さて。 布団は干したしカバー類洗ったし、掃除機もかけた。 のまちゃんは新月サンが連れてっちゃったからなぁ・・・ (連休初日の話です) 枝払いした時に貰ってきた柚子でも煮るかー。 マーマレードにしちゃえば保存出来るもんね。 前に夏みかんで作った時は火を止めるタイミング間違えて カチカチ一歩手前にしてしまったので、今度は慎重に。 数日後、新月サンの朝食用にトーストにぬって出したらイケたらしいので。 後で私も食べてみよーっと(ぉぃ)
家に居たので。
またまたこんなものーって、つい・・・
東北出張よりも前の話です。翌日を在宅仕事にしたのでその日の昼飯を調達しておかねばと、帰宅時にローソンに立ち寄ったら、坂内食堂監修と称する喜多方ラーメンがレンチンものとして売られていました。
またまたー、こんなもの、監修が入ったからって公約数と妥協点がどのくらいか考えたらハードル低いだろうに。とか思いながら手に取ってしまう判断の甘さ(笑)
作り方も何もあったもんじゃないレンチンですが、麺は適度な弾力を持ったちぢれ麺がちゃんと再現されていました。叉焼、メンマは幾分薄味設定のうえ、よくこれで本家が通したなあという出来栄え。スープは・・・こんなんだった? チェーン店のあれは、本家とは明らかに異なる(でも好みの味)と思っているので、何とも言えません。すいません、喜多方にはしばらく行っていないので正しくリポートできません。まあこの手のものとしては美味かったですよ。
秋蕎麦の時期だというのに
頂き物で賄う夕飯。
夕方、新月サンから
「ハマグリ貰ったから、ナンか作って」と、電話が。
貰ったってどゆこと???
(知り合いのトコでお裾分けされたらしい)
焼いても良かったんだけど。
つやっ艶して美味しそうだったので、潮汁に。
アニさまに頂いたお米もふっくら~
2合炊いたのに、新月サンほぼ食べちゃったよぉ(笑)
普段は翌朝オニギリ2つ作れるくらい残る(残す)のに。
よっぽど美味しかったンだわな、お米。
独り買い出しEレイド
前回、霰と中禅寺湖へ出かけた帰り道に、道の駅日光に立ち寄ってトイレ休憩していた際、霰が一つ隣の路地を散策して見つけた「菓子処本沢屋」。団子の店です。
このとき購入したあやめ団子がとても美味くて、10月末に日光市で仕事ができ(仕事を作り、の間違いじゃないのか?)、いそいそと出かけて行ったら「定休日だった」という裏話があります。
それは雪辱戦に臨まねばいかん。と、買い出しトライアルの日に、
「開店と同時に購入して高速で戻れば、集合時間に間に合う」とまで意気込んで、道の駅にしかたの最寄インターをすっ飛ばして、日光市・旧今市市街地までダッシュしてきたのです。濃厚なのにしつこさのない醤油だれと、その場で食っても半日おいても柔らかさの変わらない団子に、霰よ、よくぞ見つけた! とあらためて、あやめと餡子を買い求めました。
インターネット上では道の駅日光の裏路地、と紹介している人がいますが何言ってんだ、のロケーションで、この路地は東照宮造営の際に徳川家光が停泊した「如来寺」の表参道です。あの二宮尊徳の弔いもこの寺で行われている、ちょっとした歴史の石畳(石畳は近年のものかも?)です。本沢だんご自体は1907年創業だそうで、家光の時代とは縁はありません。でも、その創業時から変わらない味を守り続けているだけでも十分じゃありませんか。
食えなくなる以前に獲れなくなるとも
久しぶりの・・・
休みの度に 「カレー作っちゃおーかなー」 と言う新月サン。 ・・・作ればええやん・・・と思うヨメ(笑) 予約は入れたけどメンツが揃わずゴルフが キャンセルになった週末に作ってくれましたよ。 スパイスの入れ具合やらお肉の塩梅で 作る度味が違うとぼやいてましたが・・・ それ言ったら私の料理も再現率低いよ?
芋も栗も美味しい時期さ
埼玉、というよりは川越。川越と言えば焼き芋・・・という食文化の一面。諸説ある中、十代将軍・徳川家治への献上によって「川越芋」の名を得ていますが、サツマイモ自体はその爺ちゃんの吉宗が飢饉対策で関東一円に広めた食材で、埼玉方面で最初に入ってきたのは所沢だったと言われています。それでも当時から、川越市中では焼き芋が一大ブームとなり、云々・・・ 川越芋は押しも押されもしない地域の名産であることには変わりありません。
とはいえ、いつの間にやらサツマイモの生産全国一を勝ち取った「らしい」茨城には、たぶん入ってきたのは後発だと思われますが、長い年月を努力してきたのです。茨城の場合は、焼くより乾燥させた干し芋の方が有名になっています。これも知らなかったんだけど、他地域によっては高級食材なのだとか。あれを食わされて育った世代に言わせると、あれのどこが高級なんだよもういいよ、と内心は天ぷらとか焼き芋の方が主流だと考えてしまいます。
しかし何がけしからんかって、10月13日を「さつまいもの日」とならわす川越の文化は大いに讃えるとして、江戸時代に言われていた「栗(九里)より(四里)うまい十三里」という売り文句。江戸から川越宿までの距離にちなんだそうですが、栗よりうまいって、茨城に喧嘩売ってんのかこのやろー(笑 川越いも友の会の人々にはなんの遺恨もありません、江戸時代に文句言ってます)。茨城、なかんずく笠間は近年、栗生産全国一の要衝となっております。
次の次はこれかな?
買い出しトライアルの下見を完了したあと、日光市から宇都宮方面への道路混雑が始まっていたので「来た道を戻るなど言語道断」とかうそぶき、というよりクロさんから新しくておいしいコーヒーの店を教わっていたので、国道122号で桐生へ下りそのまま栃木県へ抜けていったのです。クロさんの隠れ家らしいから、ここの話は割愛しますが、閉店40分前に辿り着いても快く席を勧めてくれ、丁寧な淹れ方の、2杯は飲みたくなる良いお店でした。
この辺りまで来たところで日没となるのがわかっていたので、今夜のご飯をどうするよ? という話を既に足尾の通過の頃からしていて、「群馬でしょ? 釜めしかな、だるま弁当かな」「なんでそんなに明後日の方向に持って行こうとするんだ」などと夫婦のあほな会話も繰り広げられていたのです。そしたら目の前に「上州御用鳥めし本舗」の看板がどーんと現れるではありませんか。あっ、こんなところに登利平の販売店があるんだ! と頭上に電球がともる瞬間です。
うちのブログでは風花さんが時々書いている、鳥めし弁当のあの店です。霙が出張不在で、霰は仕事が終わり次第帰宅してくるというので、3人分、と思ったら鳥めしのとなりの炙り焼き(豚)も捨てがたく、ひとつは炙り焼きにして持ち帰りとしました。これ、なかなかうまいんです。次の次の買い出しトライアルのお題に「だるま弁当」の線もありますが、登利平も販売店舗の展開が進んでおり、こちらもいけそうです(次もやっていないうちに何を言い出すんだ)
暑気払い
アルコールに耐性の無い体質なのでビールもワインもまるで飲めない以上、食い物で暑気払いするしかない。ここしばらく素麺だとか冷麺だとか笊蕎麦だとかで十分に暑気払いな食い物をいただいているんだけど、「ほんとはそうじゃないんだ」感を拭いきれず、肉に走る欲求は避けられないのです。などと脳内で言い訳しながら(何に言い訳する必要があるんだよ)、生ハムと常陸牛のたたき炙りとローストビーフにかぶりつき、主食を待ちます。
昼飯で頼んだのはランチの献立にあったハンバーグと常陸牛ステーキの組み合わせで、サラダとライスと漬物と豚汁(!)がついてくる。夜だったらまず頼まない肉「圧」です。いいのか潰瘍とかポリープとかやっててこんなの。とも思ったんですが、治療直後にラーメン食ってるやつがいまさら何を言うのかと、食欲が空腹を後押ししました。これで夜はお茶漬けかなんかでいいやと帰宅すると、女性陣を代表して霙からメール着信。
『今夜は鉄板焼きで暑気払いとなりました』
・・・それなんで俺にも事前打ち合わせのメール入れてくれないんだよ!