蜜は無いと思うがなー。
蝶々さんも冬前に蓄えるのかしら・・・ってかイチモンジセセリ(なのか?)って冬越したっけか???
仕事の手紙を読み終え便箋を封筒に戻そうとして発見。高田明美さんの描いた南雲しのぶさんです。衣替えの時期よろしく、冬服というのが気が利いている。
うちと同じならば、切手を貼って投函(うちの場合は郵便局員が集配に来てくれますが、切手は貼らないと回収してもらえないのは当然の話)するのは事務職の担当なので、郵送を命じた差出人の方では、こんな切手が選択されているとは全く知らないでしょう。
うぬぬぬ・・・ どこの(いや送り主の会社は知ってるんだけどね)どなたか存じませぬが、受け取るのが俺と知ってのお茶目か?
それよりも、この切手シートってもう何年も前に発行されたものです。僕も初めて見ました。シート自体は五種類のイラストを左右分割する形の10枚綴りで、南雲のバージョンはリアクティブアーマーを装備したイングラムの後ろ姿という背景だったはず。どこかの誰かはそっちを受け取っているわけですが、どっちが得したのかと言えば、まあこっちなんでしょうね。
ただ、それを受け取った人がこちらと同じように切手の図版に気が付くのかどうかは定かではありません。
東京モーターショーの年回りだけに、一斉に出展ラインナップが明らかにされました。iM-4をイグニスと呼称してきたところは、以前予想したものが当たりました。が、これでモデル消滅かなと思っていたのに、ビターラがエスクードの名を襲名するというのは、まあ迂闊には書けませんでしたよ。そのエスクードの3代目も、エスクード2.4としてしばらくの間、併行販売されます。
国内では消極的な販売実績の現行モデルも、海外市場では「ラインを潰すのはもったいない程度に売れている」とのことで、結局は海外市場に救われた形となります。
このことで、エンジン機種整理が敢行されるまでは存命となった3代目は、歴代最長命モデルにもなり得ました。
フォルクスワーゲン問題も急変が続いて、結果的にはあっちのエンジンなんか載せずに済みました(今だから、ってわけではありませんが、2代目SX4については、設計が終わった段階にもかかわらず、あっちのエンジン載せろという話がわき出て、エンジンルーム内のとり回しをどうすんだよと混乱があったようです)
2011年頃はその辺のことも示唆しなくてはならなかったので予測がぶれていますが、登場時期だけは言い当てられました。もう4代目、と呼んで差支えない4代目は二代目SX4として開発されたS-CROSSベースのよりSUV色を濃くしたものですから、FFモデルとそれを基にしたフルタイム四駆の2車種構成。気になっていたエンジンの1600ユニットは、TA74Wのときとは異なり、レギュラーガソリン仕様です。もうひとつ、CVTではなく6速ATを採用したところに、S-CROSSとはちょっと違うのよというアピールを盛り込んでいます。
しかし巷の声を聞いていると、すでに海外で発表された1400ターボモデルを望む声が高く、そこは、へーそうなんだと感じる部分です。このあたりは、ユーザー層の大きな変化が見受けられる気がしますが、そこまでダウンサイズさせるならば、おそらくイグニスの方が彼らのニーズを満たしそうに見えます。もっとも、イグニスにせよ新型エスクードにせよ、望まれて小さくなったものの、十中八九「狭い」って言われること間違いなしなんですよ。
国道2号線はろくに広島湾の景色を眺める間もなしに山間部へ分け入る。山陽道は意外なほど山裾に沿って伸びており、海沿いに走れるのは厳島を望む廿日から和木あたりにかけて。それは逆方向だ。だが広島県内にはもう1か所、ほんのわずかに海岸線を進めるところがある。もっともそんなことを考えなくても、ちょっと山道を登れば瀬戸内の海原は手に取るように眺望できるのだけど、今日は海沿いを走りたい。この車で森の中へ分け入るのは、まだイマジネーションだけにしておこう。
運よく退勤時間帯の東広島をスムーズに抜けて、三原市に入る。時々、信号待ちのゴーストップを余儀なくされるけれど、イージーに操作すれば2速からでも楽に発進できる5速ミッションには慣れるのも早かった。四隅に張り出したブリスターフェンダーはどこか欧州車っぽいよなと感じさせ、四駆と言えばジープ、アメリカンスタイルといった既成概念を打ち消してくれる。なによりルームミラーに映る景色が夕暮れ近くだというのに明るい。だけど背中に何もないということは後続車からは丸見えの室内。信号待ちだからと言って振り返ったりするのも気恥ずかしいかもだ。
何しろ僕は仕事帰りのまま、スーツ姿で四駆を運転している。クラッチを切る革靴の爪先はちょっとばかり動かしづらいし、指先が痛い。ステアリングを握る両腕の袖先から見え隠れするカフスボタンは、絶対にミスマッチだ。だけど、こんなスタイルがこれから、案外普通になっていくのかもしれないぞ?
1時間ちょっとのドライブで、目的地の福山まで30キロに迫ってくる。糸碕神社の看板と、不思議な形の洋館がトラックマークのように現れ、2号線は緩やかなうねりを伴い坂を上り、そして緩やかなうねりとともに下っていく。
この瞬間を待っていた。
今まで広島、福山の約100キロの道のりは、GSX‐R400やCBR250で行き来するか、親父に借りたギャランシグマで走っていた。セダンに乗っていても、フルフェイスのヘルメット越しにも、三原市のはずれから尾道の町に向かっていくわずか10キロ程度の区間は、小佐木島や佐木島、岩子島、向島を見渡す瀬戸内の水路が右手に広がる。延々と山間部を走り続けてくると、丘を越えながら現れる海岸線の景色は、いつだってときめくのだ。
草の香りよりも排気ガスのすすけたにおいがついて回った道のりが、不意に磯の香りを拾っていく。バイクで走っているとき、風は大気の壁になっていて、そこに切り込んでいくようにスロットルを開けていた。今日、初めて、その景色を目にしたところでアクセルを緩めた。
あ、これが大人の愉快というやつか。
僕がパジェロやロッキーのカタログとエスクードを見比べ、これだなと感じたインスピレーションは、そのときのカタログに掲載されていたオパールブルーメタリックの水色が、この瞬間に見える海と空の、空の雰囲気に似ていたからかもしれない。奇しくも対極を行くような赤い車体になってしまったけれど、これはこれでかっこいいぞと、つい顔がほころんでいくのがわかる。
とはいえ、松永湾に至る海岸線の道は混雑していてもあっという間に駆け抜けてしまい、2号線は再び内陸へ針路を変えるし、水色の空も大分前から暮れなずんでいる。
「あいつ、どんな顔をするだろう」
片道100キロを遠距離恋愛と呼ぶかどうかは微妙なところだけれど、僕は先を急ぐ。慌てず、焦らず。
この項、完結。
1992年当時、「彼」がどんなルートで福山へ走ったかは想像であることと、直帰退勤という展開はまったくのフィクションです。