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  ~懲りない傾向~

雨はやがて止んでいった

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1976年10月24日は、F1世界選手権イン・ジャパンとして日本初のF1レースが開催された日でした。初開催にしてニキ・ラウダとジェームズ・ハントのチャンピオンシップを賭けた最終ラウンドだったり、ラウダが危険を訴え自らリタイアしたり、それでハントが易々と年間チャンピオンになったかというとそうでもなかったり、意外にもこのラウンドの優勝者であるマリオ・アンドレッティは71年の初優勝以来の表彰台だったりと、実に沢山のドラマが展開しました。

2周目でフェラーリを停車させたラウダは、それでもハントにはこの雨天のレースでポイントを覆すことはできないと確信していたのか、まさかのいずれ雨は上がるから、ハントはやるだろうと憶測していたのか。それは誰にも分らないことですが、レース終盤には雨雲は去り、路面はドライコンディションになっていました。

ラウダとハントの人生のレースは、奔放な暮らしぶりの末若くして亡くなったハントに対して、火傷の重症から復帰し2019年まで様々な活動と事業を続けたラウダ。こればかりは勝敗を付けられないと思いますが、伏兵というか、アンドレッティは今なおお達者というのがおどろきです。ハントが逝去して、いつの間にか30年が経ちました。

免許更新時に発見したこと

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最近は、交通安全協会も会費徴収の折に「交通遺児にランドセルを配っていまして」と教会活動費の用途(の一端)を説明するので、そういうことならと快諾するのですが、更に会員(僕の場合は茨城県の交通安全協会)だと県内各地のいろいろな店舗などで、会員証提示によって様々なサービスを受けられるようになっていました。前回の更新のときには無かったような気がするんだけれど、彼らもJAFみたいな還元策をやっているようです。

サービス対象先はそれこそJAFに匹敵するような数に上っており、これは近所だけでも良く行くガソリンスタンドなど知らずに過ごしていたなあとリストを眺めていたらば、「レストランキャニオン」なんてのが掲載されておりましたよ。1000円以上のセットメニューを頼んだ際、会員証提示で350円以内の飲み物をサービスしてくれるようです。要は、あのAセットを注文すればエントリー可能だと。そんなことなら言ってよ(笑)

きりぎりすとにあり

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残暑が長引いたせいか、「蟋蟀在戸」というより基地の庭じゅうでマツムシもスズムシもコオロギも絶賛合掌しています。キリギリスも然りですが、キリギリスとコオロギは同じ昆虫に括られるうえ、七十二候が作られた時代にあっては鳴く虫の総称としてキリギリスの名が使われていたらしい。気性は荒いそうで、ショッカーは使わなかったけれどダーク破壊部隊ではロボット兵器として採用しています(そんなことで結ぶのかこの記事)

だぶるの旧派劇

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そろそろ来るかなと思って出かけてみたら、やっぱり立体マグネットラスカルの第8弾が(お子様メニューに)載っていました。とうとうココスのユニフォームシリーズはアイデアが尽きたか、果物の被り物。

右端が切れてしまいましたが、右端の一体だけラスカルではなくリリィという、これがオープンソースのレアものなのかと思わせる布陣です。

さあ今回はどこまで混戦になるのかと注文しようとしたら、隣のページに貼り込まれた注意書きが。

当店では引き続き第7弾を配布しています。

念のため確認したら「切り替え時期ですみません。新しいのはまだ出せないんです」って、なんかこう売り手市場だなあ。

お店の事情ありでは仕方がないねと、後日、別の店舗に行ってみたら「そりゃもうすぱっと切り替えちゃいましたよ」ということで、夫婦でラスカルセットを注文料理と組み合わせて待ち構えることとなりまして・・・

いきなりだぶるからのスタートとなってしまいましたよ

阿羅野の一句

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元禄7年10月12日は現在の暦で言うなら1694年11月28日なのですが、この日亡くなった松尾芭蕉を弔う芭蕉忌、あるいは時雨忌、もしくは桃青忌、はたまた翁忌は、めんどくさいというわけではないはずですがそのまま10月12日に営まれています。そんな日なので裏山を仰ぐと、山頂にある神社の境内に「夏来ても只一つ葉のひとつかな」という芭蕉の句碑が存在することのお話。「それ『写し』でしょ」と思われた方はさすがです。

この句は、芭蕉が『笈の小文』の旅から帰る途上、岐阜の山中で詠んだものです。句自体は『阿羅野』の曠野集・巻之三の初夏の項に載っています。『阿羅野』は、『奥のほそみち』の二つ前に編纂されたものですが、芭蕉自身は鹿島神宮詣ではしているものの、笠間の神社に立ち寄った歴史はありません。

句碑建立の由来には「一つ葉」という文言が関わっていて、つくばーど基地周辺の山々には、昭和初期まで一ッ葉の木が群生していたことに行きつくのです。約230年前、双方の「一つ葉」に着目した地元・・・正確には現在の茨城町に所在していた名主にして俳人であった佐久間青郊さんが、芭蕉の百回忌を機に建立を計画立案して、2年遅れで実現したという逸話があります。

「一ツ葉」は常緑多年生シダのことで、昔は利尿・治淋薬として重宝されたそうです。芭蕉が300年以上前に詠んだ句には「木々が葉を茂らせる夏にあって、葉が一枚のままで淋しいのは一つ葉だけ。我が身も同じか」というような思いが込められているようです。裏山には芭蕉との縁もゆかりもないながら、佐久間さんのグッショブな企てがか細くももの哀しいえにしを紡いでおります。

32年前の25年もの

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クルマが届いた日は91年12月でしたが、家内が嫁入り道具で持ってきた日産パルサーのエンジンがかからなくなり、この年の5月に出た日産サニーの誕生25周年モデルを買って差し上げた(笑 なんせこの時僕が乗っていたエスクード・ヘリーハンセンリミテッドは結婚資金を取り崩して手に入れたという負い目があり)、1500ccスーパーサルーンでGTSルックの数少ない姿です。この頃デジカメを持っていなかったので写真があまりないのです。これはたぶん翌年夏の撮影。

その後、ちょうど30年前の10月9日、週末を組み込み11日の体育の日振替休日も使って竜飛岬まで旅行に出たのです。自走での初青森はエスクードの出番なしで、林道はだめだなあと思っていたら、竜泊ラインが舗装工事でけっこうな距離をダートで走りました。この頃はまだ太宰治の生家である斜陽館に宿泊することもできましたが、あてがわれた部屋は書斎やら居間やらではなくどう見ても女中部屋でした。

このB13サニーも22万キロあたりでオイル漏れがひどくなり2005年で退役しましたが、ということは、1600ノマドがあったにせよヘリーハンセン、V6ハードトップにわたって、我が家の主力エスクードのサポートを続けてくれたことになります。時代がかったデザインではありますが、B12のトラッドサニーを上手に進化させた、当時の小型車セダンとしてはなかなか美しいシルエットです。

宵月

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宵の間だけ出ている月。と言われると、それは夕月のことなのかとも思うのですが、10月6日の宵月の時刻は、月齢カレンダーによれば23時台だとか。「宵」の解釈が幅広いようで、日が暮れて間もない時間帯も、日暮れから夜中までも、どちらにも言えるのだそうです。宵月は平たく言えば新月と満月の間に入る、半月のことで、おおむね下弦の月。なんでおおむねかって、宵が前者だと月の状態は上弦になっているはずだからです。

ややこしいのは「上弦の月」は新月から数えて七日目、「下弦の月」は二十三夜に相当するという説もあるので、そもそもが同じ天体を見ていてどれだけ想像力豊かだったんだ昔の人は。と唸らされるのです。ただし二十三夜は宵月の翌日にあてがわれています。

 

衣替えの前に

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つい先日まで、喫茶店に入っては「アイスコーヒーの大盛り」(実際にはそんな神田鉄雄みたいなことは言ってませんが←神田もアイスでなくホットコーヒーの大盛りと言っているし)感覚で冷たいやつばかり飲んでいましたが、そろそろホットの湯気から漂うコーヒー豆の香りが心地よくなってきました。それでもことしは「暑さ寒さも彼岸迄」の体感があまりなく、なんで喫茶店にいるのかって、外がまだ暑いからなんですよね。

次の日曜日で衣替えになるわけですが、もうずいぶんと長く「10月もクールビズ」が定着しているような気もします。職場には一人だけ、真夏でもネクタイ締めて室内でも上着を脱がないという変わり種がいますが、彼は密かにネクタイの柄で季節と自分を向き合わせています。

気がつけば10年経ちましたよ

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入院時の写真なんかその場で撮ってブログに出していた程度なので、もうストックもありませんが、椎間板ヘルニアの急激な発症で救急車を自分で呼び、入院してから10年になりました。奇しくもその頃やっていた「あまちゃん」も、BSでの再放送が今週終了します。単身赴任したとたんに東日本大震災をくらうとか、その後の奔走が車にも自分自身にもダメージを蓄積させたとか、いろいろありすぎた仙台暮らしでした。

ブログによれば10月13日に退院して、14日から1週間ほど自宅療養していたのですが、11月にはちゃっかりと妙高高原のつくばーどを開催していたのだから、まだまだ若いぜと言わんばかりです。

あの当時、世界中が東北の被災に対して暖かな手を差し伸べてくれたことは忘れがたい話ですが、いま、国の段取りが悪いとはいえ福島第一原子力発電所で蓄積された冷却処理水の海洋放流に対して、嫌がらせ電話だの悪辣なネット上広告(もう消えたみたい?)だのと、喉元を過ぎるとこうも変貌するのかと驚くばかりです。

10年ひと昔とはよく言ったものです。

始まった秋の交通安全運動

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啓蒙活動であるなら、季節行事ではなく年がら年中やったらいいのに。と思うことは思うんですが、啓蒙活動であるなら取り締まる前に注意喚起を促すのがスジじゃないのかなあとも感じるのです。

いや、取り締まられたわけではありませんよ。昨日の初日、80kmで高速の左車線を走っているときにぴたりと後ろに張り付かれただけです。

うちの車を隠れ蓑に使わないでください!