。ただしレジントップは「ただのハードトップ」より10キロ重いんですけどね(笑 せめて頭上のパネルを外させるか)
そんな梅津くんに、川添くんが様々な指南を施しています。監督が鳥肌を立てるほどの、TDA攻略理論です。概略を聴きましたが、なるほど彼はそれで10年戦ってきたのかと、目から鱗が落ちる思いでした。
その内容は企業秘密なので書きませんが、同時にとても的確でとても笑えるアドバイスが彼が梅津くんに出ています。
「相手のジムニーたちはいろいろいじって100馬力ものスープアップをしている。だけどお前が乗る01Rは、最初から100馬力」
いやー、何も言えねー(笑) でもそれで膝を打ってしまうところが、梅津くんのかわいいところだそうです。
第一戦の結果報告は後日!
たがみさんの「なぁばすぶれいくだうん」や松本大洋さんの「点&面」に続いてスズキエスクードが漫画に登場するのは、90年代に入ってから中原裕さんが少年誌で連載した「トキオ」でした。前2作がオフロードテイストのエスクードであったことに対して、この漫画は渋谷という舞台、チーマー間の抗争と復讐劇を描いたことから、出てくるエスクードもある種エスクードらしいシティオフローダー(って書くとなんか悔しい気もする)
気を取り直して観察すると、これはTA01Rで、スズキスポーツのランプステー(あ、ぷらすBLUEが使ってるやつだ)や同ブランドのスペアタイヤカバーなど、当時のモンスターブランドでドレスアップされ、オートエキスポ製のルーフラック用キャリアフレームも取り付けてあるという、それって実車を見なけりゃ描けないでしょうという凝りようです。
中原さんご自身か、編集担当者の周囲に、これに乗っていた人がいるのでしょう。「トキオ」の設定年代が199X年とされているけれど、こうしたパーツやモンスターの販売履歴をプロファイルすれば、だいたいいつごろの渋谷だったのかはイメージできます。
だけどこの01R、このあともう一回登場して東京湾にダイブしちゃうのが残念・・・
スズキだったのかいすゞだったのか
バービーの誕生日(1959年3月9日)なんてESCLEVにはどうでもよい話なんですが、彼女が40代になった頃、つまり90年代、専用ビークルが発売されたことがありました。
これがねえ、テールランプや微妙なフェンダーから想像して、エスクードというかサイドキックでなくて何なんだよ? との議論がその昔繰り広げられました。フロントグリルとヘッドライト形状がビッグホーンっぽかったため、審議がかかり、かかったわりには決着もつかなかったので、もう一方的にエスクード/サイドキックだと言い切っています。ま、時は流れてますんでこのビークルもモデルチェンジしており、BМWなのかトヨタなのかでもめてそうです。