Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

2代目打ち上げ

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はやぶさ2初代「はやぶさ」の地球帰還からいつの間にか4年の歳月が流れ、いよいよ「はやぶさ2」の打ち上げ日が巡ってきました。初代の打ち上げは2003年5月、つくばーどのミーティングやサイト運営が軌道に乗ったころで、しかしこりはあくまで個人サイトの域でしょ? と、できるだけ個人の趣向に偏らないESCLEVの立ち上げを始めた頃でした。まあ宇宙探査機とエスクードには何一つ接点はないんですけど、この年の8月に火星が地球に大接近し、その距離はエスクードでも束になってかかれば埋められるんじゃないか? という結局は個人的な趣味でエスクード・マイレッジなんてものがあとからできてしまったりするのですが・・・

雷を誘発する可能性がある「氷結層」を含む雲の発生が予想され、当初11月30日だったはやぶさ2打ち上げは先週28日時点で12月1日に延期され、それでも天候不順で引き伸ばされていました。2代目打ち上げはライブ中継まで組まれていたほどの期待を背負っていました。エスクードの2代目もそうであったように、期待がそのまま重圧であることについては、成果を収めた初代を引き継ぐ立場としては同じでしょう。

往路に4年、帰還まで6年というミッションがトラブルなしで進むかどうかはやってみないとわからない。接点がないとは言いながらも、いろいろ言われた2代目エスクードは3代目へとバトンを渡す実績を得ましたから、はやぶさ2にも頑張っていただきたいところです。

季節だねぃ。

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ドアミラーに隠れた向こう側も満車。

ドアミラーに隠れた向こう側も満車。

日曜日。新月サンが居ない間に、猫ずのトイレ砂とカリカリの買い出しに行く途中、通りかかった大型オモチャ屋は駐車場満タンでしたよ。普段は居ない警備のオジサンが立ってましたわ。
ま、我が家は縁がなかったけど、世間はパパサンタ・ママサンタがプレゼントの準備に走り回る時期って事ね。(ジジサンタ・ババサンタかもしれないが・・・)

ああ、また一年が終わるぅぅぅ・・・(そしてトシをくうぅぅぅ)

稜線の冬

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蔵王なんか寒くなったなあと思ってたんです。

仙台からでも蔵王が見えないことは無いんだけど、山形に来ると全方位、稜線は冠雪して真っ白です。

冬の迫力がちょっと違う。

ぺろりと完食。

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味が違うよ大根の。

味が違うのよ、大根の。

先日のみかん狩りの折、背負って帰った大根2本。
無事に煮物になりました。
新月サンが「ローズポークー(茨城のブランド豚)と煮てっ!」と熱望してましたけど、言ってる本人が買いにいけず(新月サンの担当先のすぐ近くに〝道の駅〟があるのよ。ローズポーク売ってます)止む無くそこらで売ってる(失礼だよな、この言い草・・・)豚さんで我慢。

すんごく大根自体の味がいいだけに、豚さん完敗。
やっぱり私が走って買いに行くべきだったかー・・・

青く光る広い宇宙へ

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sw7もともと9部作で描かれるはずの企画でありながら、ジョージ・ルーカスをしてでも「予算的に無理だわ」と、6つのエピソードでまとめられていた「スターウォーズ」が、いよいよ最新作のエピソードⅦに手を伸ばし、1年後の公開にこぎつけました。

僕はウォルト・ディズニーが嫌いなので、この作品がディズニーで作られることは大いに残念なのですが、できるならできるで観に行っちゃうんだろうなと低い志で待ち受けております。

最初のエピソードⅣが日本で封切られた頃は高校生でした。大人が同じようにまじめに作っただろうに、日本の「惑星大戦争」や「宇宙からのメッセージ」と比べて、アメリカの映画はなんだってこんなに本気度が違うんだろうと思わされた70年代でした。

tb2015しかし、2015年は、ハリウッド版の特撮映画から10年とちょっと、その原点からは実に50年めの再起動となるサンダーバードがもっと待ち遠しい。以前から少しずつ話題が振られていましたが、なんといってもサンダーバードのメカニックが半世紀経っても古びていない(レトロ回帰という見方もありますが)

ハリウッド版以外はスーパーマリオネーションという人形劇であっただけに、今作の登場人物はCGというところが時代の流れでも、メカニックはミニチェアプロップによる特撮を主体とするところがまた楽しみです。それは来年の散財をも意味するのですが、玩具展開と本編放送が日本で行われるかどうかはまだ未定。

よもやCS放送なんてことにならなきゃいいけど・・・

忘年会設営します

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富士見ことしは6月以降ペースの上がらないつくばーどでしたが、12月になるので例年通り忘年会を設営し、ついでに鬼に笑われながら新年会の準備を開始します。

忘年会は13日の土曜日、筑波ふれあいの里で宴会宿泊し、翌日に軽く林道へ分け入ります。集合は買い出しをかねて、14時に新治ショッピングセンター 「さん・あぴお」。この時間帯に来られない人は現地で合流となります。天候にもよりますが、この時期の筑波山麓は夕暮れと明け方の富士山眺望が見ものです。頑張れば手持ちでも挿絵のような写真が撮れますが、三脚はあった方が楽です。

忘年会の献立は検討中ながら、狼駄さん、kawaさんが参加してくれるので、焼き肉ははずせません。あとはkawaさんに食材を指示してもらえば、なにかしらうまいのが(相変わらず他力本願)

林道については狼駄さんの車が四駆ではないため、状態の悪い場合は狼駄さんには午前中に基地に立ち寄ってもらい、うちの幌車に乗ってもらうことも視野に入れますが、軽めのルートを選択する予定です。

なお、新年会は2015年1月31日、天狗の森スカイロッジで開催です。こちらは恒例になっているような気がするので、カレーコンペを行う予定です。

浜辺の蒼い月

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bluemoon横須賀市から三浦市にさしかかる国道沿いに、その店があることは前から知っていましたが、なんせ混雑ポイント故に素通りするだけだったのが、BlueMoon。小ぢんまりとした田舎の(失礼)どうということのない(失礼って本気で言ったのかこら)喫茶レストランです。

が、その名前がずっと琴線に触れっぱなしで、いつかこのお店に行かねばよ。と思っていたら、和邇さんの守備範囲でしっかり連れて行かれ、ちゃっかりと目的達成です。

話に聞いていたのは、箸で食えるやわらかなスペアリブと、トッピングに凝ったパンケーキ。スペアリブは下地を作っておいてオーダーが入ったら仕上げの焼きを入れ、パンケーキはオーダーされてから焼くのだそうです。

食べ物屋さんとしては当たり前のことながら、多少時間がかかるのは仕方がない。ところが、和邇さんはいつの間にかランチメニューとしてスペアリブで予約を入れておりました。塩をまぶして橋を入れるとほんとにやわらかい。いやいや、ここまで下地で煮込まなくてもいいんじゃないかというほどやわらかい。でもぱさぱさなんかではない。あれかなあ、津久井浜の界隈も新旧混在した市街地構成だけれど、徐々に高齢社会が浸透していて、これくらいの料理が好まれるということなのかもしれない。

スペアリブそのやわらかさは好みの分かれるところですが、こっそり単独で出かけたら追加で2本くらい焼いてもらっちゃうでしょう。

パンケーキについては、普段「ご飯とデザートは別腹」などとうそぶいている家内も霙もランチで満腹になってしまい(パンケーキをデザートとみなすかどうかはまた別の話)、まさかのリタイア。むむむ、ということはそのうちまたここへ来る口実ができたと解釈すべきか。しかし僕単独では両方は食えない。誰かを誘わないとパンケーキの実物を拝むことはできないのです。家族を連れて行けば話は早いけど、ここんとこ各自スケジュールが立て込み週末が皆多忙・・・

誰かいないもんかね(断っとくがヤローは連れて行かないぞ)

 

orange☆mystery

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蜜柑三浦型露地野菜経営で有名な神奈川県横須賀市の津久井浜。主力品のひとつであるみかんの歴史は江戸時代に遡り、鰯漁のために紀州から三浦半島に移住した人々が苗木を持ってきたのではないかと言われています。北浦あたりのみかん栽培方法が、紀州とよく似ているからだそうです。それをルーツと断定するかどうかはともかく、栽培の基盤が確立したのは明治時代です。

観光農園の基礎作りは昭和30年代にはじまり、神奈川県の営農団地整備事業として集団みかん園が誕生しました。以来苦労工夫の歳月を過ごし、糖度12、酸度1.2くらいの上質なみかんが供給されるようになっています。

宮川早生(みやかわわせ)や興津早生(おぎつわせ)といった津久井浜のみかんの品種は、しかし紀州ではなく温州みかんと呼ばれています。紀州みかんは中国から伝来し、紀州(和歌山県)で産業化されたのが15世紀以降。一方で温州みかんはその名が中国の地名ですが、どうも原産地は鹿児島県あたりで生まれたもののようです。紀州ものも元々は熊本に上陸したのが原種ですから、その中から挿し木や接ぎ木で改良され鹿児島で成立したのが温州ものの原点ではないかと思われます。

これが明治時代までもてはやされなかったのは、品種の特徴である種のない果実が、武家にとっては縁起が悪いとされ遠ざけられていたかららしく、維新のあとから食べやすさが重宝されるようになったということでしょう。そのわりには、日本のみかんの原型とも言うべき「橘」を家紋とする文化もあり、その意味するところは後述する「橘に与えた不老不死や永遠の象徴」というメッセージが込められています。

宮川早生については、成り立ちがもっとはっきりしています。大正初期、福岡県柳川市の宮川謙吉という人のもとにあった在来温州の一枝が変異したということです。この時点で国内原産地が二転三転しちゃってますが、三浦半島全体でみればシークゥワサーもデコポンも夏みかんも栽培されていますから、今となってはたいした問題ではありません。

日本におけるみかんの歴史は垂仁天皇の時代に現れ、常世の国から持ち帰られた不老不死の薬効を持つ非時香菓(ときじくのかくのみ)がそれです。この命を受けた田道間守(たぢまもり)が役目を果たし帰国した年にはすでに崩御していたという説話が日本書紀などに記されており、垂仁天皇自身は 「時を定めずいつでも黄金に輝き芳香を漂わせる木の実」を見ることはありませんでした。

もっとも垂仁さんは齢140とも150いくつともいわれている、ほんとかどうかは定かでない長命者。「トキジクノナントカ」を取ってこいと命令が出たのはいつごろの話だよ?ということになると、無理やり西暦を当てはめるしかなく、日本に入ってきたのが西暦60年代くらいかな、としか言えないのです。

それでも、田道間守が持ち帰ったことから「トキジクノ」の実や枝は「田道間花」と呼ばれるようになったらしく、このタジマバナという言葉が変化して「タチバナ」となり、どうやら今でいう橘(たちばな)がこの実のことであるようです。橘の記述はずーっと時代が進んだあと、魏志倭人伝において「倭の国には生薑とか橘とか山椒とか茗荷なんかがあることはあるけど、やつらは食用にはしていないね」という内容の記述として存在が立証されます。

なんと、食い物にはしていなかったと。記紀説話の如く薬用の扱いだったのでしょう。果実としてのみかんは最初の話に戻って、遣唐使による中国との交易が行われるまで時間が止まっていたということになるのです。おそらく橘の時代、今のような糖度の高いモノではなかったからかもしれません。

その橘も育成環境で変化し枳(からたち)に化するというようなことは、紀元前300年代の中国でも語られており、日本の、田道間守が持ち帰った時代の果実はきわめてすっぱかったことや高貴な扱いとして薬用に資するものだったと考えたくなります。柑橘類というのは体脂肪の分解・燃焼を促進してくれるし、その葉はそれこそ時を定めずいつでも緑色で生い茂りますから、薬効や不老不死へと古代人のイメージがだぶるのもうなづけます。

そんな柑橘類は何処から来たのかとさらに遡ると、中国以前はタイ、ミャンマーに進化の痕跡があり、もっと辿るとインドのアッサムあたりだそうです。学説的には、その原種発祥は3千万年前だというからもう手に負えません。飯盒炊爨キットをリュックサックに詰めて学芸大学前から電車に乗る(そういう歌詞の「三千万年」という歌がある)どころか、霊長類自体にヒト科がいません。ヒマラヤ山脈も造山運動中です(あっ、これは今もか)

これだけ種としての歴史を持っていれば、ヒトの世の中では間違いなく不老不死や永遠の象徴に掲げられても不思議はなさそうです。

あー・・・長すぎる。でも植物3千万年の資料が無いので息切れ。もぎたてビタニャンCでも補給してまいります。

 

 

 

 

 

ヒラミって平実。

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さて、どうしようかな。

さて、どうしようかな。

ミカン狩りの後少し採らせてもらったシークワーサー。晩酌のサワーに♪と思っていたら、後で枝ごと頂きました。わーい、何に使おうかなー♪マーマレードにでもしようかと思うのだけど、とりあえず今流行の塩レモン仕込んでみました。

ところで、和名が「ヒラミレモン」って言うのは何かで知ってたんですが漢字で「平実」とは思わなかったわ。平たい実のレモン・・・なるほどねぇ。

まずは塩レモン。

まずは塩レモン。

つくばーどin津久井浜 0

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ミカンずいぶん話を引っ張ってしまいましたが、24日の津久井浜行きは「つくばーどのオフラインミーティングを三浦半島に招致しましょう」という和邇さんと、これに賛同してくださったエスクードOBのエス爺さんが企画したアイデアについて、実証実験に呼ばれたからでした。

三浦半島でのつくばーどは2007年10月、エスクードコンバーチブルの取材をかねて、三崎のマグロと横須賀海軍カレーを食いに行くというのをやって以来、定点で遊べる企画が立たずに長い時間が過ぎてしまいました。和邇さんとS爺さんのアイデアは、そこに風穴を開けようという試みが盛り込まれていました。

ミカン2津久井浜と言えばみかん(それだけじゃないけど、とりあえずみかん)。極力リーズナブルな参加費用で取り放題の食べ放題で、ついでに肉も焼く。

そんな橋頭堡が確保できるというありがたい提案で、実際にやってみたら、つくばーどミーティングと買い出しトライアルを同時に開催できる優れものでした。

これはもうやるしかないじゃないですか。来年、和邇さんとS爺さんのエスコートでつくばーどin津久井浜を実現させます。これは美味しくて面白い。ぜひお楽しみに。