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  ~懲りない傾向~

謎の目カニクス 後編

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前編で「眼の奥で操縦する」ジャンボーグAを引き合いに出したのは、古今東西の巨大ロボ(ジャンボーグAは『宇宙サイボーグ』なんですが)を動かす際、最も合理的な手法をとっていたからでした。脳波と四肢の動きをトレースして操縦するため、座席は愚かセスナ機の操縦系は見事に無くなっています。にもかかわらず、2号となったジャンボーグ9はシートに着座しハンドルとギアチェンジとペダルで操縦する。9を手足のように動かすのはかなり難しいシステムです。

ザブングルに至っては、合体変形によって乗っていたコクピットが背中に行ってしまうため、わざわざ場所替えです。とにかくこの操縦系で殴る蹴るの捌き方をどうやっているのかは謎でしかありません。慣熟していくうちに機体の電子頭脳(この時代の番組だからAIなんて気の利いたものは設定に無い)が細かい動作を覚えて補助していくのでしょう。それでもハンドルとペダルには妙な説得力が宿っているのです。なんだかいつの間にか目の奥の話じゃなくなってしまいました。

あれもこれも35年+

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1988年製ならもれなく35周年なわけですが、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』が3月12日の封切りから本日で35年目を迎えます。キャラクターデザイナーが安彦良和さんではないため、絵的には好きではない上(まだ文庫本挿絵を描いた美樹本晴彦さんの方がまし)、1年戦争から14年も経過しているのにシャア・アズナブルのものの考え方が成長もしていない情けない展開で、映画としては自分の中では低評価でした。

この映画が上映されていた頃、スズキが小型車の新しい四駆を春に正式発表するといった話題は取り沙汰されいました。その小型車こそがエスクードなのですが、当時、1600ccもの(もの、なんですよ)排気量はスズキのエンジンとしては想像しにくいサイズでした。既に1300ccはジムニーに搭載されていたので、技術として不可能ではなかったのです。それでも開発当初はそのG13Aが使われるかもしれないという検討もあったらしく、5月の発表まで「ほんとかなあ」と半信半疑でした。

なにしろこのとき550ccのジムニーに乗っていた僕ですから、この排気量はまさにガンダムとνガンダムほどの違いを感じさせていたのです。

ところでこれは40年ものなんですが同日だったので

思い出すのが遅くなってしまいましたが、「クラッシャージョウ」の映画公開が1983年の同日でした。モブシーンが、アニメ漫画ファンにとってはひとつの見どころのような瞬間ゲスト出演芸のオンパレードでしたが、ああいうのは今見るとうっとおしいだけで好感持てません。とか言いながら、アルフィンにぶっ飛ばされる宇宙海賊が、今は亡き漫画家の和田慎二さんだったりしているのは、しょーがないなあ許しちゃおうかなーという贔屓目もあります。

しかしこの作品は、原作本の挿絵で安彦良和さんが描いていた宇宙船ミネルバの、河森正治さんによるブラッシュアップ版の美しさが何より目を引くのでした。118mちょっとの全長という小型ながら万能汎用能力を詰め込み、航空機型と宇宙往還機を融合したフォルムは優れものです。それを初監督しながらキャラクターデザインと脚本と絵コンテと作画監督までこなした安彦さんの仕事はまさしく「宇宙が熱い」でした。

謎の目カニクス 前編

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唐突に頭の中に渦を巻いてしまいました、巨大ロボットの「眼?」はなぜ光るのだ?。こんなのは「機体が起動して通電するから」で全然かまわないんですが、ヒト型ロボットとはいえそれだけの外部視認用に顔が付いているわけじゃないだろうと。例えばマジンガーZの両眼部分には光子力ビームの発射装置が組み込まれています。ビームの放射システムはよくわかりませんが、光子力エネルギーをレンズか何かで収束して発射するとして、そのために常時、加速器がスタンバイ状態?

そうでもしないと一声叫んでスイッチ入れた直後にビーム発射できないよな? と半分納得するしかない。しかしガンダムの場合、両眼部分の用途は全く異なり、サブカメラとビームライフルの照準とリンクするなど様々な光学センサーが仕込まれている。光学センサーを使う際に余計な光源があっても問題ないのか? 1年戦争時の地球連邦側モビルスーツで双眼の機体はガンダムくらいのもので、試作機ゆえのトライアルがあって、結果的に量産機にはガンキャノンのようなゴーグルタイプのスクリーン内に必要な機器を詰め込んでいますから、ガンダムの眼が光るのもヒカリモールス信号機能などより開発者の趣味でしかないような気がします。

ビーム兵器もカメラ・センサーも用いない「眼の奥」用途もあります。ジャンボーグAやレッドバロン、マッハバロンのように、眼の奥に操縦系があるもののなかで、ジャンボーグはセスナ機からヒト型に変形したのち、パイロットは脳髄と四肢を外部からの伝達ケーブルでリンクし動きをトレースさせるという優れもの。一方、ザブングルのように自動車運転の延長上に操縦系を持ち込んでしまう荒っぽいことをやっている。巨大ロボットの頭部の考え方って、未だに謎が多いです。

三冊合体六倍化

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こんな重いもんキーボード上に載せたらいかんっ

以前、つくばーど®サイトの「toys hanger」コンテンツについて、ネットの海のどなたか知らない人が「長谷川裕一の考え方に似ている」とか「同じ人か関係者」とか言っていたことがありますが、漫画家の長谷川裕一さんとは面識ありませんし、ゆえに関係者でもないのです。そう言われたことについては、当時は「うちのはあの本や元になったトークイベントなどには頼っていねーよ」と憤慨しましたが、今考えると「逆にけっこうすごいじゃん」と考えられるようになりました。

その本というのが、長谷川さんによる「すごい科学で守ります」に始まる新説空想科学読本のことです。

画業四十周年を記念して、あのシリーズ三冊をまとめたグレート合体愛蔵版とやらを、まあまあさほど高い値段を付けずに出しちゃったところに感服しますが、なんだよこの分厚さと重さは。ページを開けにくくてしょーがねーよ。細かいところに最低限の修正を施したと云うけれどもはやどこがそうなのかわかんねーよ(笑)

仕事とはいえこのところずっと、小難しい専門書を斜め読みばかりしていたところなので、すっかり中身を忘れているこの本を読んでアタマを柔らかく出来ればと思います。内容もさることながら、長谷川さんのタッチで描かれる戦隊ロボやらメタルヒーローやらの挿絵を眺めるのも楽しいのです。てことで、本項の表題がどこから持ってきたものかがわかる人っているんだろうか?

 

 

大四畳半深淵宇宙へ

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松本零士さんの訃報はNHKが流したニュース速報で知りましたが、そうか速報扱いされるほどに昭和の漫画家として大きな存在になっていたのかと思わされました。

僕は最初に出会ったのが「光速エスパー」。さらに「男おいどん」を読んでいたのが小学生の頃で、松本さんの作風(エスパー)にはどこか手塚タッチを残しながらも他者の画には全くない斬新さがありました。あの近未来のメーター類と、四畳半の縞パンツとサルマタケが同一人物の画ですもん。

中学生の頃連れていかれた香港の街なかで、スカラベの甲羅が開いて文字盤が出てくる懐中時計を見つけたとき、それが後に銀河鉄道999などに描かれるペンダントロケットと同じモチーフ(腹に髑髏は刻まれていませんでしたが)だとは知らずに購入して、2つのアイテムが結び付いたときには僕の時計の甲羅の方が壊れてしまっていて気落ちしたものです。

高校時代には友人とミステリートレイン999に乗ろうぜと画策したものの、受験対策サマースクールで上野駅どころか長野の山奥に隔離され、ラジオ番組で行方を追いかけることしかできませんでした。受験を何とか乗り越え、大学に通うとき、今じゃそんな学生居ないだろうけどわざわざ四畳半でトイレなんか共用という下宿を探して「これが『男おいどん』『ワダチ』の世界」と悦に入りながら、「確かに女の子は呼べねえ」と苦笑するのでした。

サルマタケは発生しませんでしたが。

同年同日生まれの石ノ森章太郎さんとともに、四畳半(石ノ森さんの部屋は三畳だっけ?)どころか無限大の空想科学世界をもたらしたという意味で、はたまた広げた風呂敷を二人とも畳むのが下手という愛嬌も含めて、いつか来る日が数日前だったのかと残念でなりません。ご冥福をお祈りします。

謎の「34人、かな」

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最近オンエアが始まった電子決済サービスの、オダギリジョーさんの新CМに、あの藤岡弘、さんが「フジオカシェンパイ」として登場してきたことが話題になっているようです。なぜってそりゃもう、どちらも「仮面ライダー」の代表的演者ですから。この二人の共演とともに、藤岡さんのセリフ(ロングバージョンの方)も話題の素材を含んでおり、「ОB会」「34人、かな」という言葉が「仮面ライダー作品数」に符合していると、インターネット上で持ち切りになっています。

が、ちょっと待て。

テレビ番組と一部映画の数で言えば、仮面ライダー作品は確かに34。しかし、平成シリーズから各番組で複数のライダーキャラクターを登場させているものの、さすがにそれ全てを招くわけにいかないってことで数を絞ってのことと思われますが、その論理だと「一文字隼人」「結城丈二」もオミットされてしまう。いみじくも「栄光の10人」と呼ばれる仮面ライダーのなかの2人を外すことはできないはずです。

すると、少なくとも36になってしまう。

この数合わせ、いくつかのハードルを蹴倒さなくてはなりません。

まずオダギリジョーさんは「呑み処おやっさん、」の主人なのでОB会を招く側として除外です。さらにBLACKとBLACK‐RXの「南光太郎」は演者も同一人物なので、ここもまとめられます。演者は異なりますが、「仮面ライダーTHE FIRST NEXT」に出てくる本郷猛、一文字隼人、風見志郎の3人は設定上同じ登場人物なので、これも吸収します(東映としては別格扱いだそうで、ノーカウントでも可)。

これで一見、数は合います。けれども、今現役でやっている「仮面ライダーギーツ」はОB会のメンバーとしてカウントしていいのか? まあまあたぶん、仮面ライダー世界のヒエラルキーを教え込むという名目で、慰労も兼ねて呼びつけちゃうのでしょう。

それでももう1人、残されたハードルがあるのです。「仮面ライダーG」こと「吾郎」という存在が立ちふさがります。とりあえず東映側の見解は「仮面ライダーTHE FIRST NEXT」同様に別格扱いとのことなので、見なかったことにしてもよさそうです。

と安心しかかっているときに「スーパーヒーロー大戦GP仮面ライダー3号」の「黒井響一郞」を忘れていることに気づいてしまいました。この人の扱いどうすればいいんだ? やっぱりギーツは呼ばなくていいか? 「3号」にひっついてのこのこと出てきやがった「仮面ライダー4号」なんていうのも居るんですが、そもそも敵だし素体の人間出てこないような奴は勘定しません。

藤岡さんがこの数合わせを予見するかのように「34人、かな」と、セリフを溜めているところは絶妙です。ただしほんとに仮面ライダーОB会かどうかはまったくわかりませんが。

オーラの力蓄えて

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「聖戦士ダンバイン」が世に放たれて40年になります。1983年はなかなか沢山の戦う人型ロボットアニメーションが様々なコンセプトで創られていますが、初期のオーラバトラーをデザインした宮武一貴さんのセンスは、呼称によって「単に巨大ロボットじゃないんだぜ」と言ってきたロボットアニメのなかでも群を抜いていると感じます。昆虫型の意匠でありながら、実はバイストン・ウェルに棲息する恐竜か爬虫類型生物の体躯・骨格から生産されているのもひねりが入っています。

巨大ロボットと言っても全高で約7mクラスのダンバインですから、当時としては随分小さく設定できたものだなあと思いますが(未来少年コナンのロボノイドというのもありますけど、そもそも最初から巨大ロボじゃない)、世界観と言いガジェットと言い富野由悠季さんの趣味性丸出しな番組にこれでもかというくらい合わせています。

2か月後に、この小ささはスコープドッグの登場で最小を譲ることになりますが、ダンバインは今もって「解」を見いだせないデザインらしく、当時のクローバーから出ていた玩具の立体造形に違和感があったり、その後出てくるプラモデルでも改造しないとこうならないというモデラーの苦闘が続いています。

ヒロイックファンタジーものに巨大ロボット持ち込んじゃってさ! などと反目する人々もいらっしゃった時代でしたが、横目で見ていると、そもそも剣と魔法とお姫様ばっかりじゃんというそのジャンルに、鎧の延長であるロボット、船と置き換えたオーラシップなど、昨今の異世界ものとはまた異なる新境地を牽引したかなあと振り返ります。

 

それは宇宙道徳に背くというものだ

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1956年1月29日に封切られた『宇宙人東京に現る』は、地球人類の核開発を警告しつつ、太陽系に接近する彗星Rによる地球の危機を「宇宙道徳」に則って知らせにやってきたパイラ人と地球人の物語でした。核抑止に出現する宇宙人や異天体の衝突危機というプロットは、この映画より5年前のアメリカ映画『地球の静止する日』『地球最後の日』が先んじていますが、この2本は今考えると、当時激化していた朝鮮戦争への反発だったようにも思えます。

『宇宙人東京に現る』は、世界的な核の危機に対して、当時唯一の被爆国である日本に理解を期待しパイラ人がやってくるお話でした。まあこんな異形ですから東京はパニックに陥るのですが、パイラ人にしてみれば地球人の容姿こそ醜いという文明感覚の違いも真新しかったのです。

設定の話はさておき、絵空事とはいえ友好的宇宙人の力を借りた核抑止や平和維持のメッセージが込められているのなら、今、こういう映画を大陸の方でドンパチやってる政治家に、息抜き半分で鑑賞していただきたい。あんたらのところにそんな親切な宇宙人は来てくれるのか?とも問いたいです。

最初の『ゴジラ』の2年後という封切りでしたから、比較されたらトンでも部類の映画かもしれませんが、作った大映にしてみればそこそこ真面目に取り組んだ作品だったと感じます。意外にも当時、空想科学映画を片っ端から観ていたというスタンリー・キューブリック監督が、「俺もこんなの作るぜ」と触発された映画の一つが『宇宙人東京に現る』であったことは有名なエピソードですが、そこから『2001年宇宙の旅』ができちゃうのも凄い話です。

ここからは蛇足ですがパイラ人。四十代半ばの岡本太郎氏がデザインしたもの。有効かつ極めて知的な宇宙人ながら、体内のほとんどが眼球じゃねーか。この11年後に成田亨氏のウルトラマンが登場してくるわけですが、同じ宇宙道徳観念を持ちながらも、世代が交代するとかくも宇宙人の容姿が変わるものかと驚きです。成田氏の造形に忠実なウルトラマンはさらに55年を待たねば実現しませんでしたが、その間、βカプセルひとつとってもデザインセンスは進化しています。

未来歴史2199

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今から170年後の春、日本列島に小惑星に偽装された爆撃物が落下します。遊星爆弾と称されたそれは世界各地に降り注ぎ、地球文明の科学技術と防衛能力では防ぐことはできず、劣勢のまま未知の外宇宙軍事力との戦闘状態に陥ります。

それから6年後、冥王星宙域戦闘のさなか、外宇宙航行速度をはるかに超えた宇宙船が火星に不時着します。

この宇宙船飛来は地球側に予告されていたらしく、火星において待機していた2名の兵士によって落下地点の探査が行われますが、ただ1人の乗員は絶命しており、飛来元から届けられたカプセルが改修され、乗員は火星後に埋葬されます。

これが今から176年後の1月17日に起こる出来事。ただし「2199宇宙史準拠」の未来歴史です。

現在消息不明中

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本日は、22年前に木星軌道で行動不能に陥った宇宙船ディスカバリーの統合管理コンピュータ「HAL9000」(Heuristically programmed ALgorithmic computer 発見的なプログラムをされたアルゴリズム的コンピュータ)の誕生日だそうです。AI搭載型のHAL9000は1992年あるいは1997年の今日、稼働状態となり2001年には木星探査船の航法や館内管理全般を担うほどに成熟し、2010年にはモノリスを介した「意志」によってモノリスに取り込まれます。

そこから先は、2061年まで人類との間接的再会はありませんが、2001年にスターチャイルドとなったディスカバリー元船長のディビット・ボウマンと行動を共にしているようで、この時点で単なる人工知能ではなくひとつの知的生命として「意志」の認知を得たと思われます。

この歴史において、木星はルシファーと呼ばれる太陽系第二の恒星となっており、本来なら空には2つの太陽が見上げられるはずですがそんなことは確認されていません。それはおそらく、モノリスの力によって火星以遠の時空情報が遮断されているからではないかと考えられます。HAL9000の消息もまたすべて失われているものの、人類はAIの技術をさらに進化させ家庭レベルにまで拡大を進めています。