Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

あくまでジムニーの歴史館です が

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尾上茂さんが長年の構想として進めていたジムニー歴史館がオープンしたそうで、しかもこれは尾上さんの個人宅別邸だという、道楽もここまでできたらなんて羨ましい話だと思いっきり失礼なことを言っちゃうわけです。さすがにホープスターON4WDは正規のオーナーから貸与されたものだけれど、全国どこへ行っても歴代ジムニー全種がそろっているガレージなんか存在しないでしょう。

まだ現地にお邪魔していないのでどうなっているかは定かでありませんが、館内のどこかにあのエスクードコンバーチブルも並べる、というのが尾上さんの談でした。もっともそのお話、建物着工前に、レストアされたクルマたちを拝見しながら聞いたのが昨年3月のこと。その後、調達されたジムニーが予定以上の台数になったらしいので、本当に展示してもらえたかどうかは・・・知るのが怖いのでどなたかリポートしてください(笑)

ま、あくまでもジムニー歴史館だからさ。置いてなくても自然だ。

立  秋

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早くも立秋なんですが、暑いものは暑いよ・・・

 

ところが東北沖には台風が来ちゃうので、突然気温も気圧も下がってます。

Team WESTWIN Warriors#122

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5日、福井県のオートパーク今庄で開催された新しいダートトライアルJ‐ONE第2戦に、後藤誠司くんがエスクードでエントリーし、50台ものハイパワージムニーと一戦交えましたが、コースのデータも無くぶっつけ本番の参戦ですから、勝てるはずがありません。彼は地元のTDAにおいて、J‐ONE主催者が遠征してきたジムニーに負けていたため、そのままでは終わらせられない一心だったのですが、意地と気合だけではどうにもならないこともあるのです。

結果は5位。このポジションをどう見るかはいずれまた。

「うちのエスクードではストレートの最高速度は時速130キロがいいところですが、ファイナルビーストのジムニーはプラス20キロはでていますね。我々が経験する最も硬い路面というか、コースの一部は舗装されているし、際立って速かったクルマがラリータイヤでした」

島監督の感想です。少なくとも次回はタイヤを合わせて行かなくてはならないと。フロント側にLSDも組み込みたいところです。

「後藤君のコーナリングは相変わらずキレてます。それについてはアゥエーながら注目の的でした。エスクードがこんなに速いとは、どんなエンジン積んでいるのかと。いやいや、相変わらずノーマルのJ20Aなんですが、その辺の質問攻めです」

これは何となく想像できることですが、後藤くんと同じ領域のコーナリングをワイド系といえどジムニーでやったなら、一発ですっ飛ぶでしょう。彼の大胆なコーナーワークは、意外なほどに緻密で繊細なコントロールと、エスクードならではのトレッドでできる芸当なのです。

事実、このレースにはもう一台、別チームから同型のエスクードが参加していましたが、序盤にエスクード対決というカードが引き当てられた結果は、相手が乗りこなせていなかったということです。

「ハイパワーチューンのジムニー勢に、現状の仕上がりであれだけ肉迫できたのだから、負けは負けでも拾うものが沢山ありました。そりゃ悔しいでしょうけど、後藤君の中に、まだエスクードでやらねばならない目標ができたのではないでしょうか」

そろそろエスクード自体の限界も考えなくてはと思っていたのに、厄介な目標を見出してしまったものです。それはそれでありがたいのですけどね。それについては後藤くん自身がこう言っております。

「TDAでも気がつけば僕の車が一番の古株になってしまったんです。ここまで苦楽を一緒に走ってきたら、今さら他に乗りたいやつなんかありませんよ。今回は余所の風にあたりたかったし、勉強させてもらえたレースでした」

全車両53台、うちエスクード2台。のこる1台は軽トラックだったとのことですが、主催者のショップがらみとはいえほぼジムニーレース。JXCDが無くなってしまい、九州ではパジェロジュニアのワンメーク耐久レースというのも始まりましたが(ちなみに島さんと高田さんなどが4人体制で出まして準優勝だった)、こうなるとTDAの手弁当というか手作り感のあるレースの方が魅力を感じます。

後藤くん、上位4台を追いかけることになるけど、やっぱり追われるよりそっちの方が闘志が湧くよね。しかし「あの娘」がテンロクのショートとか与えられて後藤くんが追い回されることも想定のうちですからね。

だけどまだ帰還の途

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8月4日、BLUEらすかるは700000キロ台に突入しました。月まで行って帰還の途、まだ地球まで68800キロがその道のりとして残っています。

うーむ、壊れなければ、この距離はやってやれないこともない? と、ようやく思えるようになりました。1カ月あたり4000キロペースに落としても、17カ月と少しあればどうにかなるものね。←すでに感覚がどうかしている。

700000キロは、那須高原の摩庭ファームで刻みました。ところが駐車場に入れた時点では微妙に5桁が0になりきらず、こんなところまで動かしており、テラスのお客さんに「なにやってんだあれは?」と凝視されてしまいましたよ。誤解の無いよう言っておきますが、ここは新たに拡張された駐車スペースですからね(もっとも僕は、「牧草地に入れてもいいよ」とお許しを得てはいるのですが)

摩庭ファームのチーズケーキ各種は、どれを食ってもほっぺたが落ちる絶品ですが、新しく商品化したというソフトクリームをいただきました。以前はチーズを練り込み風味の独特なソフトクリームでしたが、今度のは(といってもしばらく来ていなかったから、いつ登場したのかは知らないんだよね)搾乳した乳のみで作られているとか。あっさりしていながらコクがあります(こういう表現で合ってる?)

那須高原と言えども今年の夏の暑さはちょっと経験が無いということで、乳牛たちは大丈夫かなあと心配しましたが、摩庭さん曰く「うちは夏でも果敢に放牧しているから」と、元気のようです。木陰は確かに風が通って涼しいし。

9月にお店のテラスをお借りして、つくばーどin那須高原Ⅲを開催する予定です。

英国じゃ30年を意識している

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 イギリスのスズキがアナウンスするには「スズキはビターラの誕生30周年を記念して、ビジュアル、テクニカル、仕様のアップグレードを数多く取り入れた2019年モデルを9月に発表する」と。

これは要するにマイナーチェンジを伴うイヤーモデルの発表なわけですが、誕生30年をきちんと意識している。そこが重要です。

少なくともUKスズキは、ブランドとしてのビターラを軽視していない。売る側がこうだからこそ、現地では人気ブランドとしてやっていけるのだと思います。しかしすごいはったり。累計370万台って、さすがにこれは四代目だけではありえない数字でしょう。累計ですから歴代全て合算の台数ですかね。そのうちの140万台だったかが、初代の持つ数字です。差し引いたら二代目以降は・・・ちょっと哀しい。

今回のMCで、欧州に残っていた4気筒NA1600は廃止される模様で、代わって登場するのが3気筒1000のブースタージェットターボ。一時代には6気筒3200までのし上がったブランドもそこまでダウンサイズするのか。これが日本に入ってくるかどうかは不明ですが、身内でこんなに僅差の排気量が群雄割拠してしまっては、かえって逆効果なのではないか? しかも依然としてハッチバックばかり。まさかね、逆にXBEEにシエラの1500を載せちゃうとかもあり?

BLUEの称号

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青けりゃいいってもんじゃなくて、そこまでやるのかというのめり込みが欠かせないことが「こりない」・・・じゃなくて「BLUE」の称号。

マミポコさんの7型G16A、リビルド専門業には委ねず、彼女の主治医のメカニックさんが自ら全バラして組み上げるそうです。メカニックさんご自身は直6のエンジンを積んだ日産を20年来手入れしながら乗り続けているとか。その眼と腕前で組み上げられるエンジンとは、なんともうらやましい。

マミポコさんのエスクードは新車で購入して320000キロ台。時々フェリーで久米島に渡ったりするも、この走行距離を沖縄県内だけで刻んでいるというのがすごい(ちなみに沖縄本島を一周すると約400キロほどだそうです)

彼女と知り合った頃から「いつやろうかどこまでやろうか」との相談を受けていましたが、その頃、8年ほど前はまだ220000キロで、「腰から下までオーバーホールするならもう少し先でもいいのでは」と引っ張ってきました。今回が10回目の車検にあたり、ここが決め時だろうと大手術が行われています。

メカニックさんの考え方や処方については、いずれスーパースージーの連載にて紹介しようと思います。こういうパートナーシップで手掛けられるエスクードは、たとえジムニーシエラがあらゆる面で凌駕しようとも、オーナーが目もくれないでしょう。申し分ないほど「BLUE」の称号にふさわしい(ありがたくないとか言われそうだけど)

マミポコさんは「お嬢様」と呼んでいるそうですが、この際だからBLUEの冠をつけて何か命名したいところです。

TT800 あと2500km

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独りFレイドは目的地がたった1か所の往復だったので、体力温存が可能でしたが、朝イチで青森市役所に出かけ午後イチで能代市に赴きそこから秋田市となると、これはもうタイムトライアルなのです。だからといってオーバースピードで走るわけには行きませんから、肝心なのは相手とのアポイントメントの時刻を上手に設定できるかにかかってきます。このことについては毎度、行き先でコンタクトする人々には助けていただいております。更に最近は「あと何キロくらいですか?」と聞かれるのが恒例化(笑)

今回は秋田から素直に北上市をめざせばいいものを、全行程を800キロに持ち込みたくて、わざわざ大曲で横手へ進路変更して新庄まわりをしています。体力的にはその方が楽なのです。しかもこの日は青森で19℃、秋田へ行っても22℃というありがたい気温でした。エンジンルームに熱のこもる初代エスクードにとっては負荷を軽減できるのです。

しかし逃れられない消耗はタイヤ。トレッド面が削れていくのは当然のこととして、サイドウォールを見ると、ここ数回の北東北移動距離が顕著で、かなり熱による変質を受けています。むー・・・昨年新調したフロントはともかくデューラーAT694のままのリアはもうそろそろ限界か。というところで、700000キロまであと2500キロを切りました。とか言ってたら本日、片道460走る羽目に。でもって明日は八戸から基地を目指すことになりましたよ。もってくれよエンジンもタイヤも・・・

一難去ってまた一難は、ぶっちゃけ有り得る

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BLUEらすかるの「ここでかよ」というエアコンのバルブ故障に続いて、ぷらすBLUEの運転席パワーウインドーにスイッチ故障が生じました。

「この前から窓の動きが鈍いかなあと思っていたんですけど、まったく開閉できなくなってしまった。開いたまま閉じなくなったよりはマシでも、ちょっと不便」

 

という霙の報告を受けてテストしたものの、レギュレータのモーターはうんともすんとも言わない。焼き付かせたか?と内張をはずしてコネクターを辿ってテスターで計測すると、スイッチまではちゃんと通電しているので、モーターの焼き付きの前にスイッチ自体の破損可能性を考えています。

いやーしかし、こんな古い年式のスイッチアッシー、出てくるのかなあとびびります。現在は修理完了。ところがどうも今度はエアコンのコンプレッサーに不吉な挙動が・・・

30年目にしてスズキエスクード1/18

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細かな差異をつつき始めるときりがないので、このブログでそれらを指摘するのはやめておきます。18分の1スケールでダイキャストミニカーが出てきたというだけで、初代に乗っている人間としては十分なのです。20数年前、ブラーゴの300円ものを手にして、なんだかなあと思ったものですが、スケールのこともあるとして、金型の精密度がこれほど上がっているのには脱帽です。

ブラーゴのミニカーは最近でも流通しているのかどうか、すっかり見かけなくなりました。最後に購入したときには赤と白しか輸入元の倉庫には残っていなくて、仲の良かったショップがすべて買い付けてくれたのですが、あのシリーズはショップが抱き合わせで買い取らされる厄介者でした。ミニカーというのは18分の1が売れてこそ商売になるらしく、顧客もそのスケールでなければ納得しない世界なのだと、当時教わりました。エスクードはそこに入ることもできなかったのです。

今回リリースされたDORLOPのエスクードは、どのような経緯で発売に至ったかわかりません。中国あたりのサイトではコンソールを左ハンドルに入れ替えれたビターラが確認できます。箱絵にもしっかりとビターラの英文字があるので、コレクター泣かせなことが起こるのかもしれません。さすがになー、ブラーゴのときみたいに買い占めはできない価格帯だよなあ。と同時に、小さくないから隠しておけないぞという強迫観念にも苛まれそうです。

 

とりあえずエスクード誕生30周年企画webの方にもページを作りましたが、こちらでは国内仕様実車との差異についてくどくどと綴っています。

 

生みの親だもの

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エスクード誕生30周年はまだ幕引きではないようです。

 1998年12月26日のトランスアジアトロフィー

二階堂裕さんのこのブログ記事において、エスクードのムック編集は確定的と言えるまでになりました。

けしからん話ですが、けしかけ続けてきた甲斐があるというものです。

僕に言わせてもらえば、ジムニー界の重鎮であることは大いに認めるところから始めたとしても、二階堂さんは48年にわたるジムニーの歴史の中で、実は開発そのものには携わっていない。今回の4代目ジムニーにおいて、コンサルタントを務めたことがむしろ初なのです。

二階堂さんがスズキ在籍時代に手がけた仕事は、次期ジムニー開発でしたが、これについて二階堂さん自らが、ジムニーは今のままで充分売れる(2代目の頃)、ジムニーの次に来る小型四輪駆動車を作るべき、と唱えられたことは有名です。

それがエスクードなのです。

貴方が書かないでどうするんですよ? と、折に触れて要望してきたのですが、これがどんな形で世に出てくるかは聞いていません。聞いていないけれど、これはきっと、開発秘話とその拾遺と、この小型四輪駆動車そのものについて触れていく、ある意味では回顧録になるのではないか。

もちろんそれでいいのです。僕らはずっと、ユーザー目線でエスクードをアピールしてきましたから、生みの親の視点は別のものになって当然。それが初代オンリーの内容であっても、思う存分書き出してほしい(ただ、得てしてありゃっという間違いが出てくるのが大いに心配)

なんにせよ、まだまだ夏が続いていることにはわくわくさせられます。