Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

遺伝的特性

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誰がどう見ても、顔立ちはれいんさんから持ってきたと言われていたのが霰で、どっちかといえば父親の類型と言われていたのが霙の顔立ちでした。もちろん近頃は、それぞれのパーソナリティが確立されておりますから、父親似だとか母親似だとかは話題に上らなくなっていました。

が、先日、霰が「むきーっ、くやしいーっ」と、声を上げているので何事かと思えば、たまたま薬品使いのためにれいんさんが外していた結婚指輪を興味本位で試した結果、なんと彼女の指には指輪の方が小さくて、つけることが出来ないというのです。

れいんさんの指輪ってーと、公称8号ということになっていますが、実はそれは、結婚当時に僕の指輪のサイズ(28号)と比較しやすいということで、きりよく8と言っていたもので、本当は7号。今もってこれが使えるれいんさん(指だけね)はたいしたものですが、母親よりはスタイル悪くないぞと密かに思っていたらしい霰の自尊心が砕け散る瞬間だったようです。

霰の指がごついかというと決してそんなことはなく、むしろ、よく観察すると「なんだかE.T.の指みたいだよなー」と言いたくなるれいんさんの指よりも、五指そろってすらっとしていて、きれいな方だと思います。おそらく、骨格ががっしりとしているのね。骨太の指故に、7号は受けつけないのです。いやー娘よ、すまんがそういうところは父親譲りなのかもしれないぜ。

革命の日

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157年の昔、ペリーが久里浜に上陸した頃、浦賀水道は今ほど過密な船の行き来のない、のどかな海であったと思われます。そこに突如現れた黒船は、やがて大政奉還にいたるまで日本の内政を揺さぶることになるわけですが、黒船来港(1853年)といい、フランス革命の勃発(1789年)といい、イラク革命(1958年)といい、7月14日というのはなかなか歴史の転換の特異日のようです。「プラハの春」(1968年)におけるワルシャワ会談が開かれたのも、この日です。

そして40年前の今日、「日本(NIPPON)」という統一呼称が閣議によって定められました。

先日の参議院選も、与党大敗といわれながらもそれほど革新的なことが起きたのかというと、うーんどうかなあと思ってしまうし、そもそも昨年秋の政権交代で何が変わったのかと問えば、何も変革は起きていないのではないか。選挙のための政治家家業まるだしの本性が、またこれからぽろぽろとこぼれ落ちてくるのを、好んで見たがる国民もそう多くはないと思うのですが、なんでかしらんが我が国、シビリアンコントロールだけは、歪んだままでも動じずに回転しているかのようです。

そんな折、横須賀での仕事があって、帰り道に気まぐれで開国橋を渡って久里浜埠頭から東京湾フェリーに乗ったところ、かなや丸としらはま丸の2隻を存続させるため、最も古いくりはま丸が運行から外され、秋には売却されると。そういえば5月頃にそんなニュースを聞いていましたが、同社の経営も危機的状況。高速道路の割引や無料社会実験のあおりで、各地で破綻していったフェリー会社と同じ憂き目に遭っているのでした。

半年前に、やはり久里浜から金谷に渡ったときも、埠頭の駐車場のクルマのなかなかの数に対して、乗船したのは10台にも満たなかった。金谷から渡ってきた船からは、ゴルフバッグを抱えた客だけがはき出されてきて、駐車してあるクルマに乗って引き上げていく。下船したクルマはたった5台。ヒト1人なら700円という運賃ですから、金谷側でゴルフ場の送迎車に拾ってもらった方が安上がりなのです。我がエスクードも、01Rだと4m未満で2番目に安いのですが、61Wはほんのわずかなバンパーの長さで5m未満に引っかかって高くなる(TD01Wノマドだとこれに引っかからないため、01Rと同じ運賃)。昨今のクルマはみな大型化していますから、この寸法による往復運賃を考え、利用者が激減しているのです。

浦賀水道を40分で横断する。東京湾アクアライン利用よりも時間がかかり、料金が高いとなれば、当然分が悪いけれど、この40分に秘められている風情というのは、まあ海の天候にもよるのですが捨てたものではないと感じています(だから乗るんだよね)。政治は、大を活かすために小を切り捨てるという公約数のロジックを振りかざし、細かいことを全て受け入れていてはきりがないと割り切る。しかしなあ、観光立国なんて政策を、国の成長戦略に盛り込んでいるわけですよ。もっともこれは外貨を稼ぐために国外からの観光客を引っ張り込むというテーマなので、地域のフェリーの存続にまで目が行き届くかどうかははなはだ怪しいし、成長戦略自体を実行するのが政治家の仕事ではないですから、肩すかしを食らいそうな気もする。なんとも寂しい話です。

退役を余儀なくされたくりはま丸は、1986年の完成、就航は同年の、7月だったそうです。

一回りの差(年ではない・・・)

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きっちり丸くなって嵌っていたから撮ろうと思ったら、起動音で頭があがっちゃった。

頭は上げたけど眠くて目があかない(笑)

〝ココ→〟と指している空間に頭が嵌っていたのよ。型押しされたみたいに、ぴちっと真横向いて。

500gの体重差の分だけ、やっぱりふうの方が一回り大きいんだわん。

此処ハ何処?な別リーグ

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『その出題写真と、同じ場所で写真を撮ってくる!』

って、それはSレイドとSSレイドのことですが、実はユーノス/マツダロードスターのユーザーさんたちの間でも、この半年間で、試しにとゲームが始まっています。企画を進めているのは、あの「白神爺。さん」で、昨年のこと

「うちでもSレイドを仕掛けていい?」

という相談を受け、絶対に面白いからやってみて下さいと、おすすめしたのです。

何が面白いかと言えば、もちろん出題されている場所を探し出して攻略することですが、ほんとは「ここはそう簡単には見つかるまい」と、課題の場所を設定することの方が三倍くらい面白い。白神爺。さんは、まさにそちら側の醍醐味に触れた人で、今年に入って早々に開催宣言されました。半年が過ぎたので様子を見に行ってみると、アクティブ度はゼロ(涙)ですが、Sレイドのテイストを活かしてくれて、参加者の方々も独自のアイデアを盛り込んでいるようです。

なんで半年ほっぽっといたかって、あちらのゲームには残念ながら、参加やコメントを入れることができないので、見守っているだけでしかないのです。がしかし、白神爺。さんの言葉を借りるなら、「志」(まあSレイドくらいでそんなたいそうな話もないですけど)を一緒に楽しんでいければいいじゃない。という思いです。白神爺。さんはSレイドの別な楽しみ方も考えていて、課題の場所を走りつなぐツーリングコースも設定しています。それが我が本家(笑)の津軽半島はしご編。別のリーグでありながらも、つながりのあるゲームが展開しているのです。というわけなので白神爺。さん、うちのSやSSにもロードスターの方々に挑んでもらって下さいよー。

寿   命

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あおいろさんのTD51Wが先日、よりによったら廃車かも?というトラブルに見舞われたというので、いったいどうしたのかと伺ったら、エアコンのコンプレッサーに組み込まれているマグネットクラッチが、経年変化の寿命によって破損し、プーリーと干渉してあわやという事態を招いていました。即断で移動を中止し、旅先のディーラーで応急処置を施し帰宅。地元ディーラーにてリビルド品のコンプレッサーに交換修理と、的確な判断がなされ、故障の度合いを最小限にとどめているそうです。

 

あおいろさんから、写真と、故障に至るプロセスについてのレポートをいただくことが出来たので、ESCLEVで紹介しています。

あおいろさんによれば

「当初はエアコン周り総取替えが必要と、出先ディーラーでの診断だったのですが、地元ではコンプレッサーASMの交換で復旧可能と診てくれて、中古の51W丸ごと買えるのでは? という見積もりから、中古のレカロが買えるかも。というレベルに落ち着けました」

これは大きな違いです。無理をしなかったことが損傷を小さく抑えられたわけで、ややもするとプーリーも、あるいは破片が飛散してエンジン自体も、ということになるかもしれないです。プーリーとの干渉による大きな音で判断をつけられたとのことです。音に関しては最も初期の自己診断にかかわることがわかりますね。

そして熱望の・・・

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枝豆。近くに苗が売っておらず、新月サンが買ってきて蒔きましたヨ(笑)

やっぱり出ないヤツがいる・・・

畑だけじゃなくプランターにまで。異様に育ちのよろしい茄子に負けなきゃいいんだけどー。

かもすぞ~

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ドラマ版もやしもんを一家で見ながら盛り上がってしまい(アニメ版で既にできあがっている一家です)、土曜日に水戸へ出かけた霰がおみやげに買ってきてくれました。

「なんでC.トリコイデス? (紫の方)。A.オリゼーはー?」

と言ったら霰のやろー

「C.トリコイデスって、(フォンブレイバーの)ゼロワンに似てるからー」

と、きやがった。いや、でも、黒カビっすよこいつ・・・

「だからP.クリソゲヌム(青カビ)もいっしょについてるんじゃないかなあ」

解説によると、C.トリコイデスとは体内に入って悪さをし始めると何をしでかすかわからない、怖い謎の菌。P.クリソゲヌムは、ペニシリンのもとで有名なあれですね。

そろそろおかずに・・・

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しちゃおっかなー。

売ってるピーマンより大きいかも

・・・でも一個じゃなー。サラダに混ぜるか、炒め物に・・・ あ、炒めるにしても茄子がまだだ(汗)

前夜祭の日

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1966年の7月10日、TBS放送において「ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生」なる番組が放送され、事実上のウルトラマン出演第1号番組が世に送り出されました。

前日の9日午後に開かれた、杉並公会堂でのイベントの模様が主たる内容だったそうですが、視聴率は30%に迫る勢いで、(全番組のウルトラQが一回早く終了となり、10日放送分の穴が空くため)急遽番組を作ることとなった現場の労はねぎらわれ、翌週17日に放送開始となる「ウルトラ作戦第1号」のカンパケフィルムも、特番によって納期が間に合うという波乱の幕開けを迎えます。

この特番には円谷英二さんも出演していたそうですが、特撮映像の撮り方に関して「そうとはわからずにやってのけるのが特撮」というのが持論だった円谷さんにしては、40mの巨人であるはずのウルトラマンの「着ぐるみ」や、未知の生命体である怪獣、宇宙人(の着ぐるみ)を、よく公会堂の舞台の上に並べさせ、それらと一緒に舞台に立ったものだなあと、今になって思うのです。本当ならば、その姿が動く様は(雑誌の写真は動かないから情報を制約できる)、テレビで颯爽と見せたかったのではないかと。ラッシュ・フィルムの段階では、特撮映像を担当の編集助手以外には見せなかったという人ですから。その反面、気前のいい人でもあったというし(けち説もあるらしいけど)、自社と放送局のピンチという事象に際して、堅いことを言う人ではなかったのでしょう。

ウルトラ作戦第1号は、確かリアルタイムで、当時流山市に住んでいたいとこの家で見た記憶がありますが、前夜祭特番というのは、そのエピソードを知るまで知りませんでした。杉並公会堂にはどんな人々が行っていたのかを考えると、まずもって僕よりもずっと・・・いや、いくらか年上の世代のような気がしますが、おおむねポスト団塊世代の後ろの方から、同世代には引っかからなかった次のジェネレーション(ということは、団塊やポストの人々も、引率的な立場で見に行っているのか)なのでしょう。しかし、前夜祭の話はともかく、こういった世代の人たちから、ウルトラマンをはじめとする特撮テレビ番組の時代を、聞いたことがないなあ。

やっぱり大人になり、決別するという時間の速度が速かった時代なんでしょうか。

ナニも今壊れなくたって・・・

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録画しながら、録画してあった番組を見ていたら『予期せぬエラーが発生しました。録画に失敗しました』・・・はぁ?

フリーダイヤル繋がらないーーー

翌日、サービスセンターに電話をしたら繋がらん・・・『順番にお繋ぎいたします。そのままお待ちになるか、暫く経ってからお掛け直し下さい』暫く経ったら受付時間終了じゃーん。待つこと25分。受付終了時間を5分過ぎてやっと繋がりましたよ。

結論として『HDDが壊れてる可能性高いですね。』で、『もしDVDに書き込みできるようでしたら、取っておきたい番組をコピーしてからHDDを初期化して下さい』と言われました。
(書き込み出来なくたって初期化しなきゃ使えないんだけどさ)見終わった番組を削除しようとしたら『再生以外できません』って出たから無理だと思ったんだけど、試したらやっぱり出来なかったわ・・・
諦めてHDD初期化したら、動きが速いこと速いこと(汗)