Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

真に受けてはならないこと

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もうずいぶんとクロスカントリーの真似事走行に出かけていませんが、先達のエスクード乗りは伸びない足まわりをいかにして自在に動かすかを考え、足まわりの構造自体は改編せずにモデファイを繰り返しドラテクを磨いて、難コースに挑んでいました。

ランクルやパジェロの足を括り付けるなどもってのほかで、それやったら何でもありだろうと、彼らのプライドが許さなかったのです。

昔話をしてもせんないので、その難コースのひとつですが、書いてあることは何一つ間違っておりません。しかし、ある意味これを別の視点で真に受けてはなりません。

という時代になっちゃったね。

この看板が今なお健在かどうかは不明です。

知らぬ間の増殖

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トミカにラインナップされたという事実は、四代目エスクードが成し得た快挙といっても言い過ぎではないほど、歴代モデルにとって国産ミニカーの壁は厚く高かったと思います。

皮肉にもそのあと、モデルとなった1600シリーズは淘汰されてしまいましたが、その過渡期には東京モーターショーエディションというバリエーションが加わりました。やー、良かったよかったと思っていたら、なんだこの派手派手なオレンジカラーは・・・?

東京消防庁と書かれていますが、あそこにこんな仕様の指揮車あるのか? リアのクォーターウインドーとバックドアのウインドーをパネル化し潰しているところがそれっぽいなと、一瞬は褒めようとしたんですが、思いっきり塗料で塗ってしまっただけでした。

しかしバリエーションが増えるというのは、よもやモノがだぶつくほど売れていないから? などと余計なことを考えてしまうなあ。

変わったこと 変わらないこと

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これは昨年、「万が一2018年5月のweb公開までに企画イベントができなかったら」という場合に備えて、30周年プレイベントとして開いた時の歴代エスクード。四代目はまだ1600ccをラインナップしていました。スズキ自販茨城さんのご好意で借り受けました。このエスクードはしかも、2WDです。もう一台、四駆の四代目もこのイベントにはお借りしていますが、やはり1600でした。

そしてことし、二階堂裕さんがスズキの広報車を借り受けて持ってきてくれたのは、1400ターボ。ターボ車は昨年8月に我々も試乗車を1日借り出すことができていますが、わずか1年のうちに1600がカタログ落ちしているのを、あらためて実感させられました。しかも、来年までに出てくる新型ジムニーシエラは1500ccが確定したというし。なんともめまぐるしい年回りです。

この話はこれ以上続かないのですが、今回、スーパースージーの取材が来てくれたことで、エスクード仲間に引き合わせることができたのが、右端にいらっしゃるライターの古瀬克也さん。この人が最古のエスクードのクラブ活動を展開した、E.C.J.日本エスクードクラブの発起人です。同クラブは孤軍奮闘に終わっているのですが、30年後の今、同じ流れを持つ(まあ我々のはクラブスタイルではないんだけれど)エスクードファンがいるよということを、伝えたかったのです。

古瀬さんは88年当時、スーパースージーの二代目編集長でした。二階堂さんがインドネシアスズキに出向し、日本ジムニークラブ自体もちょっとした変革期だったそうで、その過渡期に編集長となり、最初に扱った仕事がエスクードデビュー特集号でした。その頃に乗っていたのが、初代1型のコンバーチブル。昨年、うちのぷらすBLUE取材の折も古瀬さんがまとめをしておりますから、ある意味では運命的な出会いを果たすこととなりました。

 

などと感慨にふけっていて恐ろしいことに気がついたよ。

この記念イベントの模様は7月に出るスーパースージーで紹介されるのだけれど、ということは、こちらで受け持っている連載で考えていたのとぶつかっちゃうじゃないのさ。

ああっ、それじゃあ何か別のことを今から書き始めなくちゃならないのかっ

 

 

つくばーどin岩間XXⅨ

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「なんでつくばーどなんだ、ESCLEV じゃないのか?」と、紛らわしいという意見もありますが、メーカーがですよ?「たった二言のツイート」で片づけちゃったんですよ、エスクードの誕生30周年を。

そんなんだったら、僕んとこでやらなくちゃって思うじゃないですか。イベントの私物化、上等ですよ(おいおい)

だけどこれは、やっぱり仲間に支えてもらえなければできないことです。来られなかった人には申し訳ないですが、ここにやって来た人でなければ味わえない五月らしい天候と日差しと賑わいと、うまいもの。みなさんのご協力のおかげで無事に開催できました。ありがとうございます。

で、何かやらないとイベントらしくないよなあと急きょ行ったのが「BEST・ザ・エスクード」コンテストなんですが、便利な時代になりました。参加車両がそろってから写真撮影して麓のコンビニに駆け下り(みぞれと和邇お嬢)、プリントして戻ってきてボードに貼り出す。20周年の頃はできませんでした。投票は参加者全員。これだよね、というエスクードに投票してもらって決定したのは、X‐90の8インチリフトモデルで参加されたZuboraさん。次点に「あの」サイドキックスポーツの和邇さんでした。

一方、M‐レイドについても参加者投票によって、はまたにさん夫妻が外房方面に出かけた渚の風景がぶっちぎりの最優秀賞。かとおもえば、二枠用意した優秀賞には、二枠エントリーしていたかわねこさんの作品がどちらも同点得票で賞をもぎ取っていきました。この展開は予想外だったよ。尚、佳作にはTA01Wさん、青影さん、クロさん、狼駄さんが選ばれております。

 

Zuboraさんの1日

はまたにさんの1日

狼駄さんの1日

コムロさんの1日

madcrowさんの1日

二階堂裕さんの1日

suuuさんの1日

 

ああっ、はまたにさんはともかく、そりゃまあみんな同じカットになるよなあ・・・

 

さほさんの後日

いやいや、そんなすごいところと引き合わされると玉砕ですがな。そも、こちらはクラブじゃなくて野良の集まり部室だから、ゆるゆるとやらせてもらってます。というか、初代は昭和のクルマんなだけれど、いま89年までのエスクードいないんだよね。

 

そこまでは知らんかったよ

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「エスクードのドアミラーはベルトラインの前端、ドアガラスを格納しても邪魔にならない部分を1段落とし、できるだけ低い位置に取り付けました。
 これは基本がオフロードカーであることから、左右の下方視界を確保するための工夫でした。また合わせてこれをデザインの要素として、ボンネットフードとの連続間を持たせることで特徴づけました」

 

エスクード誕生30周年企画webにて、初代エスクードのデザインを担当した片岡祐司・現名古屋芸術大学教授が寄稿してくださった「エスクード誕生物語」の一節です。

このドア側の切り欠きは確かにエスクードの特徴の一つで、フラットなラインに比べれば、多少は視界の確保も可能です。が、このデザインを他社がうかつに真似をすると、後々面倒なことになるのだそうです。

このデザインと設計には、特許がとられているのです。実際に数年後、「やってまった」メーカーが出てしまい、スズキとしては思わぬところから特許使用料で利益を得るという出来事があったそうな。

そういえばデザインとはジャンルが異なりますが、「クルーガー」という商標も、スズキは「エスクード」との関連性を持つネーミングとして商標登録していたため、これを使いたかった他社に売却した逸話もありました。この関連性はしかしエスクードがどこでどう通貨単位から金貨に転ずるのかよくよく考えると無理やりだし、クルーガー金貨というのがあるにせよ、クルーガーとは「賢い」という語意なので、ほんとに使う気あったのかなあとも思ってしまうのですが。

30周年

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 ESCLEV サイトに記念企画ページを公開しました。

10年前ほどの体力もないし、周囲の熱も冷めています。技術的にもいまどきこんななの? な仕様ですが、まあこんなもんです。今月の連休が無かったら作れませんでした。いやその、一度ぶん投げようかと思ったので。

さてエスクードも三十路になりました。明日午後から日曜日の本戦で、今度は雑誌用の取材イベントです。誰に頼まれたわけでもないのでこんなことを言うのは愚かなんですが、これで荷を降ろせるなあ。

尚、この機にESCLEV旧サイトは閉鎖いたしました。古いリンクをお使いの方は、上記の現サイトにブックマークをお願いします。

 

今どき使う人がいるかどうかわかんないけどバナーはこちら

 

これも使う人いるのかよ? な気もするけど三十周年企画専用バナー作りました

 

やっぱり周年なんですか

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5年前にも「果報は寝て待てっすよ?」な出来事がありましたが、これがちょうど25周年の年回り。そしてことしは30年というめぐりあわせで今度は18分の1スケールダイキャストモデルと来たもんです。

静岡ホビーショーを紹介するホビーショップ・タムタムさんの記事(下の方)

 

DORLOPというと、イタリアのペスカーラにある新しいブランドのホビーメーカーだったっけかな。またもやですが、結局海外の企画の方が理解が深いよ・・・

などとため息をついている場合ではないので、直に尋ねてきましたよ。中国製製品で、日本では9月頃のリリースだということで、わたしゃその場で予約してきましたよ。

しかしホビーショーの記事をよーく見て行ったら、エスクードが展示されていた場所の上の棚にもなんか大変なものを見ちゃったような気がする・・・

革新の扉

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今回の片岡教授寄稿で知りえたもう一つのトピックに、チャック・ジョーダンとマルチェロ・ガンディーニの名前がありました。前者は80年代のGMにおいて手腕を振るった有名な副社長。初代エスクードに関する評価を高くとりあげ、北米市場へのGMブランド展開を後押しする立役者であったそうです。

後者については、ちょっと驚きました。ガンディーニといったらベルトーネのエグゼクティブなデザイナー。今さらここに作品列挙する必要もない有名人です。

実はハンス・ムートがデザインした初代レジントップのキャノピーの前に、これをガンディーニが手掛けていたのだそうです。それで思い出すのが、89年の東京モーターショーに展示された「エスクドーム」のキャノピー。あれは市販デザインとは異なっていました。知らぬ間にガンディーニの作品を目の当たりにしていたようです。

ということは、この時期から突如リリースされていったエスクード専用のキャリアシステムやグリルガードなどの「オートエキスポデザイン」も、ガンディーニがやっていたってことになります。

いやー・・・それってなんかすごいというか、エスクードごときがストラトスとかカウンタックとか(あ、列挙したよ)と細ぉい線でつながりましたよ。

どうすっかなー、キャリアシステムは譲ってしまったけれど、ガード類はまだ持ってるんだよなー・・・

 

変革の刃

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歴代エスクードのDNAだとか、二代目を無視してうそぶかれているエンジンフード横のエアアウトレット。三、四代目のガーニッシュのような装飾は、もともとはアウトレットとしてのスリット造形でした。しかし初代に乗った経験のある方なら、エスクードのエンジンルームは熱抜きが苦手で室内にも熱が伝導しやすいということをご存じでしょう。特にテンロクたちはエアコンがなかなか効かなかった。

それをわざわざエアアウトレットなどとなぜ言うのかと、ずっと思っていたのですが、30年めにして真実にたどり着きました。

近日公開予定のエスクード誕生30周年企画webに、この初代エスクードやカプチーノ、スイフトなどのデザインを手がけた、現名古屋芸術大学の片岡祐司教授に、デザインワークスとしてのエスクード開発について寄稿をお願いしまして、webにおいては4ページにわたる既出の話から「それは知りませんでした」なエピソードを執筆いただくことができました。

そこに、このスリットにまつわる逸話と、これに連なるドアミラー部分のトリビアが綴られていました。ひょっとしたら「そんなこと、初代のエンジンフードの構造を見ればわかるでしょ?」という人もいるとは思いますが、僕は初めてその話を知ることができたのです。なるほど二代目がやめちゃうわけだし、三代目以降は技術的に革新の扉でも開いたのかなと思わされました。

webは・・・うーんもったいつけるほど手の込んだ内容ではないんですが、現在あちこち手直しを進めているところなので25日までお待ちください。とりあえず片岡さんの「エスクード誕生物語」は読み応えありです。

報われぬ魂

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エスクード誕生30周年企画のweb制作をぽつぽつと進めてきて、9割方これが出来上がったのですが、20周年のときに多くのユーザーさんに協力していただいた歴代エスクード全モデルのユーザー批評だけはもう一度やり直すにはめんどくさくてもったいなくて、そのまま引き継ぎ四代目を加える形でやりました。企画ページはそこを外すとなんだかんだで約30ページになりました。まあ素材的にはもう35年めはないなってくらい、ストックの底もつきましたよ。

さて、やりきったぜーとデータをサーバーに送ってみたのですが、ソフトがホームページビルダーのためIE準拠で制作してきたことが仇となっていて(まあそれはずーっと前からそうなんですが)、ファイヤーフォックスだと構成が崩れるし、iPhoneでも同様。このあたりの微調整技術が足りずに座礁した気分に転落です。聞けば狼駄さんが最近、自身のサイト更新をやらなくなったのも同じ理由らしく、彼なんかタグ打ちでやって来た人だから挫折感半端ないようです。

で、しばし腕組みして考えた末、両者の結論は以下のような感じ。

「俺、もうスマホ対応のみで今までのは黒歴史に!」

 

「俺、今後もPC対応でしかやらねーっ」

 

志が低いな、おいら・・・